~~引用ここから~~
村山富市元首相は15日、戦後75年を迎えるにあたり、平成7年の「村山談話」に託した思いとして談話を発表した。「中国・韓国・アジアの諸国はもとより、米国・欧州でも、日本の戦争を侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は全く受け入れられるはずがないことは自明の理だ」と改めて強調した。
村山談話については「世界各国の人々や政府から高い評価を受け続けているようで光栄なことだ」とした。過去を一方的に断罪した村山談話は日本の名誉と国益を損なってきたとの指摘がある。
~~引用ここまで~~
村山富市は政治も外交も国際社会というものもまるで理解していない。小室直樹が「無学の宰相」と言ったがその通りだろう。
外交的に「戦争」を「侵略」だとは絶対に認めてはいけないのだ。それが国際社会のルールであり、政治であり外交なのだ。
「侵略」と認めてしまえば100%非があることになる。無限の賠償責任も負う。外交的にも道義的にも日本の立場はなくなる。青少年の教育へも悪影響だ。「侵略者」という汚名を背負って生きていくことになる。
ロシアは旧ソ連の日ソ中立条約を破る一方的な火事場泥棒的な明々白々な侵略でも侵略とは言わない。「解放」と言っている。これが国際社会であり政治であり外交なのだ。
国際社会が村山富市が「侵略」だと認めたことを歓迎しているのは戦勝国の立場を強化するからだ。日本が自ら侵略国家だと認めた方がありがたい。支那、韓国は外交的にも道義的にも日本に優位に立てるから歓迎するに決まっている。日本人より外国、外国人を優先する政治家を「売国奴」と呼ぶのだ。
ただ「侵略」を認めた首相は村山富市が初めてというわけではない。中曽根康弘が支那に対する戦争は「侵略的」だと認めたのが初めてだし、細川護熙が侵略だったとか記者に聞かれて侵略だと答えたことがある。中曽根康弘は売国奴なのだ。
靖国神社に参拝せず河野・村山談話を踏襲する安倍晋三も変わりはない。売国奴だ。保守でも愛国者でもない。グローバル株主の飼い犬だ。
村山富市が卑劣なのは社会党の党是だった自衛隊違憲論、消費税反対論の公約を自身が首相になったとたんかなぐり捨てたことだ。社会党が永年訴えてきたことは何だったのだ。国会で薄汚い言い訳をしている。日本の戦争は侵略だが、社会党の公約違反は良い公約違反か。村山富市は安倍晋三に勝るとも劣らない詐欺師だ。
日本に対する責任も愛着もないから侵略だと認め謝罪できるわけだが、社会党の公約違反は認められないし謝罪できない。それが村山富市だ。
~~引用ここから~~
(略)
基本政策転換の言い訳
社会党は、細川政権発足の際も、自民党に対する怨念と、「政治改革」だけで結び付いた野合だと批判された。今度も、改革の路線を捨て、十分な政策協議もなく、「理念の上でも基本政策の上でも半世紀近くもの間、対立してきた自社両党が呉越同舟に踏み切った」と、村山政権発足後、最初の国会で批判された。
村山は、自衛隊違憲から合憲、「日の丸・君が代」反対から容認、日米安保反対から維持へと、基本政策を百八十度転換して自民党と足並みをそろえたのである。94年7月の国会で表明した歴史的大転換だった。
村山は94年6月29日に首班指名され、首相官邸に入った直後から基本政策転換の検討を始めたことを後に明らかにしている。わずか20日間程度で、戦後半世紀にわたって堅持してきた左翼政党としての基本理念を放棄し、ひっくり返したことになる。
これを村山は何と言い訳したか。
「何も突然変異が起こって変えるんではないんですよ。これは冷戦構造が変化していく中で社会党の党内ではずっと一貫して議論されてきているんですよ。その議論を踏まえた上で、政権にも就いたことだし、そういう立場もあって、そういう点からなされたというふうに私は思っています。従って、それは何もその公約に反したものではない」(94年10月11日・衆院予算委員会)
