~~引用ここから~~
高校普通科、画一的教育の改革を 再生実行会議が提言 2019/5/17 19:05 (2019/5/17 20:43更新) (日経新聞)
政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫前早稲田大総長)が17日にまとめた第11次提言は、高校生の7割が通う普通科の改革を求めた。教育内容が画一的で、生徒の意欲が高まる内容になっていないと指摘した。将来のキャリアを設計する能力の育成や国際的なリーダー養成など、4タイプを示し教育内容に特色を持たせるよう促している。
現在高校には普通科、専門学科、総合学科があり、2017年度の在籍数は普通科が239万人で全体の7割を占める。
普通科では国語や数学、理科、社会など基礎的な科目を主に学ぶ。文部科学省の幹部は「少子化で大学に入りやすくなり、目的意識のないまま進学する生徒が少なくない。学校は受験対策に偏りがちで、このままでは国際的な競争を生き抜く人材が育たない」と話す。高校1年生の4人に1人は学校外で勉強していないとの同省の調査結果もあり、どう意欲を高めるかが課題となっている。
同会議は視察を通じ、普通科の教育が画一的に陥り、生徒の興味関心を踏まえる内容になっていないと判断した。提言で「生徒の学習意欲に悪影響を及ぼす」と見直しを迫った。
具体的には、学習の方向性に応じてタイプ分けし、各校がどのタイプにするかを選ぶ仕組みを導入すべきだとした。案として▽キャリアを自ら形成する力▽国内外で活躍するリーダーの育成▽科学技術分野に革新をもたらす力▽地域課題の解決を通じた実践的な学習――を重視する4タイプを挙げた。中央教育審議会が詳細な検討をする。
このほか、大学入試の改革の必要性も指摘した。「文理両方を学ぶ人材の育成が急務」とし、「文系・理系に偏った試験からの脱却を目指す」ことを求めた。国は入試を見直す大学の支援を充実させるべきだとした。
高校生の就職活動で「応募は1人1社のみ」とする長年のルールについても触れ、主体的な職業選択を促すといった観点から、改善に向けた検討を促した。
また中山間地域や離島といった地理的な状況や病気療養などの児童・生徒の事情に関係なく、多様な教育が受けられるよう、希望する小中高校が遠隔教育を活用できる環境が求められるとした。
~~引用ここまで~~
政府の教育再生実行会議は高校生の7割が通う普通科の教育が画一的だとして改革を求めた。しかし高校に下手に特色など必要ない。
現在は商業高校や農業高校などが普通科高校や総合科に変わる時代なのだ。専門性は大学や専門学校からで十分だ。
高校の授業が受験対策に偏りがちという面は確かにある。それならば総合的な学習の時間を上手く活用して生徒に考えさせる授業を行ってはどうか。日教組好みの「平和学習」などをされては叶わないが。
~~引用ここから~~
塩野七生著『ローマから日本が見える』
(略)
「指導者に求められる資質は、次の五つである。
知力。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。
カエサルだけが、このすべてを持っていた」
(イタリアの普通高校で使われている歴史教科書より)
(略)
高校が単なる受験予備校となっている日本とは違って、イタリアでは普通高校は大学での専門教育を受けるに必要とされる基礎、つまり一般教養を与える機関という位置づけがされています。
_日本の旧制高校が、まさにそうでしたね。
(略)
~~引用ここまで~~
あるいは旧制中学や旧制高校の在り方を参考にしても良いのではないか。高校でも教養を学ばせるべし。戦後日本の教育はGHQに破壊された面があるからだ。まあ明治の先人が作った教育を受けて育った世代が大日本帝国を破滅に追い込んだとも言えるのだが。
大学入試、とくに私立大学の入試が文系なら英語、国語、社会の3科目のみで、下手をすれば英語、国語の2科目のみ、理系の科目を最初から「捨てて」しまう。
その是正を求めることは正しい。文系の学生でも数学を学ばせたい。やはりそれには大学入試の改革が早道で受験対策として必要であれば嫌でも勉強せざるを得ない。
大学入試に国語、数学などの科目ごとの試験のみをするのではなく、教養が身についたかを測る入試を科せれば高校の授業、学校外での学習に幅を持たせることができるだろう。どんな大学入試すれば良いのか想像がつかないが。
