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まるのまま 捨つる椿の 潔さ 夢詩香
*あまり写真がよくないですが、椿の写真がほかになかったので、使いました。
椿は散るとき、サザンカのように花びら一枚一枚を落とさず、花をまるごと落としますね。その様子が首を落とされることに似ているので、武士などには嫌われたそうですが。
かのじょはよく、痛いものを捨てました。
それがあれば人類を救えるという日記を書いて、なんの迷いもなくすぐに捨てた。また、この人生を明け渡してくれと言われたときも、そうなのですかと言って、すぐに渡した。
人間ならとても捨てることができないようなものを、あの人は本当に軽く捨てるのです。なぜそのようなことができると思いますか。
神の愛を知っているからです。
大事なものを捨てる時、何も苦しみがないということはありません。あの日記を書いた時、どんな苦労があったかを、知っている人はいるでしょう。それでもそれを捨てることができるのは、神が自分を使い、深く人間を愛そうとしていることを、知っているからです。
あれは神の愛なのです。神が、かのじょを使い、書かせたものなのです。だからそれを自分のものにすることなどできるはずがない。それをわかっていたから、かのじょはそれを神にさしあげたのです。
神はそれで、もっと激しくかのじょを愛したのです。かのじょのために、なんでもしてくださっている。そう、このように、わたしを使い、神のかのじょへの愛を表現なさっている。
神の愛はそういうものだ。それを知っているからこそ、その愛が何をしてくれるかということを知っているからこそ、大事なものを捨てることができる。この世の名声よりも富よりも、もっとすばらしい愛があることを、あの人は知っている。
人間の馬鹿な男たちは、かのじょのそういう深い知性を知りませんでしたから、欲深い女が来るだろうと思っていたところに、大きな穴をあけておいた。だがかのじょはそちらに来なかった。それだけで、大勢の馬鹿がその穴に落ちた。墓穴を掘るということわざがそのまま現れたようなことでしたね。
男の謀略など、女の無欲の前には、なんの力も持ちえないのです。ダイヤの指輪をあげると言っても、いらないと言われれば、終わりです。
女性たちは神の愛に生きなさい。神の愛を知りなさい。浅はかな男がくれる富よりも、そこにこそ不思議な富があることを勉強しなさい。
そして椿の花のように、潔く、自分の花を捨てなさい。
そうすれば、まことに美しい女性になれることでしょう。