かの月の とほき心も 引かるれば あつきおもひを うたはむものを
*「引かるれば」の「るれ」は可能の助動詞「る」の已然形ですね。「る」は動詞の未然形につき、「引かる」で「引くことができる」と訳されます。接続助詞「ば」は未然形につくか已然形につくかで意味が変わると辞書にありますが、実情はけっこういいかげんだったようです。そう細かく気にすることはない。この場合は「引くことができたなら」と仮定条件で訳しましょう。
あの月にたとえられる人の遠き心も、糸のように引いてくることができれば、近くによってこのあつい思いをうたうだろうものを。
とても遠すぎるし、糸で引くことなどできはしないのだ。
かなわぬ恋というのは難しい。
恋のみづに浸っているときの、悩みまどう情感の中にいると、自分のつらさもしびれて、ひとは自分がなにものかになっていくかのような、上昇感に似た思いに酔ってしまうのだ。
なかなか出て来れない。あの人が遠ければ遠いほど思ってしまう。
思うてもむだなことは思わないほうが良いのは本当だ。それができればそれほど簡単なことはない。むだなことでもやりつくしてしまうのが恋というものだ。
まあ、それにも限界というものがありますがね。
しかし無駄なことというのも必ずしも無駄だというわけではない。無駄なことと思ってやっていることの中から何かが芽生えてくることがある。やりつくしてしまった自分の愚かさを土壌にして、全てをやり直すために新たな種をまくと、そこから新しい自分も芽生えてくるというものです。
一切は馬鹿なことだったのだと、認めることができさえすれば。
益体のない恋など捨てるほうがいいのだが。捨てることができなければ、ある程度は迷ってみるのもいいでしょう。その焦り、苦しみ、悲しみ、恨みつらみ、味わった感情全てが自分のものになる。
経験値を稼ぐことができる。
恋というものほど、人間の情感を太らせるものはありません。ただし、馬鹿になり過ぎる前に、自分でなんとかできねばなりませんよ。
身を捨つる 恋の恨みも なよ竹の 夜々をかさねて 忍び果てにき 夢詩香