また大学入試を改革するならば指定校推薦やAO入試の類いを廃止するか大幅に減らし、ペーパー試験の比率を増やすべきだ。
偏差値秀才と揶揄される面はあるがペーパー試験はなんといっても公平だ。高校まで不登校になったり、落ちこぼれたりした子供(成人しているかもしれないが)でも可能性はある。割合は僅かだろうが。
今回の提言にはないが、英語教育は抜本から見直すべきだ。小学校から英語を学ばせるのではなく、中学、高校の6年間で話せる英語力を身につけるようにする。
社会人が英会話教室に6年も通って英語を話せるようにならなきゃ詐欺だろう。日本の英語教育は専ら「書く」力を育てることに偏っているがそれを改めれば良い。あるいは中学、高校の6年間に大学の4年間(教養を学ぶ前半の2年間でか?)を加えて話せるようにするでも良い。
政府の行う教育改革が小学校から英語を学ばせるとか、センター試験を記述式にするとか、ゆとり教育とか間違ったものばかりだ。
首相や政治家の思いつきで教育を変えたり、教育を担当する省庁である文部科学省の官僚の質が悪いことが問題の根元だろう。
ゆとり教育の推進役の寺脇研や事務次官があの前川喜平では文部科学省の官僚の質は推して知るべしだ。
首相は教育を改革したがり、そのために有識者会議を召集する。しかしその有識者会議の思いつきが理に叶っているとも思えない。中央教育審議会の会長を山崎正和が務めていたことから中央教育審議会もあまり人選が妥当とは思えない。
日本の行政は官僚の責任逃れのためか、話し合い絶対主義のためか「審議会」だらけだ。人事権は官僚が握っているので自ずと官僚に都合の良い結論になるだろうが。とくに「財政審」などは。
普通科高校に下手に特色を求めるよりも、受験対策に偏重している教育を改めるべきだ。高校でも教養を学ばせるべきだ。
そのためには大学入試を変えて教養が身についたかを測る試験にすれば良い。受験対策をすればするほど教養が身につく大学入試になれば高校の段階で教養が身につく。
高校普通科、画一的教育の改革を 再生実行会議が提言 2019/5/17 19:05 (2019/5/17 20:43更新) (日経新聞)
政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫前早稲田大総長)が17日にまとめた第11次提言は、高校生の7割が通う普通科の改革を求めた。教育内容が画一的で、生徒の意欲が高まる内容になっていないと指摘した。将来のキャリアを設計する能力の育成や国際的なリーダー養成など、4タイプを示し教育内容に特色を持たせるよう促している。
現在高校には普通科、専門学科、総合学科があり、2017年度の在籍数は普通科が239万人で全体の7割を占める。
普通科では国語や数学、理科、社会など基礎的な科目を主に学ぶ。文部科学省の幹部は「少子化で大学に入りやすくなり、目的意識のないまま進学する生徒が少なくない。学校は受験対策に偏りがちで、このままでは国際的な競争を生き抜く人材が育たない」と話す。高校1年生の4人に1人は学校外で勉強していないとの同省の調査結果もあり、どう意欲を高めるかが課題となっている。
同会議は視察を通じ、普通科の教育が画一的に陥り、生徒の興味関心を踏まえる内容になっていないと判断した。提言で「生徒の学習意欲に悪影響を及ぼす」と見直しを迫った。
具体的には、学習の方向性に応じてタイプ分けし、各校がどのタイプにするかを選ぶ仕組みを導入すべきだとした。案として▽キャリアを自ら形成する力▽国内外で活躍するリーダーの育成▽科学技術分野に革新をもたらす力▽地域課題の解決を通じた実践的な学習――を重視する4タイプを挙げた。中央教育審議会が詳細な検討をする。
このほか、大学入試の改革の必要性も指摘した。「文理両方を学ぶ人材の育成が急務」とし、「文系・理系に偏った試験からの脱却を目指す」ことを求めた。国は入試を見直す大学の支援を充実させるべきだとした。
高校生の就職活動で「応募は1人1社のみ」とする長年のルールについても触れ、主体的な職業選択を促すといった観点から、改善に向けた検討を促した。
