塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕は内田洋子のエッセイを好みます

2025-03-12 17:12:08 | 日記

 僕は内田洋子のエッセイをよく読みます。

 

 恐らく北部、南部、首都ローマを含め、ここまでイタリアという国を知り尽くしている方は、恐らく彼女だけではないでしょうか。

 

 僕は断片的に須賀敦子、できる範囲で塩野七生の著作も読んできましたが、内田洋子は彼女たちとは異なり、自分で在住し、車を運転し現地の光景を自分で確認し、執筆の糧にしてきました。

 

 彼女によると南部、つまりローマより南という地域は

 

 人々が皆、身を寄せ合って生活している

 そのため、よそ者はどうしても受け入れられない側面がある

 ミラノに代表される大都市は、人の流れが顕著であることを思うと、南部の色濃さがわかる

 

 としています。

 

 映画「若者のすべて」がこの光景を物語っていますね。

 

 ですからプロサッカーでいえば

 

 カリアリとラジャ・ナインゴラン

 レッジーナと中村俊輔

 カターニャと森本貴幸

 

 という事例は、異国の人間が南部の都市で生活し、受け入れられた側面を持つということで大きな価値があるのではないでしょうか。

 

 中村俊輔など「東洋のロベルト・バッジョ」とある種の誇大広告の中、練習施設の貧弱な中で我慢しながらプレイしていました。

 

 彼がセルティック・グラスゴーで飛躍した背景には、このイタリアでの場数、辛辣な声が肥しとなり自分のプレイを磨いたことが大きいと感じませんか。

 

 イタリアとブラジルは国民が人懐こいというのも、ぼくたちが勝手に思い描く光景かもしれませんよ。

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