こんなこと 馬鹿だったわと 気づいたら そこが自分の 美人の始まり
*大火節が続きます。これは、ある天使まねの馬鹿女を観察していた時にできた歌です。
その女性は、ネットで見たのですがね、絶妙にかのじょの真似をしていました。そっぽを向いてね、とてもいい女だというふりをするのです。髪型も微妙に変えつつ、しっかり真似している。
あまりに上手にまねをしているので、見ていて、いやだなあ、と思っていたのですが、しばらくしてまた見てみると、本霊が退いて傀儡になっていました。どうも、だれかに何かきついことを言われたらしい。
自分が嫌なことになると、馬鹿女はすぐに自分をやめるので、ああ、またかと思っていましたが、しばらくしてまた見ると、本霊が帰ってきている。だれかに戻されたか、はたまた自分で戻ってきたのかはわかりませんでしたが、なんとなく、嫌だという感じがしなくなっていました。
要するに、本人が、こんなことは馬鹿だったのだと気付き始めたのです。
ひとの真似して美人になって、人をだまそうとすることなんか、馬鹿なことなのだと、自分で気づいたのです。
そうしたら、嫌な感じが消えて、なんだかとてもいい感じに見えました。本霊の境地の加減で、姿は変わらなくとも、雰囲気がよくなってきたのです。
まあ、それからまた揺らいで、逃げたり、帰ってきたりをいまだに繰り返しているのですが、その女性の霊魂は、自分が成長するための気づきを捕まえたのだということは、わかりました。
気付いたら、とたんにその女性が、なんとなくきれいに見え始めたのです。
つまりは、人まねのずる美人から離れて、本当の自分に帰ってきたのです。いや、来つつあるのです。
もちろん、まだまだ美人というには遠いのですがね、気づいたというだけで、好もしく見える。
その気づきから、本当の自分を立て直して、自分を正直に生きていけば、本当の美人への道が始まるのです。
その女性はまだ揺らいでいます。当然のことだ。気づきというのは、霊魂の革命ですから、ゆりもどしも何度もあるでしょう。だけど、馬鹿にならずに、本当の自分に帰ってきてほしい。迷いの中にも、確かに自分を捕まえてほしい。
そうすれば、この世界に、本当の女性がひとり増えることになるからです。
くはしめの 道はかたくも 清ければ まことのわれを かけてもゆかむ
まだまだ調子が出ませんね。