また中山間地域や離島といった地理的な状況や病気療養などの児童・生徒の事情に関係なく、多様な教育が受けられるよう、希望する小中高校が遠隔教育を活用できる環境が求められるとした。
~~引用ここまで~~
政府の教育再生実行会議は高校生の7割が通う普通科の教育が画一的だとして改革を求めた。しかし高校に下手に特色など必要ない。
現在は商業高校や農業高校などが普通科高校や総合科に変わる時代なのだ。専門性は大学や専門学校からで十分だ。
高校の授業が受験対策に偏りがちという面は確かにある。それならば総合的な学習の時間を上手く活用して生徒に考えさせる授業を行ってはどうか。日教組好みの「平和学習」などをされては叶わないが。
~~引用ここから~~
塩野七生著『ローマから日本が見える』
(略)
「指導者に求められる資質は、次の五つである。
知力。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。
カエサルだけが、このすべてを持っていた」
(イタリアの普通高校で使われている歴史教科書より)
(略)
高校が単なる受験予備校となっている日本とは違って、イタリアでは普通高校は大学での専門教育を受けるに必要とされる基礎、つまり一般教養を与える機関という位置づけがされています。
_日本の旧制高校が、まさにそうでしたね。
(略)
~~引用ここまで~~
あるいは旧制中学や旧制高校の在り方を参考にしても良いのではないか。高校でも教養を学ばせるべし。戦後日本の教育はGHQに破壊された面があるからだ。まあ明治の先人が作った教育を受けて育った世代が大日本帝国を破滅に追い込んだとも言えるのだが。
大学入試、とくに私立大学の入試が文系なら英語、国語、社会の3科目のみで、下手をすれば英語、国語の2科目のみ、理系の科目を最初から「捨てて」しまう。
その是正を求めることは正しい。文系の学生でも数学を学ばせたい。やはりそれには大学入試の改革が早道で受験対策として必要であれば嫌でも勉強せざるを得ない。
大学入試に国語、数学などの科目ごとの試験のみをするのではなく、教養が身についたかを測る入試を科せれば高校の授業、学校外での学習に幅を持たせることができるだろう。どんな大学入試すれば良いのか想像がつかないが。
また大学入試を改革するならば指定校推薦やAO入試の類いを廃止するか大幅に減らし、ペーパー試験の比率を増やすべきだ。
偏差値秀才と揶揄される面はあるがペーパー試験はなんといっても公平だ。高校まで不登校になったり、落ちこぼれたりした子供(成人しているかもしれないが)でも可能性はある。割合は僅かだろうが。
今回の提言にはないが、英語教育は抜本から見直すべきだ。小学校から英語を学ばせるのではなく、中学、高校の6年間で話せる英語力を身につけるようにする。
社会人が英会話教室に6年も通って英語を話せるようにならなきゃ詐欺だろう。日本の英語教育は専ら「書く」力を育てることに偏っているがそれを改めれば良い。あるいは中学、高校の6年間に大学の4年間(教養を学ぶ前半の2年間でか?)を加えて話せるようにするでも良い。
政府の行う教育改革が小学校から英語を学ばせるとか、センター試験を記述式にするとか、ゆとり教育とか間違ったものばかりだ。
首相や政治家の思いつきで教育を変えたり、教育を担当する省庁である文部科学省の官僚の質が悪いことが問題の根元だろう。
ゆとり教育の推進役の寺脇研や事務次官があの前川喜平では文部科学省の官僚の質は推して知るべしだ。
首相は教育を改革したがり、そのために有識者会議を召集する。しかしその有識者会議の思いつきが理に叶っているとも思えない。中央教育審議会の会長を山崎正和が務めていたことから中央教育審議会もあまり人選が妥当とは思えない。
日本の行政は官僚の責任逃れのためか、話し合い絶対主義のためか「審議会」だらけだ。人事権は官僚が握っているので自ずと官僚に都合の良い結論になるだろうが。とくに「財政審」などは。
普通科高校に下手に特色を求めるよりも、受験対策に偏重している教育を改めるべきだ。高校でも教養を学ばせるべきだ。
そのためには大学入試を変えて教養が身についたかを測る試験にすれば良い。受験対策をすればするほど教養が身につく大学入試になれば高校の段階で教養が身につく。
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