比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

2019東インドの旅・・・コルカタ市の・・・黄色いタクシー・・・アンバサダー

2020-04-29 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・そしてコルかタへ。

街中を走る黄色いタクシー・・・インドの国産車「ヒンドゥスタン・アンバサダー」・・・
1958~2014年まで製造されていたインド国産車「アンバサダー」・・・
1956年イギリス「モーリス・オクスフォードSⅢ」が生産設備ごとヒンドゥスタンモーターズに売却したもの。小型で堅牢でインドの国内事情、道路事情にマッチ、輸入車の関税が高かったことから大衆車、タクシーとして普及。そのご経済の発展、輸入関税の撤廃などで売り上げが減少、製造停止に。現在でもコルカタではタクシーとして使われている。



※撮影日は2019年11月30日
インド・・・普通の日本人にはよくワカラナイ国です、中学校で歴史や地理で、高校で世界史を・・・4大大陸のひとつ・・・古代インダス文明の発祥の地・・・仏教発祥の地・・・カーストの国・・・つい最近までムガール帝国、大英帝国に侵略されていた国、多民族、多宗教・・・奥が深いなんて言い方をしますが・・・つまり小さな島国日本人には・・・永遠に理解できない・・・そういう国です。

インドの交通・・・鉄道や道路は・・・
鉄道》1853年イギリス東インド会社のインド西海岸の拠点ボンベイ(現ムンバイ)で鉄道が開設以来、現在64000km、狭軌路線を合わせると108700km、アメリカ、中国、ロシアに次いで世界4位の施設規模。網の目のように全土に広がる鉄道大国です。鉄道はイギリスの植民地のインフラ整備というより植民地から上がる物資の輸送のために必須のものだったのです。鉄道設置から250年、インド独立から70年、老朽の時期にかかっておりその整備はどうなるでしょう。
道路》・・・道路延長548万2800km、世界2位の道路延長ですが高速道、国道の延長12万km(2.2%)、都市でのバイパス化が整備されておらず、モータリゼーションの時代に非常に遅れています。


※コメント欄オープン。
・当該ブログに関連しないコメントは削除します。
・発信人のURL無記入のコメントは削除します。

2019東インド・コルカタの旅・・・英領インド帝国時代建造の・・・ヴィクトリア記念堂を尋ねる

2020-04-28 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・そしてコルコタへ。

英領インド帝国の元首府カルカッタ・・・現コルカタ市・・・ガンジス川の分流フーグリー川の河畔、旧市街の半分以上を占める大きなモイダン公園、かつてイギリスのウィリアム要塞(1702年)があった場所。この広い芝生公園の一角にヴィクトリア記念堂が。コルカタのランドマークです。

ヴィクトリア記念堂(Victoria Memorial Hall)・・・大英帝国のインド統治の威信を示す博物館、イギリスの国王、初代インド皇帝だったヴィクトリア女王を記念して1906年建設開始、1921年に開館。その間の1911年に首都はデリーに遷都。建物の大きさは103m×69m、中央ドームの高さは56m。円形屋根はムガール帝国のタージ・マハルの霊廟をモデルにしたといわれ、建物は左右対称(シンメトリー)になっています。









大英帝国女王、英領インド帝国の皇帝・・・ヴィクトリアの名を冠した博物館…そしてインド独立後もヴィクトリア記念堂・・・200年もの侵略を経て英国を排除したインド・・・今もなおヴィクトリアの名を残している・・・フトコロが深いというべきか・・・歴史をリアルに見ているというべきか・・・

※撮影日は2019年11月30日

インド・・・普通の日本人にはよくワカラナイ国です、中学校で歴史や地理で、高校で世界史を・・・4大大陸のひとつ・・・古代インダス文明の発祥の地・・・仏教発祥の地・・・カーストの国・・・つい最近までムガール帝国、大英帝国に侵略されていた国、多民族、多宗教・・・奥が深いなんて言い方をしますが・・・つまり小さな島国日本人には・・・永遠に理解できない・・・そういう国です。