しかし、直前に行われた93年の衆議院選挙で基本政策の変更はしていない。一般常識からすれば、この大転換は「公約違反」である。この点を追及されると、村山はこう釈明した。
「公約がどの範囲で守られるかということについては、やはりその事態の変化に対応して選択をする幅というものは政治家に任されておるのではないか」94年10月12日・衆院予算委)
信頼喪失のルーツ
基本政策の大転換を政治家が「選択をする幅」だという村山の言い訳を振り返り、私は、今の安倍晋三首相の、この言葉を思い出した。
「これまでのお約束とは異なる、新しい判断だ」
2016年6月1日の会見で、すでに法律で2017年4月に消費税率10%へのアップが決まっていたのに、2年半も延期することを表明した時のものだ。14年に1度延期し、「再び延期することはない」と明言していた。しかし、個人消費が伸び悩み、アベノミクスの限界も指摘される中での自己防衛戦略でもあった。
公約や法律を無視する権力者の「新たな判断」を許すルーツは、村山が言う「選択をする幅」にもすでに見られていたのだ。
しかし「公約」とは言葉による公的な約束だ。そして、政治とは言葉の文化であり、そこには連綿と蓄積された歴史や精神が言葉によって継承されているはずだ。そうでなければ政治から歴史が消滅する。人間はぶつ切りされた時間空間に漂う浮き草となる。そして「公約」という言葉の意味が、時々の政治家が「選択をする幅」によってゆがめられ、「新しい判断」によって変化するのであれば政治の言葉は無意味化し、信頼は失われる。
「非自民」から「自民との連立」へ。これは社会党にとって生き残りのための究極のリアリズムだったのだろう。しかし、この後、数年足らずで、社会党は消滅状態になっていく。それは決して小選挙区制の影響だけではないと私は考える。村山らが政治から言葉が持つ秩序を奪い、むしろ言葉を弄した欺瞞を政治文化に植え付けたことへの当然の報いではなかったか。
ただ一つ、党消滅という犠牲を払ってでも、社会党には守りたかったものがあるようだ。村山は「非自民」から「自民との連立」への豹変の経緯を振り返り、こう語っている。
「(細川政権の)中はバラバラで、寄せ集めだから心棒がない。どうしても一部の者が権力を握って壟断するような姿になる。それでは政権はうまくいかない。正直言って、僕は言い訳ではなく、まだ自民党の方がましだと思ったな。(中略)政権を運営する民主的なルールについて彼らはある程度心得ている」(「証言録」)
戦後の自社対立の政治は、表で闘い裏で手を握る「自社なれ合い政治」とも揶揄されてきた。村山たちは、その「なれ合い」を否定し、「権力を握って壟断」した小沢のリーダーシップに耐えかねて、「なれ合い」に戻ってきた。 しかし、建前をかなぐり捨てて、なれ合いながら守ろうとした「心棒」は、この後、10年もしないうちにメルトダウン(炉心溶融)することになる。それは、皮肉なことに「左派リベラリズム」を吸収した、「右派リベラリズム」の衰退でもあった。(敬称略)【時事通信社「地方行政」2020年7月2日号より】
~~引用ここまで~~
最後に以前日本世論調査会の世論調査について記事を書くと書いたが、検索してもその世論調査の結果が見当たらない。その世論調査を受けて書かれた韓国中央日報の記事さえ見つからない。これでは書けない。何より支那事変から大東亜戦争を「侵略戦争」だと考えている国民が多数派だったのは残念だ。反日左翼に洗脳されてしまっているのだ。
修正。駐日ロシア大使館のツイート埋め込みに成功。
村山元首相「『侵略でない』受け入れられない」 戦後75年で談話
村山富市元首相は15日、戦後75年を迎えるにあたり、平成7年の「村山談話」に託した思いとして談話を発表した。「中国・韓国・アジアの諸国はもと...
