塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーを文章にするむずかしさはどこか

2017-02-02 01:24:39 | 日記
 サッカーを文字にすることは実に難しいですよね。

 それはプレイの描写、選手や監督の心理面を記すだけではありません。
 
 ワープロ、ファックス、そしてパソコンと機械が発達した今では考えられませんが、昔は原稿用紙にペンや万年筆で執筆し、電話や速読、電報などが情報伝達の手段でした。

 聞くところによると、例えばワールドカップを「Wカップ」「W杯」と記したとします。

 すると編集長は

 「しっかりとワールドカップと書くように」
 「こちらの方が丁寧で、用紙そのものを無駄にしない」

 とたしなめたそうです。

 文字数がすくないと、原稿用紙を埋めるのが困難になり、文章がまどろっこしい物になることを避けるためだったのでしょうか。

 今はパソコンですぐに修正できますし、音声入力も発達しています。

 東芝やパナソニック製品はバッテリーの持ち時間から、タブレットとして使える機能など、機能を充実させて巻き返しを図っています。

 僕が会社で読む日本経済新聞では、ヒューレッド・パッカードの広告が良く見られますし、デルやマウス・コンピュータのように、カスタマイズや国内生産を謳うブランドも魅力的です。

 ただ、ペンだろうがパソコンだろうが、それらは全て人間によるものです。

 文章が読者に感銘を与えるかどうか。

 それは記者に人間性もそうですし、サッカーへの情熱、みずみずしい感受性も不可欠なのです。
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僕が思うテネリフェの印象

2017-02-02 01:09:37 | 日記
 僕がテネリフェと聞いて連想することは、バルダーノとレドンドです。

 レドンドはサッカー史上で最も優雅な選手、と呼ばれるほどの卓越した存在であり、もし怪我の影響がなければ、ミランでもうまくやれたと思いますね。

 このアルゼンチン代表がレアル・マドリードに移籍し、1998年と2000年、2度のビッグイヤー獲得に貢献したことは、美しく優雅であり、同時にタフな戦いを好むレアルの関係者にとっても、嬉しかったに違いありません。

 彼の美しい黒髪が長髪であることに対し、代表監督のパサレラが不満を持っていたことでも有名ですが、多くのアルゼンチン人はつまらない論争であると考えていたものです。

 バルダーノも彼同様アルゼンチン代表としてならし

 1986年のワールドカップ優勝
 レアルの監督として辣腕を振るう

 ことでも知られています。

 彼が若き日のラウルを一軍に抜擢してことも有名ですが、一方でモウリーニョ政権時代、彼と折り合いが悪かったことでも知られるようになりました。

 柴崎がテネリフェへの移籍を、妥協として結んだのか、ここでのチャレンジを希望したのか、僕にはわかりません。

 ただ、2部だからといって卑下(ラス・パルマスは1部のクラブでしたね)する必要は全くありませんし、アントラーズ時代に培ったであろう

 基本に忠実
 謙虚であり、同時に野心を持つ

 ことを見せてほしいものです。

 清武がセレッソに復帰し、乾の奮闘にも注目があつまるわけですが。
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