コルコタ…英領インド帝国の時代の呼称カルカッタ…大航海時代の1510年ポルトガルがインドの西海岸ゴアに貿易拠点を構え1530年ポルトガル領ゴアとして植民地に、大英帝国は1690年インド東海岸の小さな漁村コルカタに商館を設置、貿易拠点に、1702年ウイリアム砦を築き軍事拠点に。1757年ムガール帝国の太守との戦に勝ち貿易から武力による統治の植民政策に転換。ザミンダール(地主)に徴税を任せます。この方法はやがて1793年ザミンダーリー制度に発展。徴税権は売買できるようになり金融業、貿易商、問屋業などの富裕層も徴税権を得て新たな特権階級が。これらの子弟が高等教育を受け、官界、司法界、財界、学界、医学界などの中心に、やがて独立運動の志士も生まれていきます。
1857年全インドのムガール朝、王侯、地主、農民、都市住民をまき込んだ英国支配に対するセボイの乱がおきます、この乱はインド全体の無統一で敗れムガール帝国は消滅、1858年インドはイギリス東インド会社から英領インド帝国(事実上の英国植民地・・・その領域は現在のインド、パキスタン、パングラデシュ、ミャンマー、スリランカに及ぶ)になります。初代インド帝国皇帝は1877年即位した大英帝国国王ヴィクトリア女王です。1911年英領インド帝国の首府はカルカッタからムガール帝国の元首府デリーに遷都します。


※コメント欄オープン。
・当該ブログに関連しないコメントは削除します。
・発信人のURL無記入のコメントは削除します。

2019東インド・コルカタの旅・・・英領インド帝国時代の1814年開設の・・・インド博物館を尋ねる

2020-04-27 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・そしてコルカタへ。

1814年設立のインド博物館です。200年以上の歴史があります。イギリス東インド会社統治時代に作られたものです。
開館当初は「アジア協会博物館」、その後、「帝国博物館」、現在は「インド博物館」に。現在の建物は1875年に建設したコロニアル風(植民地風)建築様式。移転し開館したのは1878年。インド独立までは帝国博物館、世界の泥棒博物館といわれる大英博物館のミニチュアでしょうか。インドは破壊することなく引き継いでいます。









※撮影日は2019年11月30日

インド・・・普通の日本人にはよくワカラナイ国です、中学校で歴史や地理で、高校で世界史を・・・4大大陸のひとつ・・・古代インダス文明の発祥の地・・・仏教発祥の地・・・カーストの国・・・つい最近までムガール帝国、大英帝国に侵略されていた国、多民族、多宗教・・・奥が深いなんて言い方をしますが・・・つまり小さな島国日本人には・・・永遠に理解できない・・・そういう国です。

ここでは西欧諸国にアジア各国が植民地化されていた歴史を記します。

ポルトガル領ゴア・・・ポルトガルの航海士ヴァスコ・だ。ガマが南アフリカ回りでインドに到達したのは1498年、1510年ゴアに拠点を構え、1530年ポルトガル領ゴアが植民地に。1947年インドは英国植民地から独立しますが、ポルトガル領ゴアがインドに返還されたのは1961年になります。
英領インド帝国・・・1690年イギリス東インド会社がコルカタに商館を設立、そのご全インドの植民化をすすめ、1858年英領インド帝国(事実上の英国植民地・・・その領域は現在のインド、パキスタン、パングラデシュ、ミャンマー、スリランカに及ぶ)に、1911年首府をデリーに。1947年インド、パキスタン分離独立、1950年インド共和国。
インドネシア・・・1619年ジャカルタのオランダ東インド会社、1800年当時のインドネシアのほぼ全域がオランダの植民地に。1949年インドネシア独立。
フィリピン・・・1571年スペインの植民地に。1898年アメリカの植民地に。1947年フィリピン独立。
ベトナム・・・1887年フランスが植民地を確立、第二次世界大戦後、ベトナム戦争、1976年ベトナム統一国家発足。
澳門(マカオ・・・1887年からポルトガル領マカオ。1999年中国に返還。
香港・・・1840年アヘン戦争がキッカケで1842年英領ホンコンに。1997年中国に返還。アヘン戦争・・・いまなら国際犯罪になるアヘン(インド産)を中国に輸出物として売りつけていた英国・・・。

