比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

ヒマラヤ夢幻・・・水の都ポカラ・・・ペワ湖から・・・聖なる山「マチャプチャレ」

2021-10-19 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・
雪の棲み処・・・ヒマラヤ夢幻・・・
ヒマラヤ・・・サンスクリット語で[雪の棲み処

ネパールの首都カトマンドゥから西へ200㎞、ポカラ。人口264000人、ペワ湖の畔、標高827m、ネパール第二の都市に。

ポカラ・・・とは現地語でポカリ・・・湖の意味。
ポカラは湖の街・・ポカラの象徴・ペワ湖です・・・同じくポカラの象徴マチャプチャレが目の前に迫ります。

夕闇が迫り鮮明に見えませんがアンナプルナ南峰・・・
※撮影日は2020年1月1日夕刻。
ペワ湖・・・ポカラ市街地西側に、標高729m、523㌶(皇居の約2倍)。

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ヒマラヤ夢幻・・・サランコットの丘から・・・夕陽に輝くアンナプルナⅡ峰、Ⅳ峰・・・マナスル・・・

2021-10-18 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・
雪の棲み処・・・ヒマラヤ夢幻・・・
ヒマラヤ・・・サンスクリット語で[雪の棲み処

ネパールの首都カトマンドゥから西へ200㎞、ポカラ。人口264000人、ペワ湖の畔、標高827m、ネパール第二の都市に。
ポカラ郊外、西北に16㎞、標高1592m、ダウラギリ、アンナプルナ、マナスルなど8000m級の山々を望む大展望台サランコットの丘です。

サランコットの丘からマチャプチャレの右に見える・・・左からvアンナプルナⅣ峰アンナプルナⅡ峰ラムジェヒマール峰

アンナプルナⅣ峰(7525m)・・・

アンナプルナⅡ峰(7937m)・・・

ラムジェヒマール峰(標高?)・・・

世界7位の高峰・・・精霊の山・・・マナスル(8163m)です。

アンナプルナ山塊からさらに東の方向に小さく見える山・・・遠くて薄暮で光度不足で画像は不鮮明ですが・・・1956年日本山岳会の登山隊によって初登頂された「マナスル」です。
1956年といえば日本が戦争に負けてから11年目、敗戦後の復興半ばのころ、明るい話題で、若者の間で登山ブームが起こりました。マナスル登頂で使用されたナイロンザイル、ヴィムラㇺソールの登山靴なども画期的でしたが、何といっても登山の大衆化に貢献したのが・・・キャラバンシューズ・・・登山靴といえば超重量のオールレザーの鋲靴か・・・貧乏人は底の薄い運動靴か地下足袋の時代です。

日本山岳会の槙有恒会長は1951年マナスルの登頂計画にあたりヒマラヤ委員会委員長兼装具担当の佐藤久一郎さんにベースキャンプまでのアプローチ用シューズ(当時は登山靴といえば革製のアッパーと鉄の鋲を打った革製のソール)の開発を依頼します。佐藤さんは綿帆布のアッパー、ゴム製のソールの靴の開発に没頭、藤倉ゴム工業の共同開発で完成、1952年の第一次登山隊に提供、隊員たちの好評を得て、1954年隊員たちが呼んでいた愛称「キャラバンシューズ」の名で商品化。積雪期を除く日本の山に適応、安価であることから以来60年余、素材、防水、通気などの改良を重ね親しまれてきました。
わたしも地下足袋から藤倉キャラバンへ・・・GRANDKING CARAVANへと親しんできた一人です。

《参考》キャラバンシューズの歴史➡クリック

※撮影日は2019年12月31日。

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ヒマラヤ夢幻・・・ポカラ郊外・・・サランコットの丘から・・・夕陽に輝くアンナプルナ南峰

2021-10-14 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・
雪の棲み処・・・ヒマラヤ夢幻・・・
ヒマラヤ・・・サンスクリット語で[雪の棲み処

ネパールの首都カトマンドゥから西へ200㎞、ポカラ。人口264000人、ペワ湖の畔、標高827m、ネパール第二の都市に。
ポカラ郊外、西北に16㎞、標高1592m、ダウラギリ、アンナプルナ、マナスルなど8000m級の山々を望む大展望台サランコットの丘です。

