塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

レスターかスパーズか、それが問題だ

2016-04-20 01:12:59 | 日記
 英国のブックメイカーは、レスターの優勝オッズに対して冷や汗をかいていると言います。

 一方でスパーズの優勝に賭けているスパーズ・ファンは

 「世紀の大逆転」
 「勝ち点差5をひっくり返すぜ!!」

 ち息巻いているかもしれません。

 近年のノースロンドンはアーセナルがけん引してきましたし、無冠が続いていたとはいえ、過去2シーズンはFAカップで優勝し、一息つくこともできましたしね。

 日本人は岡ちゃんがリーグ王者になってほしいと感じます。

 しかし、最後でスパーズはチェッカー・フラッグを潜り抜ける可能性もあると思いますね。

 もしスパーズが優勝すれば

 1・チャンピオンズ・リーグの出場と勝利ボーナス
 2・監督ポテッチェーノの名声がとどろく
 3・ハリー・ケインを軸に、主力を維持できる(王者としてチャンピオンズ・リーグ出場)

 というメリットはあるでしょうね。

 レスターは既にチャンピオンズ・リーグの出場権を得ています。

 ただ難しいのは彼らのような地方クラブが色気を出し、選手補強にお金を費やしすぎると

 スカッド・リストが膨れ上がる
 チャンピオンズ・リーグで早期敗退の際に、モチベーションが減少

 というマイナス面も生じます。

 かつてのリーズのように、得られるかもしれない賞金で予算を組むようなことはないでしょうが、レスターの優勝よりもスパーズの逆転を願う声は、案外多いかもしれません。
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写真におけるプロとアマの違い

2016-04-20 00:56:38 | 日記
 最新のスマートフォンは、黎明期とは比較にならないほど、カメラ機能が充実しています。

 キャノンやニコンのような大手ですら、スマートフォンのカメラ機能を無視できないでいますし、それらは

 「自撮り、自撮り棒、セルフィー」

 という単語で支えるファンが背景にあります。

 僕は思うのですが、どうしてみなさん、自分で自分を写真に収めたいのでしょうか?

 僕は自分で自分を写したいと考えたことは全くありませんし、ましてや友人に見せる、世界中の方に見てほしいなどと思いあがった気持ちを抱いたことすらありません。

 サッカーでも、選手たちがドレッシングルームでも写真や休日の過ごし方を公開します。

 でもサッカーにおいて写真というのは

 アフロ・エージェンシー
 共同通信社

 のような、プロが写すからこそ価値があるわけです。

 逆に言えば、これだけ一般の人間、素人が写真を好めば好むほど、純粋にプロの力量が自然と認知されるという皮肉が生じます。

 例えば2013年のJ1最終節。

 敵地川崎で破れたF・マリノスは優勝を逃し、サンフレッチェが2季連続優勝という快挙を成し遂げました。

 その際、ボール・ロストのために失点の機会を作ってしまい、ピッチで肩を震わす中村の写真が大きな反響を呼びましたが、僕はあれこそプロの仕事だと痛感した次第です。

 プロの力量とは

 1・残酷と思える場面に遭遇したら、残酷という概念を捨てること
 2・紛争地帯やダービーのような、暴力の世界があることを認識していること

 にあると思います。

 僕は写真はとりませんけどね。
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