近世江戸時代の末期から明治の時代に、この時代の国事に携わった人は、西欧諸国のアジアに対する武力による侵略、搾取を貪る様を見たり聞いたり、黒船来航、日米和親条約(不平等条約)、薩英戦争、下関戦争で欧米の力を見せつけられ、ブルッたに違いありません。


※コメント欄オープン。
・当該ブログに関連しないコメントは削除します。
・発信人のURL無記入のコメントは削除します。



2019東インドの旅・・・大都市コルカタ・・・ヒンドゥー教のカーリー寺院

2020-04-26 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・そしてコルコタへ。
コルカタ・・・2001年CalcuttaからKolkataへ。イギリス植民地時代にイギリス人が呼んだカルカッタから本来の地名コルカタに戻りました。人口448万人。都市圏人口1480万人、インドではデリー、ムンバイ(ポンベイ)に次ぐ第三位の人口の都市です。元はガンジス川の分流フーグリー川が流れる一寒村でした。1690年イギリス東インド会社がこの地の商館を設立。ムガール王国との戦いを重ね1758年東インド会社が完全掌握、1858年大英帝国の植民地、英領インド帝国の主都に、1911年首都はデリーに、1947年インド独立、西ベンガル州の州都に。

コルカタです・・・大英帝国の最初の拠点・・・混沌とした大都市です。よくワカリマセン・・・
まず最初に・・・コルカタで一番有名なヒンドゥー教カーリー寺院を尋ねました。
破壊と殺りくを好む「暗黒の女神」と呼ばれている「カーリー」を祀っているお寺です。

門前町というか参道というか・・・賑やかです・・・

混沌としています。

1855年建立。寺院の中は撮影不可です。
※撮影日は2019年11月30日

普通の日本人にはよくわからないインド・・・中学校で歴史や地理で、高校で世界史を・・・4大大陸のひとつ・・・古代文明の4大発祥の地・・・仏教発祥の地・・・多民族、多宗教、カースト・・・奥が深いなんて言い方をしますが・・・つまり小さな島国日本人には・・・永遠に理解できない・・・そういう国です。

ここでは多宗教について記します。
①ヒンドゥー教・・・81.4%・・・DC1500年ごろアーリア人の侵入とともに持ちこんだバラモン教が土着の宗教と融和して発展した多神教。偶像崇拝、カースト。
②イスラム教・・・12.4%・・・中央アジアからのイスラム勢力が持ち込んだもの。
③キリスト教・・・2.3%・・・AC1世紀のころシリアのキリストの使徒が伝えたものと17世紀以後にポルトガル、イギリスの植民とともに伝えられたもの。
④シク教・・・1.9%・・・ヒンドゥーとイスラムが融和して16世紀ごろ起こったもの。ターバンを巻いている。
⑤仏教・・・0.8%・・・BC5世紀のころブッダの教えにより生まれた。
⑥ジャイナ教0.4%・・・仏教と同じころはじまる、バラモンの権威、カースト、殺生を否定するストイックな宗教。
・・・大晦日にお寺の除夜の鐘を聞き、正月には神社に初詣でをして、お盆には坊さんに先祖の供養をしてもらい、キリストの生誕祭にはクリスマスを祝う日本人には・・・とうていワカラナイ・・・


※コメント欄オープン。
・当該ブログに関連しないコメントは削除します。
・発信人のURL無記入のコメントは削除します。

2019東インドの旅・・・ダージリンから低地の茶園へ

2020-04-25 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・

ダージリンをあとにコルカタに向かいます・・・谷間の傾斜地に茶園が延々と続きます。静岡の大井川の奥の川根のような風景です。

やがて低地にやってきました・・・茶畑の海です。

低地の茶は主にチャイに・・・標高の高い冷涼池のダージリンの高級紅茶は世界の市場に、低地の茶は国内向けのチャイに使われます。
チャイ・・・鍋または薬缶に少量の水と茶葉をを入れ沸騰させ大量のミルク、砂糖を入れたインドの庶民の飲み物です。