サランコットの丘からマチャプチャレの左に見える・・・アンナプルナ南峰(7219m)・・・
右手前は・・・ヒウンチェリ、右奥に・・・アンナプルナ山群の主峰アンナプルナⅠ峰(8091m)・・・
※撮影日は2019年12月31日。
アンナプルナ山群・・・ネパール中部、マチャプチャレを囲むように東西50㎞、アンナプルナⅠ峰を主峰とする山群。西からアンナプルナ南峰(7219m)、アンナプルナⅠ峰(8091m)、ガンガプルナ(7455m)、アンナプルナⅢ峰(7555m)、アンナプルナⅣ峰(7525m)、アンナプルナⅡ峰(7937m)の6峰からなる。
山名はサンスクリット語で「豊穣の女神」の意味。
1950年フランス登山隊によって人類初の8000m級の初登頂。エヴェレストがイギリス登山隊によって初登頂されたのが3年後の1953年。

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ヒマラヤ夢幻・・・ポカラ郊外・・・サランコットの丘から・・・聖なる山「マチャプチャレ」

2021-10-12 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・
雪の棲み処・・・ヒマラヤ夢幻・・・
ヒマラヤ・・・サンスクリット語で[雪の棲み処

ネパールの首都カトマンドゥから西へ200㎞、ポカラ。人口264000人、ペワ湖の畔、標高827m、ネパール第二の都市に。
ポカラ郊外、西北に16㎞、標高1592m、ダウラギリ、アンナプルナ、マナスルなど8000m級の山々を望む大展望台サランコットの丘です。

地元住民が精霊の山として崇めるマチャプチャレ(6993m)・・・


※撮影日は2019年12月31日。
ポカラ・・・現地語でポカリ・・・湖、水の多い場所の意味。ちなみに、日本の某製薬メーカーのスポーツ飲料「ポカリスエット」のポカリはこの意味と関係ないそうです。
マチャプチャレ・・・現地語で魚の尾、頂上が双耳峰になっている。現地住民の精霊の山として信仰の対象になっていてネパール政府は国内、国外を問わず登山許可を出していないため未踏峰。
ポカラから直線で25㎞、サランコットの丘から10㎞。


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ヒマラヤ夢幻・・・精霊の棲むランタン・リルン、ドルジェ・ラクパ、ガネッシュ・ヒマール、ヒマル・チェリの山々

2021-09-24 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

雪の棲み処・・・ヒマラヤ夢幻・・・
ヒマラヤ・・・サンスクリット語で[雪の棲み処

カトマンドゥから西へ12km、チャンドラギリ
標高1539mの麓の町からロープウエイで10分、標高2540mのヒマラヤを臨む大展望台へ。
6000~7000m級の雪山が聳え立ちます・・・

ランタン・リルン(7234m)・・・左の尖峰はランタン・リルンⅡ峰((6561m)・・・

左からシシャパンマ(8027m)、ガン・チェンポ(6837m)・・・右にドルジェ・ラクパ(6966m)・・・

ガネッシュ・ヒマール山群・・・左からガネッシュⅢ峰(7113m)、Ⅳ峰(7052m)、Ⅱ峰(7158m)、Ⅰ峰(7406m)、Ⅴ峰(6986m)・・・

ヒマル・チェリ(7893m)・・・左の尖峰はヒマルチェリ西峰(7540m)・・・

※撮影日は2019年12月29日。

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ヒマラヤ夢幻・・・朝のナガルコット・・・雪の棲み処・・・大展望

2021-09-23 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

雪の棲み処・・・ヒマラヤ夢幻・・・
ヒマラヤ・・・サンスクリット語で[雪の棲み処
カトマンドゥから東へ35km、ヒマラヤを臨む大展望台ナガルコット

朝のナガルコットの丘からの大展望・・・

ドルジェ・ラクバ・・・

ガンチェンポ・・・

ランタン・リルン・・・
※撮影日は2019年12月30日。

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ヒマラヤ夢幻・・・カトマンドゥの郊外・・・ナガルコットから・・・夕陽の山々