産経ニュース
村山富市元首相は15日、戦後75年を迎えるにあたり、平成7年の「村山談話」に託した思いとして談話を発表した。「中国・韓国・アジアの諸国はもとより、米国・欧州でも、日本の戦争を侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は全く受け入れられるはずがないことは自明の理だ」と改めて強調した。
村山談話については「世界各国の人々や政府から高い評価を受け続けているようで光栄なことだ」とした。過去を一方的に断罪した村山談話は日本の名誉と国益を損なってきたとの指摘がある。
~~引用ここまで~~
村山富市は政治も外交も国際社会というものもまるで理解していない。小室直樹が「無学の宰相」と言ったがその通りだろう。
外交的に「戦争」を「侵略」だとは絶対に認めてはいけないのだ。それが国際社会のルールであり、政治であり外交なのだ。
「侵略」と認めてしまえば100%非があることになる。無限の賠償責任も負う。外交的にも道義的にも日本の立場はなくなる。青少年の教育へも悪影響だ。「侵略者」という汚名を背負って生きていくことになる。
ロシアは旧ソ連の日ソ中立条約を破る一方的な火事場泥棒的な明々白々な侵略でも侵略とは言わない。「解放」と言っている。これが国際社会であり政治であり外交なのだ。
#ソ連 と軍事主義下 #日本 との開戦75年にあたっての #日本側の広報活動 に関する
— 駐日ロシア連邦大使館 (@RusEmbassyJ) August 12, 2020
❗️#ヒトラーの同盟国、アジアおよび太平洋地域で暴虐を尽くした日本との開戦により、ソ連は極東、とりわけ軍事主義者に占領された中国と朝鮮半島における解放という使命をはたしたのです。
🇷🇺🔗https://t.co/FOp4RBBupZ pic.twitter.com/lrFp0KzMKq
国際社会が村山富市が「侵略」だと認めたことを歓迎しているのは戦勝国の立場を強化するからだ。日本が自ら侵略国家だと認めた方がありがたい。支那、韓国は外交的にも道義的にも日本に優位に立てるから歓迎するに決まっている。日本人より外国、外国人を優先する政治家を「売国奴」と呼ぶのだ。
ただ「侵略」を認めた首相は村山富市が初めてというわけではない。中曽根康弘が支那に対する戦争は「侵略的」だと認めたのが初めてだし、細川護熙が侵略だったとか記者に聞かれて侵略だと答えたことがある。中曽根康弘は売国奴なのだ。
靖国神社に参拝せず河野・村山談話を踏襲する安倍晋三も変わりはない。売国奴だ。保守でも愛国者でもない。グローバル株主の飼い犬だ。
村山富市が卑劣なのは社会党の党是だった自衛隊違憲論、消費税反対論の公約を自身が首相になったとたんかなぐり捨てたことだ。社会党が永年訴えてきたことは何だったのだ。国会で薄汚い言い訳をしている。日本の戦争は侵略だが、社会党の公約違反は良い公約違反か。村山富市は安倍晋三に勝るとも劣らない詐欺師だ。
日本に対する責任も愛着もないから侵略だと認め謝罪できるわけだが、社会党の公約違反は認められないし謝罪できない。それが村山富市だ。
~~引用ここから~~
戦後保守政治の裏側6 左派リベラリズムの衰退 政治から言葉の意味が奪われた時:時事ドットコム
社会党は、細川政権発足の際も、自民党に対する怨念と、「政治改革」だけで結び付いた野合だと批判された。今度も、改革の路線を捨て、十分な政策協...
