はしための ことをつくして われをひき 神を学びて くはしめの道
*先日、久しぶりに大火がツイッターで悪乗りをしかけました。これはそのときにわたしが詠んだものですが。
「くはしめ」は「美し女」で、きれいな女性のことです。まあ何度も使ってわかっているでしょうが、何度も勉強するのがここでのやり方です。「くはし(美し、細し)」は、細やかで美しいという意味の形容詞です。
「はしため」は「端女」、召使の女性のことですが、要するに、ほんとうの美人になりたいのなら、人の下になって働いて、人に尽くすことをまじめに勉強しろということなのです。それをはしため修行というのだが。
人間というものは、勉強したことでないと、身につきません。何もやったことのない人は、何もわからないのです。人の下になって人に尽くしたことのない人は、やさしさというものが身に付きません。やさしさというものは、人に尽くしていくという勉強を通して身につくものだからです。
自分を抑えて、人の気持ちを推し量り、人の気持ちに添ってやることができる。そういう修業をしない限り、人間は人の気持ちを理解することができず、自分のことばかり考える馬鹿になってしまうのです。
はしための修業をつくして、自分を引くことができ、神を学んでいく、これが美しい女性への道なのだ。
言いつくしている感がありますね。本当の美人というものは、心がやさしくないといけない。神を知っていなければならない。神とはみんなの幸せを考えてくださる存在ですから、女性はその心を知り、みんなの幸せのために働くことができねばならない。
このはしため修業ができていない人は、いつもわがままばかりを言って、人を馬鹿にします。自分のことしか考えられない。そういう人が、盗みで美人になっていたりすると、とても醜いお化けになる。
自分の表面だけをきわめて美しく磨き上げて、ほかの人を馬鹿にしようとする、とても心の醜い女性になってしまうのです。いやそれは女性とも言えません。
本当の女性は、必ず人の心を思うものだからです。
自分ばかりきれいにして、周りの人を馬鹿にしていれば、人がどんなに苦しむかということを、心で感じることができなければ、それは女性とは言えません。
心の修業ができていない女性は、女性ではないのです。それは女性以前の女性か、あるいは、女性ではなくなった女性のことです。