とにかくも 美人になれば うまくいく それが女の 業ってものか
*最近、少しだけですが、ツイッターの歌が復活しています。まだまだ本調子ではありませんが、大火節にひきずられて、わたしも少し出てきています。表題の歌は大火のものです。
軽くさらさらと詠んだ感じですが、言い得て妙と思い、とりあげてみました。
とにかく美人になればうまくいく、というのは馬鹿な女の思い込みのようなものですね。彼女らは、そういう生き方しかしてこなかったのです。人から美貌を盗んで自分を美人にすれば、痛い男がそれに騙されて、女のためになんでもするものですから。
盗みで美人になって、男に何もかもやらせて、自分では何も努力してこなかった。そういう女が、人類の中にたくさんいる。
偽物の美人というのは、美人になれば、男がなんでもやってくれて、すべてそれだけで何とかしようとする女のことです。背景には女性の弱さがある。どうしても男に痛い感じで依存しなければ生きていけない。男に対する対抗心もある。男に女が勝とうとすれば、美貌とセックスを利用して、支配していくよりない。
そういう女は、まるで病原体のように男に取りつき、男を頭から支配して何でもやらせようとするのです。
痛いですね。表題の歌はこれを、女の業、とひとことで言っているのですが、要するにそれは、女性の弱さゆえの愚かさだということになりましょうか。女性は、自分たちの宿命に、こういう愚かさに流れやすい傾向があるということを、学んでいなければなりません。
正しい女性は、女性の弱さゆえの甘えに流れず、女性だからこそ確かに自分を立てていかねばならない。そのうえで、神を行ずるという女性の使命ができていかねばなりません。
腐った女性ほど、世間に害するものはない。簡単に美貌を盗んで美人になりすまし、男を支配して思い通りの人生を手に入れようとする。
これはあまりにも醜い、女性悪ということができましょう。