凡庸の みづに溺れて よきことも せずに玉欲る さかさまの猿
*スランプ中とあって、少し気に入らないのですが、とりあげてみました。
「欲る」は「ほる」、欲しがるという意味ですね。
さかさまとは、ものごとの道理を逆にしているという意味です。このさかさまの猿というのが、歌としてはどうも歯切れが悪いですね。意味はわかりますが。もっと、いい歌い方はないものかと悩みますけれども、いまのところこれ以外に適当な語句を思い浮かびません。
凡庸の水に溺れるということは、平均的あるいはそれ以下の自分に安住して、何も努力せず、だらだらと日々を過ごしているということだ。
ひとのためによいことなど何もしていないのに、要するに徳分を稼げるほど働いてもいないのに、天使並みの外見を欲しがる。そういうものは、天と地の道理をさかさまにしている猿のようなものだ。
道理を逆にして、猿のほうが賢いのだにしてしまえば、馬鹿も天使並みに美しくなるというものか。
天使まねの馬鹿女、あるいは馬鹿男とは、高いものほど美しくなるというものごとの正しい道理を、まったく逆にしている馬鹿なのです。
そういう意味をこめて、「さかさまの猿」などとしたのだが、ここだけ意味が強くて、歌としてはいいように思えません。どうにかして、もっと軽くできないものか。
凡庸の みづに溺れて よきことも せずに欲しがる たかどのの玉
よくありませんね。幾分軽くなったが、わかりにくくなった。どうも調子が出ません。まだまだスランプの闇から出られないようだ。まあとにかく、言いたいのは、凡庸に甘えて、努力しない人ほど、高いものを欲しがるということなのです。
努力している人は、それがどんなに尊いものかということがわかりますから、自分に不似合いなものは欲しがりません。自分以上に自分を高く設定することを、恥と思うのです。そんなことをすれば、自分の努力を侮辱することになる。自分自身の美も、自分の努力に似合ったものでいいと思う。それが美しいのだが。
凡庸に溺れる馬鹿は、努力なんてしたことがありませんから、それがどんなに大変なことかということもわからず、平気で人の努力の玉を盗み、自分にくっつけるのです。