時事ドットコム
(略)
基本政策転換の言い訳
社会党は、細川政権発足の際も、自民党に対する怨念と、「政治改革」だけで結び付いた野合だと批判された。今度も、改革の路線を捨て、十分な政策協議もなく、「理念の上でも基本政策の上でも半世紀近くもの間、対立してきた自社両党が呉越同舟に踏み切った」と、村山政権発足後、最初の国会で批判された。
村山は、自衛隊違憲から合憲、「日の丸・君が代」反対から容認、日米安保反対から維持へと、基本政策を百八十度転換して自民党と足並みをそろえたのである。94年7月の国会で表明した歴史的大転換だった。
村山は94年6月29日に首班指名され、首相官邸に入った直後から基本政策転換の検討を始めたことを後に明らかにしている。わずか20日間程度で、戦後半世紀にわたって堅持してきた左翼政党としての基本理念を放棄し、ひっくり返したことになる。
これを村山は何と言い訳したか。
「何も突然変異が起こって変えるんではないんですよ。これは冷戦構造が変化していく中で社会党の党内ではずっと一貫して議論されてきているんですよ。その議論を踏まえた上で、政権にも就いたことだし、そういう立場もあって、そういう点からなされたというふうに私は思っています。従って、それは何もその公約に反したものではない」(94年10月11日・衆院予算委員会)
しかし、直前に行われた93年の衆議院選挙で基本政策の変更はしていない。一般常識からすれば、この大転換は「公約違反」である。この点を追及されると、村山はこう釈明した。
「公約がどの範囲で守られるかということについては、やはりその事態の変化に対応して選択をする幅というものは政治家に任されておるのではないか」94年10月12日・衆院予算委)
信頼喪失のルーツ
基本政策の大転換を政治家が「選択をする幅」だという村山の言い訳を振り返り、私は、今の安倍晋三首相の、この言葉を思い出した。
「これまでのお約束とは異なる、新しい判断だ」
2016年6月1日の会見で、すでに法律で2017年4月に消費税率10%へのアップが決まっていたのに、2年半も延期することを表明した時のものだ。14年に1度延期し、「再び延期することはない」と明言していた。しかし、個人消費が伸び悩み、アベノミクスの限界も指摘される中での自己防衛戦略でもあった。
公約や法律を無視する権力者の「新たな判断」を許すルーツは、村山が言う「選択をする幅」にもすでに見られていたのだ。
しかし「公約」とは言葉による公的な約束だ。そして、政治とは言葉の文化であり、そこには連綿と蓄積された歴史や精神が言葉によって継承されているはずだ。そうでなければ政治から歴史が消滅する。人間はぶつ切りされた時間空間に漂う浮き草となる。そして「公約」という言葉の意味が、時々の政治家が「選択をする幅」によってゆがめられ、「新しい判断」によって変化するのであれば政治の言葉は無意味化し、信頼は失われる。
「非自民」から「自民との連立」へ。これは社会党にとって生き残りのための究極のリアリズムだったのだろう。しかし、この後、数年足らずで、社会党は消滅状態になっていく。それは決して小選挙区制の影響だけではないと私は考える。村山らが政治から言葉が持つ秩序を奪い、むしろ言葉を弄した欺瞞を政治文化に植え付けたことへの当然の報いではなかったか。
ただ一つ、党消滅という犠牲を払ってでも、社会党には守りたかったものがあるようだ。村山は「非自民」から「自民との連立」への豹変の経緯を振り返り、こう語っている。
「(細川政権の)中はバラバラで、寄せ集めだから心棒がない。どうしても一部の者が権力を握って壟断するような姿になる。それでは政権はうまくいかない。正直言って、僕は言い訳ではなく、まだ自民党の方がましだと思ったな。(中略)政権を運営する民主的なルールについて彼らはある程度心得ている」(「証言録」)
戦後の自社対立の政治は、表で闘い裏で手を握る「自社なれ合い政治」とも揶揄されてきた。村山たちは、その「なれ合い」を否定し、「権力を握って壟断」した小沢のリーダーシップに耐えかねて、「なれ合い」に戻ってきた。 しかし、建前をかなぐり捨てて、なれ合いながら守ろうとした「心棒」は、この後、10年もしないうちにメルトダウン(炉心溶融)することになる。それは、皮肉なことに「左派リベラリズム」を吸収した、「右派リベラリズム」の衰退でもあった。(敬称略)【時事通信社「地方行政」2020年7月2日号より】
~~引用ここまで~~
最後に以前日本世論調査会の世論調査について記事を書くと書いたが、検索してもその世論調査の結果が見当たらない。その世論調査を受けて書かれた韓国中央日報の記事さえ見つからない。これでは書けない。何より支那事変から大東亜戦争を「侵略戦争」だと考えている国民が多数派だったのは残念だ。反日左翼に洗脳されてしまっているのだ。
修正。駐日ロシア大使館のツイート埋め込みに成功。
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