2021-09-22 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

雪の棲み処・・・ヒマラヤ夢幻・・・
ヒマラヤ・・・サンスクリット語で[雪の棲み処
カトマンドゥから東へ35km、ヒマラヤを臨む大展望台ナガルコット(標高約2100m)。

夕陽のナガルコット大展望・・・右にドルジェラクバ(6966m)、左端にガンチェンポ(6837m)。

眼の前にドルジェラクバが迫る・・・

遠くにチベット国境のランタンリルン(7234m)・・・
※撮影日は2019年12月29日。

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ヒマラヤ夢幻・・・ネパール第二の都ポカラ・・・霊峰マチャプチャレ・・・マウンティン・フライト

2021-08-30 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

ヒーリングタイム・・・
ヒマラヤ・・・サンスクリット語で[雪の棲み処

ネパール第二の都ポカラ・・・早朝のポカラ空港・・・約1時間のマチャプチャレ・アンナプルナ遊覧飛行・・・

左前方にマチャプチャレ(6993m)・・・右にアンナプルナ連峰(Ⅰ峰?)・・・
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※撮影日は2020年1月1日。
ポカラ・・・人口430000人、標高800m、カトマンドウに次ぐネパール第二の都市。ポカラとはネパールの言葉で「湖」、ペワ湖を中心に広がる水の都、アンナプルナ、ダウラギリ、マナスルを臨む山の都。
マチャプチャレ・・・マチャプチャレとは双耳峰の形から「魚の尾」の意味。7000mに満たない山であるが独立峰でありポカラの人々の聖なる信仰の山。登山不許可の山です。
アンナプルナ連峰・・・アンナプルナⅠ峰(8091m)を主峰に6峰からなる連峰。アンナプルナはサンスクリット語で「豊穣の女神」。

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ヒマラヤ夢幻・・・雪の住処・・・世界のてっぺんエヴェレスト・・・マウンティン・フライト

2021-08-29 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

ヒーリングタイム・・・
ヒマラヤ・・・サンスクリット語で[雪の棲み処
エヴェレスト・・1853年測量によって発見された当時の英人測量局長の名前です。本人は固辞したそうですが死後につけられたそうです。
サガルマータ・・サンスクリット語で「世界のテッペン」・・・1983年ネパール政府が公式名に。
チョモランマ・・チベット語で「聖なるカアサン」・・・チベットの人々、ネパールのクーンブ谷に住む人たちの呼び名。
珠穆朗瑪・・チョモランマの中国政府の漢字表記。

早朝のカトマンドゥのトリブバン国際空港・・・約1時間のエヴェレスト遊覧飛行・・・

エヴェレスト大パナラマビュー・・・
※画像クリックで山座同定。

エヴェレスト・・・ローチェ・・・

山の名前が?

シシャパンマ(8027m)・・・チベット領内にある世界14座の8000m級の最後の山・・・

※撮影日は2019年12月29日。

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2019東インドの旅の終わりは・・・コルカタ市・・・マザーテレサの・・・マザーハウス

2020-04-30 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の~写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・そしてコルカタ(むかしのカルカッタ)へ。

マザー・テレサの「神の愛の宣教者会』(Misshonnarity of Charity)のマザー・ハウスを尋ねました。
広い通りに面していますが入口は狭い路地にあります。この施設の中に260人余の修道女(シスター)がいるそうです。



マザー・テレサ・・・1910~1997年、オスマン帝国(現在の北マケドニア共和国)スコビエ生まれ。父はアルーマニア人、母はルーマニア人。本名アグネス・ゴンジャ・ポヤジュ。テレサは修道名、マザーは修道女の最高指導者の愛称。18歳でアイルランドのロレト修道女会に。1929~1947年までコルカタの聖マリア学園で教師を。1948年スラム街に入り慈善活動を始める。「神の愛の宣教者会」(Missionaries of Charity)を創設。インド政府の協力でヒンドゥー教の廃寺院を提供され活動を広げていった。ノーベル平和賞、マグサイサイ賞。J・F・ケネディー賞、アメリカ合衆国大統領自由勲章、アメリカ合衆国名誉市民、議会名誉黄金勲章など授賞。



