塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカー選手が年上女性と結婚したら

2014-11-16 23:30:38 | 日記
 サッカー選手が俳優は国家元首よりも注目されるようになり、その結婚生活、交際も大きく報道されます。

 時にサッカー選手の妻に対しての意見は凄く手厳しいですよね。

 ロベルト・バッジョとアンドレイナ夫人のように、お互いが幼少の事からの知り合いであり、交際から結婚、出産という形であれば、通常批判の対象にはならず、微笑ましいと祝福されます。

 一方で女優やレポーターが交際相手であり、おまけに年上ですと

 「年上のくせに何さ!!」
 「色仕掛けを企てたのね!!」

 と罵声が飛ぶことも珍しくありません。

 スペイン代表のふたり、ジェラール・ピケは10歳年上のシャキーラという歌手と交際し、セスクは不倫関係にあった12歳年上の女性と結婚したと聞きました。

 結婚していない僕も

 「同世代、年下、年上、どの世代と結婚したら、うまく折り合いがつくだろうか」

 と考えることもあります。

 サッカーの場合、選手が不調や病気に陥った際、妻への風当たりが相当強くありますから、年上の方が処世術に長けていると考えられているフシがあるようには思えますね。

 日本でもサッカー選手が女優、モデルと結婚した例は幾つもあります。

 でも海外ほど騒がれない事を考えれば、プライバシーの保護という観点からみれば優良であり、選手の地位という点で見ればマイナス、という形なのかもしれません。
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自分自身を知るむずかしさ

2014-11-16 23:22:39 | 日記
 僕と仲が良い、勤務先のご婦人にこう尋ねてみました。

 「傍から見ていて、僕の髪や肌、手は手入れされていると感じますか」
 「うん、手入れされていると思うよ」
 
 「じゃあ、なんで嫁さん見つからないと思います?」
 「知らないよ」
 
 身内びいきも多少あるかもしれませんが、僕の服装と嗜みは他人に不快感を与えていないようで安心しました。

 僕も薄々と感じていましたが、僕は初対面の方にどう自分の良さを伝えるべきなのか、それが自分自身でわかっていない、また僕なんかがどういう女性と恋仲になりたいのか、口にするのを恥ずかしいと思っている。

 というふたつの側面があります。

 サッカーでも合同トライアウトの季節が近づきました。

 短時間で、しかも本職のポジションでも無い場所で監督、GMに自分を見てもらうむずかしさが、トライアウトにはありますね。

 代理人と言う職業がサッカーでは当然のように存在しますが、彼らは

 1・母語以外の語学に精通している
 2・駆け引きが得意で、メディアを時に狡猾に用いる
 3・選手の為に1円でも多くの報酬を引き出す

 事を目的にしています。

 ですから代理人は、自分の交渉術だけでなく、顧客である選手の良さを前面に押し出す事で、相手クラブと対等に戦わねばなりません。

 アンドレア・ダミーコにジョルジュ・メンデス、そしてミノ・ライオラ。

 欧州でその名を轟かす代理人は日本でも知られた存在ですね、
 
 日本ですとロベルト佃氏が

 「サッカー代理人」

 をいう新書を慣行していますが、サッカーでは臆病は後退を意味するのでしょうか。
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スタジアムから駅までの景色を見て

2014-11-16 01:53:10 | 日記
 パルセイロのJ3最終戦は23日になります。

 まだ休暇申請の内容は帰って来てませんが、午後1時キックオフと言う事で、帰りはシャトルを使って北長野駅周辺を散歩したいと思います。

 行こうと思っているのは「北長野書店」と「東急ライフ」です。

 僕が高校時代、卓球部に所属していた際、この東和田運動公園まで出かけてよく公式戦を行いました。

 卓球はサッカーと異なり、個人戦と団体戦がありますから、試合の終了は個人差があるのです。

 そこで帰りが皆一緒の際は、お金もさほど持っていないのに、東急ライフのジーパン屋でジーパンを物色し、北長野書店で本を探しながら長野方面の電車到着を待っていたものです。

 今、ラーメン屋さんがあるあたりは

 「東京靴流通センター」

 があり、スニーカーに関心があった僕は、欲しい靴の目星をつけていたんです。

 中にはニューバランスをもじった「Mバランス」があったことは、まあご愛嬌なのでしょうが。

 スタジアムも行き慣れると、シャトルに頼ることなく徒歩でいけるようになれますね。

 僕は南長野運動公園の時は、帰りはシャトルを使わず、プラプラと適当に歩いて篠ノ井駅に向かいながら、疲れてしまい自分の決断を後悔する時もありますし、寄り道をせず長野まで遊びに出ることもあります。

 自分の眼で街を見つめる事
 人々の表情を観察する事

 こうした人間の尊厳を学ぶことも、大切な要因と言えるでしょう。
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サッカーにおける加害者とは

2014-11-16 01:39:35 | 日記
 僕が今読んでいる文庫本は

 「心にナイフをしのばせて 奥野修司 文春文庫」

 です。

 内容の説明は省きますが302ページから始まる文庫版あとがきのなかで、奥野氏が

 「この本は被害者側の取材が大半を占めていて、加害者側の取材が十分になされていないのはおかしい。作品として不十分ではないか」

 という指摘があったことを述べています。

 これは今も議論が絶えない少年法により、取材が大幅に制限されたという点もあるようですが、僕が感じたのは(まだ全て読み終えでいないのですが)サッカーにも同じ問題がある点です。

 それは

 「人種差別横断幕を張った人物の声を拾うべきか」
 「八百長をもつかけた人物は、永久追放されるべきなのか」
 「エトーやバロテッリを小馬鹿にするファンは、取材対象になるべきなのか」

 サッカーの世界における加害者を、僕たちが今後その存在をどう捉え、認識すべきか、というものです。

 ルチアーノ・モッジの横暴を暴くには、イタリア警察は少なくとも盗聴を辛抱強く続ける必要がありましたし、一般市民の中には盗聴という技法を不快に感じた方もいるでしょうね。

 逆にいえば、それだけ証拠を掴むことが難しいと言う意味になります。

 バナナを投げる、暴力に頼った応援をするものの言い分は、一体どんなものでしょうか?

 メディアがセンセーショナルに書き立てる点も、危険性を大きくするでしょうね。

 取材側が丹念に記そうと思っても、横やりや取材拒否、金を請求されるなど様々な障害があるかもしれませんし、命の危険に発展する可能性があるならば、それは本当に難しい事です。
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