この記事は2月中旬に予告しました追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」の詳細報告です。
これまでの記事は弊ブログの以下の記事をご一読ください。
Харухиса Ватанабэ - 10 лет (渡辺大剛・あれから10年)
故・渡辺大剛さんの慰霊碑の所在地とアクセス
10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告①
10周年追悼企画「渡辺大剛・あれから10年」プロジェクトは、ムルマンスク州を縦断リレー式で開催されました。
中国・ウルムチ~ロシア・ムルマンスクの自転車の旅で、故・渡辺大剛さんが果たせなかった残り区間を走破するように。
事故地点はカンダラクシャ地域郊外でしたので、そこから最も近い町カンダラクシャ市からスタートしました。
地名の由来は諸説あるようで、「カンダ川畔の町」とか、サーミ語の「«кант(荷袋)»と«лухт(湾)»」の合成語とかから来ているらしい。
11月2日。朝ムルマンスク駅を出発して、昼3時頃カンダラクシャ駅に到着。
250kmも離れているので、移動が大変です。
駅には、今回会場となる市立図書館第3分室の室長のカーチャさんが迎えに来てくださいました。
早速大荷物と共に第3分室へ。
数時間かけて全展示物を配置。
もうすぐ極夜ということもあり、完成した6時頃には辺りはすっかり暗くなってました。
その後はカーチャさんが宿泊手続きと中心地の案内をしてくださいました。
先ずはお宿。市内最安値の「ベロモリエ(Беломорье)」を予約してありましたので、入館。
ソ連時代を髣髴とさせる、ホテル外観とロビー。
滅多に来ない外国人客にロビーは少々パニックになってました。
無事手続き終了し、自室へ。
中もやっぱりソ連感・・・・。ソビエト懐古趣味がおありの方々にとっては、ジワリくる内装でしょう。
その晩は近くで夕飯を済ませ、就寝。
翌朝。ホテルの朝食を摂りにレストランへ。
ソビエト懐古趣味の方々の期待を裏切らない「ソ食」でした・・・・(写真左から店内の様子、1日目、2日目の朝食)。
時間が有ったので、周辺を少し散歩しました。
ホテル前は大広場になっていて官公庁施設も有ります。
カンダラクシャ市は市創設から500年も経過しています。
ムルマンスク市より先輩です。
そして国家の肝いり現代化プロジェクト「Национальные проекты」が少しずつ入り、所々デザインアップされてますが、
室長のカーチャさん曰く「昔と全然変わってない」そうです。
中心地から少し離れると、このような感じです。
やはり「全然変わってない」?
たまに、プロジェクトの1つである壁画アートが見受けられます。
市近くにある白海はベルーガ(シロイルカ)の故郷とされているので、こんなかわいい壁画も登場。
市立図書館第3分室に移動し、まだ時間があったので、近くの海辺にも行ってみました。
水が透明です。この辺も、観光地にすべく海浜開発が進んでいます。
開始前の腹ごしらえ。分室近くのカフェで昼食。
シンプルでしたが、美味しかったです・・・・(写真左から店の外観、1日目、2日目の昼食)。
さて14時になったので、写真展開催です。
初日と2日目にプレゼンテーションとして、「Мечтатель за той горой(あの山の向こうの夢想家)」を公開しました。
渡辺さんの生い立ちと軌跡などを30分弱に編集した、ドキュメンタリービデオです。
初日は平日なのにも拘らず、多くの方に来て頂きました。
その後は、日本文化を体験してもらうため、手芸教室、書道教室、着物着付け教室を開催。
手芸教室では、栞タイプの姉様人形を作りました。
特に子供達に受けて、最後のクリスタルシールで髪飾りするときが一番テンションが上がってました。
書道教室は、渡辺さんを表す漢字をいくつかピックアップし、毛筆を使って書きました。
ちょっと私の気合が入りすぎたようで、見本となる絵の背景画が凝ってしまいましたxxx。
でも皆さんも気合を入れて書いてくれました。
着付け教室も多くの人が体験されました。
いつも思いますが、ロシアの方は全てのサイズが大きく、特に手足が5~10cm長いです。
このため、日本の規格の着物を着せると、ツンツルテンの七分袖ぐらいになってしまいます。
通常の和服だとそれじゃアウトですが、その点浴衣は多少短くても構わないのでいいですね。
ロシア人のための浴衣を今度協会メンバーと作りますので、その点をしっかり反映させなくては。
カンダラクシャ市は、前回は渡辺さんの追悼サイクリングで訪れ、今回で2回目となります。
いろいろな市民の方と交流できてとてもよかったです。
でも仕事で慌しかったので、今度訪れるときは私用で十分な時間を割いて、いろいろな所を見て廻りたいです。