☆わたしはクリスチャンではないので・・・マザーテレサについて・・・深く語ることはできません。下記のWeb記事を参考にしてください。
☞クリック マザー・テレサ 出典: フリー百科事典「Wikipedia」
☞クリック マザー・テレサに対する批判 出典: フリー百科事典「Wikipedia」


1Fにあるマザーテレサの墓・・・写真はこの墓と中庭のみ許されています。
※撮影日は2019年11月30日

マザーテレサハウスでボランティアをされているある女性・・・渋谷りつ子さん・・・の写真です。写真は2015年5月山梨県甲府市で、いつも私のブログに応援いただいている甲府在住のこきおばさん」の紹介でお会いして会食しました。このかたについて詳しく知りませんのでWebで検索したサイトの記事を掲載します、

・公益財団法人社会貢献支援財団 第50回社会貢献者表彰受賞者紹介
※渋谷りつ子さんは岩手県花巻市の第27回「イーハトーブ賞奨励賞」も授与されています。

・NHK Worldがコルカタで無私の奉仕を続けて27年の渋谷りつ子さんを紹介 2019.01.02 インドあれこれ by デシュム陽子のブログ

渋谷りつ子さんはいまコロナ禍のため一時帰国、甲府市に滞在しています。
甲府での動静については下記のブログをご覧ください。コメントも受けてくださいます。
支援されている甲府の・・・こきおばさんのブログ・・・「りつ子さん」のタグより・・・


東インドの旅は・・・マザー・テレサのマザーハウスを尋ねて終わりです。

インド・・・普通の日本人にはよくワカラナイ国です、中学校で歴史や地理で、高校で世界史を・・・4大大陸のひとつ・・・古代インダス文明の発祥の地・・・仏教発祥の地・・・カーストの国・・・つい最近までムガール帝国(トルコ高原から侵入したモンゴルのチャガタイハーンの血を引く王朝)に230年余、大英帝国に190年余侵略されていた国、多民族、多宗教・・・奥が深いなんて言い方をしますが・・・つまり小さな島国日本人(太古、日本民族は北方ユーラシア大陸、中国、朝鮮、東南アジア、太平洋から・・・さまざな民族がが海を渡って来てこの国を成立させたといわれますが・・・今では単一民族・・・なんて言っちゃって?)には・・・永遠に理解できない・・・そういう国です。

多言語、多民族・・・2013年調べで870の言語があったそうです。過去50年で230の言語が消滅。言語の数だけ民族あり❓ 基本的にはインドアーリア語系のヒンドゥー語がインド18%の人々の母語、ヒンドゥー語の人口30%、連邦憲法では公用語はヒンドゥー語、英語指定、憲法の附則で22語が指定。日本人にはよくワカリマセン。インドの国旗のこと、独立運動の父ガンディーのこと。経済、産業のこと、インフラのこと、教育のこと、貧困率のこと・・・語りたいのですが・・・割愛。
ここではインドの歴史年表をおさらいして東インドの旅の終わりにします。

  ・DC3500年ころ東アフリカよりドラヴィダ人が侵入  ・DC2500年ころインダス文明   ・DC1500年ごろ中央アジアよりアーリア人侵入    ・DC463年ブッダ誕生 
  ・1200年ごろよりイスラム勢力侵入はじまる      ・1498年ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ航路で西インド海岸に到達
  ・1526年ムガール帝国はじまる                ・1530年ポルトガル領ゴア植民地成立     ・1690年カルカッタにイギリス東インド会社     
  ・1857年インド大反乱(セボイの乱)、ムガール帝国滅亡     ・1858年英領インド帝国成立    
  ・1919年ガンディー不服従運動      ・1942年インド国民会議イギリスの撤退要求
  ・1945年第二次世界大戦終わる     ・1947年インドとパキスタン分離独立   ・1950年インド共和国成立

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・当該ブログに関連のないコメントは削除します。

  
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