そにどりよ 何を頼りて 水を睨む 夢詩香
*昨日「鴗(そび)」という言葉が出てきたので、詠んでみました。「そび」または「そにどり」というのは、カワセミの古名です。
カワセミよ、おまえは何を信じて水を睨むのか。
「睨む」は「ねむ」と読んでください。
カワセミは、英名をキングフィッシャーというほど、魚を獲るのが上手です。一度水に飛びこめば、必ず小さな魚をくわえて戻ってくる。一体なぜ、カワセミにはそんなことができるのでしょう。
カワセミはもう、自分がそれをできることを知っている。信じて疑わない。だからやっている。だが、なぜできるのかということを、考えることはまだできない。
真実の姿を言えば、あれは本当はカワセミ自身がやっているのではなく、神がおやりになっているのです。だからあそこまで見事にやることができるのです。
カワセミはそんなことは知らない。ただ単純に、自分がやっているものと信じ切っている。
この世界には、自分がやれていると思っていることでも、本当は違うものが、まだできない自分の代わりにやってくれているということがあるのですよ。
自己存在というものは、そういう助け合いを、自然にやるものなのです。
なぜそんなことをやるのか。もちろん、愛しているからです。カワセミの霊魂の代わりに、その活動をやってやることによって、神はカワセミに生きることを深く教えている。カワセミは何もわからないうちに、神の教えを刷り込まれているのです。
麗しいでしょう。
カワセミが、知らないうちに信じている自分は、神なのです。カワセミが単純に信じている自分の中には、神の雫がある。だからこそカワセミは美しい。知らぬうちに、神の流れを自分の中に呼び込んでいる。
まるで宝石のようだ。
あなたがたの中にも、神の雫はあるのですよ。それは愛の響きだ。それを感じることができるようになれば、あなたがたは神を、むさぼるように信じるようになるでしょう。