塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

宿敵のベンチに座るという監督心理

2014-11-07 23:27:25 | 日記
 ワールド・サッカーダイジェスト2014年9月4日号では、ユヴェントスの監督に就任したアレグリのインタビューを掲載しています。

 「ライバルチームと契約するのに迷いはなかった?」

 という問いかけに対し

 「それはなかったな。わたしはプロの監督だ(略)」

 と語り、同時に噂のあるアンドレア・ピルロとの仲違いも否定しています。

 プロである以上契約内容を吟味し、同時に宿敵であろうがなかろうが、涼しい表情でベンチに座ることが、サッカーに限らず度の競技でも指揮官に求められる姿勢ではあります。

 例えばあれだけ罵倒されながらも、ラファエル・ベニテスがスタンフォード・ブリッジに姿を現したのも、一種のプロフェッショナルと捉えて良いでしょう。

 ただ、ファンはやはり嫌悪感を抱きます。

 声は極端な例ですが、反町監督が契約を終了し、フリーになったとしまよう。

 リーグのカテゴリーを問わず就任を打診する依頼が舞い込む中、もし新契約のアナウンスで

 「長野パルセイロと契約」

 ということになったならば。

 歓迎する声よりも、疑問視、嫌悪する声が両陣営から挙がるでしょうし、パルセイロ・フロントには打診を問う問い合わせが殺到すると思います。

 前クラブで残した結果と内容
 スポンサーの受け
 育成と戦術の中身

 本来ならばこうした幾つもの要素を考えるべきなのですが、それよりも

 「嫌悪感という生理現象」

 がファンの場合は勝ってしまうわけです。

 ただこうした事例が上がるようになれば、逆にJが熟成していると言う形なのかもしれませんが。
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戦術家と戦術に拘泥すること

2014-11-07 23:17:50 | 日記
 最近マルセロ・ビエルサの関して多くのコラムが掲載されています。

 それは昨年を6位で終えたクラブに対し

 1・攻撃重視の3-3-3-1を持ち込んだこと
 2・一強の形が続いていたパリ・サンジェルマンを倒せる第一候補であること
 3・リヨン戦で軌道に乗っていた4-2-3-1ではなく、3-3-3-1を用いたこと

 が挙げられます。

 1と3に関しては中山淳氏のコラムを読んでの記載になりますが、ビエルサに限らず戦術家というものは、配下に適切な布陣とその意図を伝えるのがうまいのでしょうね。

 でも、一方でこうも思います。

 「別に戦術家でなくとも、一番オーソドックな形でも構わないのではないか?」

 例えば布陣を4-4-2にし、両翼からのクロスとフルバックの攻撃参加、これだけでも良いと思います。

 当然ラインは浅い設定になります。

 2000年代初頭、デル・ネリが指揮をとったキエーボを連想して頂ければと思いますし、当時はエウシェビオ・コリーニという優れたプレイ・メイカーも存在しましたね。

 サッカーは交代枠が3しか無い上に、他の競技と異なりハーフタイムを除けばタイムを取れません。

 監督がテクニカル・エリアで叫ぶのには限度がありますし、何より途中交代の選手が

 「自分に求められる役割」

 をしっかり把握する必要があります。

 戦術が単純、つまり皆が簡単に連想できるものならば、齟齬が生じる危険は少なくなります。

 ワールドカップドイツ大会、初戦のオーストラリア戦でジーコは途中交代で小野伸二を投入しますが、観客も何より小野自身が、ジーコの胸中を理解できず、完全な消化不良に終わってしまいました。
 
 「策士策に溺れる」

 これは何も武将以外の指揮官にもあてはまると思います。
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周囲から侮辱されると言う気持ち

2014-11-07 00:13:42 | 日記
 サッカーは僕たちに喜びを与えるだけでななく、苦痛も与えます。

 それは贔屓クラブの降格かもしれませんし、ワールドカップの予選敗退、好きな選手が引退を表明した時など、様々です。

 極端な例ですが、ヘイゼルの悲劇のようなスタジアムの事故、フランス・ワールドカップの際にドイツのフーリガンがフランスの警察官に暴力を働いたという、悪質な事件も含まれます。

 僕も昨日、長野市への故郷納税、南長野運動公園建設費用を2度に渡り寄付をしたと告げると

 「自分の給料が低いのに」
 「千曲市民なのに、長野市へ寄付したのか?」

 と批判されました。

 正直、僕は批判では無く「侮辱された」と感じたくらいです。

 僕は周囲から

 「塚田さんは言いやすいんですよ」

 と言われるくらい、きつい言葉を投げかけられる事が多いのですが、僕個人が

 「その人物が侮辱されたと思うような言葉遣いはしてはならない」

 と決めています。

 僕のブログで読んで頂いた方が

 「そうではないと思います」

 と思う事は幾らでもあると思います。

 一方で

 「凄くはしたない言葉使いだ」
 「選手と監督を侮辱している」

 という内容にしてはならないと、常に心がけています。

 サッカーはボールひとつあれば、皆がプレイできる稀有なスポーツですが、だからこそ選手をうつ病に陥れいれるような的外れな批判はあってはならないと思います。

 ボルトン・ワンダラーズでプレイしたスペイン代表イヴァン・カンポは、レアル在籍時、執拗なブーイングに悩まされれ、結局ベルナベウを去る形になりましたからね。

 当時に彼は本当に夜眠る事が困難だったと聞いています。

 
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服を買う事は、コンピュータを買うよりも優しい物か

2014-11-07 00:04:26 | 日記
 僕も折り畳み式携帯電話はいつまでも生産されるとは考えていません。

 ですから店員さんと話すときに必要な最低限の用語は本で勉強しますし、店頭の試作機で画面に触れることもあります。

 触れて感じる事は

 「服を買う事はコンピュータ、車を買う事よりも優しい」

 というものです。

 車は新型が発売されれば、それ以前のモデルは在庫を減らすために旧作を大幅に値引きしますが、例えばマツダのデミオはその代表例でしょうね。

 またコンピュータ、携帯も

 「果たして買い替えた際、この機能を使いこなせるだろうか?」
 「このモデルで長い間愛用できるだろうか?」
 「値段が高い方が良い機種の証明か?」

 と悩みは尽きません。

 服は試着しなくとも、手にとれば素材の良しあしがわかりますし、車、コンピュータより低価格ですから、仮に失敗しても

 「まあ今回は仕方がないか」

 と諦めることもできます。

 僕も相当試着し、吟味して買ったにもかかわらず手ばした服は幾つもありますから。

 サッカー・スパイクも本革と合皮で履き心地は違うでしょうし、欧州ブランドと国産ブランドでは木型も異なります。

 ですからカタログを熱心に見て、デザインと価格を調べてから店頭に出向いても、思っていたのとは異なったという事はあるでしょうし、これからクリスマスでスパイクが欲しいという方は注意した方が良いでしょう。

 有名選手モデルは当然

 「その選手に合う靴」

 という前提があります。

 もし履いた時の印象が悪ければ、一度店内を一周して、一度感触を落としてみてはどうでしょうか。

 もしそれでも駄目なら、諦めるべきだと感じます。
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