夏は来て 飛ぶわれを知る つばめかな 夢詩香
*少し前に、第3館で、「燕の子」という小説をやりましたね。あれに、米屋の軒下に編まれた燕の巣が出て来ましたが、実はこの近所の米屋さんの軒下に、本当に燕の巣があるのです。
わたしたちは毎日、近くの神社にお参りしているのですが、そこにいく道のりの途中に、その燕の巣があるのです。
毎日見ていると、燕の子がどんどん大きくなっていくのがわかる。そしてある日、突然ヒナは巣を出て、巣の周りの電線にとまっていたりする。
巣立ちをしたわけですが、なんだかそれがドラマチックにうれしくて、しばらく燕を眺めていたものでした。
燕の子は飛ぶことができる自分を、夏が来れば知るのだ。
毎年繰り返される燕たちの巣立ちに、人間の霊魂の進歩も隠喩されているような気がします。
人間の魂も、いつか燕のように飛ぶことができるようになるのだと。
今はそのために、伸びてきた感性を使って、いろいろなことをしている最中なのだ。
燕の翼が伸びてくるまでに、親鳥はひっきりなしにえさを運んでくる。そのように、神や天使や、そのほかの高い存在たちが、あらゆる投資をして、人間を育ててきた。そしてようやく、人間の魂に翼が生えてきた。
まだ飛ぶまでには来ていませんがね、しかし飛ぶことができるようになるのも、もうすぐだ。
飛ぶということが隠喩していることとは何でしょうか?
幻の世界で繁茂していた虚偽を捨て、真実の空に飛び込んでくるということです。
燕の飛ぶ空のように、真実の空には、人間存在が永遠に成長していける、あまりにも広い世界があるのです。