これまでの記事は弊ブログの以下の記事をご一読ください。
Харухиса Ватанабэ - 10 лет (渡辺大剛・あれから10年)
故・渡辺大剛さんの慰霊碑の所在地とアクセス
10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告①
* * * * * * * * * *
10周年追悼企画「渡辺大剛・あれから10年」プロジェクトは、ムルマンスク州を縦断リレー式で開催されました。
中国・ウルムチ~ロシア・ムルマンスクの自転車の旅で、故・渡辺大剛さんが果たせなかった残り区間を走破するように。
事故地点はカンダラクシャ地域郊外でしたので、そこから最も近い町カンダラクシャ市からスタートしました。
地名の由来は諸説あるようで、「カンダ川畔の町」とか、サーミ語の「«кант(荷袋)»と«лухт(湾)»」の合成語とかから来ているらしい。
11月2日。朝ムルマンスク駅を出発して、昼3時頃カンダラクシャ駅に到着。
250kmも離れているので、移動が大変です。
駅には、今回会場となる市立図書館第3分室の室長のカーチャさんが迎えに来てくださいました。
早速大荷物と共に第3分室へ。
数時間かけて全展示物を配置。
もうすぐ極夜ということもあり、完成した6時頃には辺りはすっかり暗くなってました。
その後はカーチャさんが宿泊手続きと中心地の案内をしてくださいました。
先ずはお宿。市内最安値の「ベロモリエ(Беломорье)」を予約してありましたので、入館。
ソ連時代を髣髴とさせる、ホテル外観とロビー。
滅多に来ない外国人客にロビーは少々パニックになってました。
無事手続き終了し、自室へ。
中もやっぱりソ連感・・・・。ソビエト懐古趣味がおありの方々にとっては、ジワリくる内装でしょう。
その晩は近くで夕飯を済ませ、就寝。
翌朝。ホテルの朝食を摂りにレストランへ。
ソビエト懐古趣味の方々の期待を裏切らない「ソ食」でした・・・・(写真左から店内の様子、1日目、2日目の朝食)。
時間が有ったので、周辺を少し散歩しました。
ホテル前は大広場になっていて官公庁施設も有ります。
カンダラクシャ市は市創設から500年も経過しています。
ムルマンスク市より先輩です。
そして国家の肝いり現代化プロジェクト「Национальные проекты」が少しずつ入り、所々デザインアップされてますが、
室長のカーチャさん曰く「昔と全然変わってない」そうです。
中心地から少し離れると、このような感じです。
やはり「全然変わってない」?
たまに、プロジェクトの1つである壁画アートが見受けられます。
市近くにある白海はベルーガ(シロイルカ)の故郷とされているので、こんなかわいい壁画も登場。
市立図書館第3分室に移動し、まだ時間があったので、近くの海辺にも行ってみました。
水が透明です。この辺も、観光地にすべく海浜開発が進んでいます。
開始前の腹ごしらえ。分室近くのカフェで昼食。
シンプルでしたが、美味しかったです・・・・(写真左から店の外観、1日目、2日目の昼食)。
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さて14時になったので、写真展開催です。
初日と2日目にプレゼンテーションとして、「Мечтатель за той горой(あの山の向こうの夢想家)」を公開しました。
渡辺さんの生い立ちと軌跡などを30分弱に編集した、ドキュメンタリービデオです。
初日は平日なのにも拘らず、多くの方に来て頂きました。
その後は、日本文化を体験してもらうため、手芸教室、書道教室、着物着付け教室を開催。
手芸教室では、栞タイプの姉様人形を作りました。
特に子供達に受けて、最後のクリスタルシールで髪飾りするときが一番テンションが上がってました。
書道教室は、渡辺さんを表す漢字をいくつかピックアップし、毛筆を使って書きました。
ちょっと私の気合が入りすぎたようで、見本となる絵の背景画が凝ってしまいましたxxx。
でも皆さんも気合を入れて書いてくれました。
着付け教室も多くの人が体験されました。
いつも思いますが、ロシアの方は全てのサイズが大きく、特に手足が5~10cm長いです。
このため、日本の規格の着物を着せると、ツンツルテンの七分袖ぐらいになってしまいます。
通常の和服だとそれじゃアウトですが、その点浴衣は多少短くても構わないのでいいですね。
ロシア人のための浴衣を今度協会メンバーと作りますので、その点をしっかり反映させなくては。
カンダラクシャ市は、前回は渡辺さんの追悼サイクリングで訪れ、今回で2回目となります。
いろいろな市民の方と交流できてとてもよかったです。
でも仕事で慌しかったので、今度訪れるときは私用で十分な時間を割いて、いろいろな所を見て廻りたいです。