塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

世相という物差しで過去を振り返る

2016-04-10 17:07:56 | 日記
 僕が学習用に用いてる英和辞典は、高校入学と同時に用意した三省堂の「ニューセンチュリー」と言います。

 初版は1987年でおよそ30年前となり、僕のは1992年の4刷目になります。

 見出し語も今の辞書のほうが確実に増えているでしょうし、当時は画期的だったCDロムとの併用も、今では用いられることはありません。

 冒頭に世界地図があるのですが、そこにはサッカーで知られる

 ウクライナ、セルビア、クロアチアが見当たりませんし、スーダンはスーダンのままです。

 つまり

 ペレストロイカを発端とするソ連の崩壊と、支配下にあった国の独立

 この件に関していえば、ガンバでプレイしたプロタソフやツベイバも様々な気持ちがあるでしょうし、1994年のワールドカップはロシア代表が西側企業のリーボックと契約したことも衝撃でした。

 そして旧ユーゴ連邦とその後の内線。

 これは僕が敬愛するジャーナリストのひとりである木村元彦氏が、緻密な作品を何冊も上梓しています。

 オシムの足跡がある種「大きく一人歩き」してしまうのも、1990年ワールドカップから92年の欧州選手権に至るまでの葛藤を、彼が抱えていたためです。

 スーダンは北と南に分かれてしまいましたし、世相はやはりこの30年で大きく異なりました。

 1987年はまだマラドーナとナポリが勢いを保ち、マラドーナを封じ込めるためにサッキがゾーンプレスを開発したころでした。

 レアルはキンタ・デル・ブイトレの時代であり、プレミアは旧態依然と批判されるイングランド・リーグの形でした。

 そして日本はまだアマチュアであり、プロとして本当にリーグが成功するのか、うがった見方が一般的でした。

 僕はこの辞書を使い続ける予定ですが、昔の書籍を振り返ると、様々な事柄が思い浮かびます。
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他人から惜しまれる気持ちを受けとる瞬間

2016-04-10 15:31:39 | 日記
 南長野で試合観戦を終えて長野に出かけた際、よく行く靴屋さんに向かいました。

 すると従業員の方が

 「何とか連絡先を調べて、塚田さんと連絡をとろうとしていたんですよ」
 「実は店じまいをすることになりました」

 というではありませんか。

 どうりで店内に

 「備品2割引きで販売」
 「靴、値下げしました」

 という張り紙があったはずです。

 これはみなさんの以降ではなく、住居オーナーの考えに基づくもので、長野に出かけた際によるところが一か所減って残念ですと伝えると、そう言っていただけると嬉しい。

 というお返事でした。

 サッカー選手もそうかもしれませんね。

 「移籍すると寂しくなるね」
 「引退するのか、残念だよ」

 と関係者から声がかかったとき。

 その時初めて

 ああ、俺はサッカーで飯を食うことを止める
 惜しいと感じてくれる方がいたんだな」

 と思えるように感じます。

 今日、南長野で行われたトップの試合、僕は長野放送のおかげで観戦ができました。

 昨年のSC相模原との開幕戦、有志の方が過去に在籍した選手の横断幕を準備してくださいましたが、チャリティとしてOB戦を行う案があっても良さそうに思います。
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引き際に悔やむことが無いために

2016-04-10 07:01:03 | 日記
 スタジアムに行けば9割近い方がスマートフォンで他会場の速報や、スタジアム内の写真を撮っています。

 僕の折り畳み式携帯にも、かつての南長野の様子が収まっていますし、わずか15秒であるのですが、飼い猫の映像も残っていますし、写真もある。

 でも心の中では

 「ああ、なるほど、皆が最新機器を持つことは、映像の蓄積に有利なためだな」
 「記憶、思い出を残したいと思うのが人情だ」

 と、昨日つくづく感じたものです。

 父も僕が運動会の時は随分と写真を撮っており、僕が見返すかと言えばそんなことはないのですが、それでも成長のあかしですよね。

 本田監督の下、レディースの選手たちが1部でも戦えることを証明しています。

 それは監督が

 「あなたたちが引退し、サッカーを離れる決断をしたときのため」
 「あれをすべきだったと、その瞬間に感じないために、私はあなたたちに声をかける」

 事を、選手たちに気づかせているためだと思います。

 今まで通常だった生活が通常ではなくなり、どこかそわそわした形で過ごした昨晩。

 脳裏で彼女の鳴き声や家を歩く姿を反駁していました。

 選手が引退するときにどんなことを思い浮かべるか、それは個人差があります。

 ただ、皆が会見を行うようなことがあるわけではなく、選手の多くは退団声明を出して終わりですよね。

 その時に

 「俺は引退するがよくやってきた」
 「だからこそ、引き際が大事だ」

 と思えることは、凄く大事になります。

 母が大往生だ、20年我が家を明るくしてくれたありがとうと、飼い猫に語りかけたことは本心であり、自分で別れを納得させるための姿をみて、死という動物界では当然の出来事を、改めて痛感したものです。

 
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生と死という世界の中で

2016-04-10 06:49:42 | 日記
 昨日4月9日は、僕にとって生と死を顧みる一日でした。

 パルセイロ・レディースの観戦を終えて、久々に長野市まで出向き、散策していると父から急に連絡があり、我が家の飼い猫がまもなく息を引き取るだろうというものでした。

 我が家の飼い猫は1996年から20年という長きに渡り、共に過ごしてきました。

 厳密に言いますと、僕は大学時代を除いた16年になるのですが、もう飲み水を変えなくてよい、餌の心配を心配をしなくていいという考えよりも、彼女がいたその姿が明確に思い出せない部分がある。

 本当に不可思議です。

 スタジアムでは横山の2ゴールのたびに、周囲の人と肩を抱き合い、ハイタッチをして歓喜を感じました。

 「凄いものを見せてもらった」
 「本田監督は今どんな気分かな」

 それまでは僕は歓喜という、生、自分が生きている証を知らずに感じていたわけです。

 周囲を見れば僕の母親くらいの女性が、ペナルティの新作ジャージを着て手拍子をしていました。

 彼女はペナルティというブランドを知らないでしょう。

 でも、それを買うことで、自分が生きていることを知り、クラブの応援が地域とのつながりになると感じているわけです。

 僕は選手たちがゴール裏でライン・ダンスをする際、機能は年配の男性の方と肩を組みましたが、これも生きているということですよね。

 家に帰宅すると、もう息を引き取った後でした。

 サッカーに限らず、スポーツや伝統芸能で生きる役者は、親の死に目には会えないというのが通説です。

 彼女は老齢であり、いつか別れの日が来ることは頭の中で理解できていたつもりでしたが、まさかこんな事になるとは思わず、朝も予感はありませんでした。

 だからこそ長野に出かけたわけですが、自分の決断がまずかったのを悔やんでいます。
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