いまは茶摘みのシーズンではないようですが低地ではオールシーズン茶摘みができるのでしょうか。
日本では超高級茶以外は機械摘みだと思いますが、ここではすべて手摘みのようです。
※撮影日は2019年11月29日


コメント欄閉じています。

2019東インドの旅・・・ヒマラヤの高峰カンチェンジュンガ・・・ダージリン最後の日にようやく見られた

2020-04-24 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・

ダージリンを後にする日の朝、ホテルの前からようやく見られた世界第三位の高峰・・・カンチェンジュンガ・・・

世界第三位の高峰のカンチェンジュンガ(8586m、エヴェレスト8848m、K2峰8611mに次ぐ)・・・チベット語で「偉大なる雪の5つの宝庫」・・・
主峰を中心に8000m級が3座、7000m以上の高峰10座が並ぶシッキムヒマラヤ(ネパールの東端とインドシッキム州の国境に位置する山群)。
ヒマラヤだとか世界第三位の高峰だとか、そういうことではなく、300mの山でも8000mの山でも・・・山は山です・・・
どちらが素晴らしいなんてナンセンスです・・・どちらも素晴らしいのです。



※撮影日は2019年11月29日AM8:00。
☆撮影は朝8時ごろ、順光、晴れていますが山に雲が流れています。前衛の山は水蒸気が上がって靄っています。色温度の影響は受けなかったようです。
☆カメラはCanonPowerShotG7X・・・安価なポケットコンデジです。Autモードに任せ、絞りF4.0、シャッター 1/1000秒 ISO125、焦点距離37㎜。
☆PCの画像処理ソフトで色調整、コントラスト調整、シャープ強調などしています。眼前に迫って見えますが30数㎞離れています。トリミング処理でアップしました。
☆最後の日に、まあまあの撮影結果で満足です。


※コメント欄オープン。
・当該ブログに関連しないコメントは削除します。
・発信人のURL無記入のコメントは削除します。

2019東インドの旅…世界の銘茶のふるさと・・・ダージリンの茶園

2020-04-23 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・

世界の三大紅茶のひとつに数えられる・・・ダージリン・ティー。 19世紀中頃にイギリス人が中国から高地、冷涼の地に適した茶の木の移入し改良を重ね発展。英領インド帝国の一大産業になり大英帝国の繁栄の財源になりました。ダージリン・ヒマラヤ鉄道はこの紅茶の移送のため開発された鉄道。
世界の三大銘茶・・・中国の祁門紅茶(キーマン)、インドのダージリンティー、スリランカのウバの3つの紅茶を指す。

標高約2000mのダージリンにはハッピー・バレー茶園を中心に約90の茶園があります。
少し靄ってます。乾季ですが湿度は高いようです。
標高の高い冷涼池、昼夜の寒暖の差が良質の茶を産むようです。
日本でよく見慣れた列植の整備された雑草一本もない茶畑・・・とは違います。








※撮影日は2019年11月28日



※コメント欄オープン。
・当該ブログに関連しないコメントは削除します。
・発信人のURL無記入のコメントは削除します。

2019東インドの旅・・・ダージリン最古の僧院・・・イガ・チョリン・ゴンパ

2020-04-22 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・

ダージリン最古の僧院・・・チベット仏教ゲルク派の僧院・・・イガ・チョリン・ゴンパ・・・1850年創建・・・








※撮影日は2019年11月28日


コメント欄閉じています。

2019東インドの旅・・・ヒマラヤ・カンチェンジュンガ峰を望む・・・ダージリンのタイガーヒルから

2020-04-18 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・

タイガーヒル・・・ダージリンの南13㎞、標高2590mの丘、ヒマラヤ展望台・・・
世界第三位の高峰・・・カンチェンジュンガを見ようと朝早くきましたが・・・雲に隠れて見えません・・・

朝焼けがあたりだしたがカンチェンジュンガは雲に隠れています・・・

雲がなければこんな風に見えます。
※撮影日は2019年11月28日



※コメント欄オープン。
・当該ブログに関連しないコメントは削除します。
・発信人のURL無記入のコメントは削除します。

2019東インドの旅・・・エヴェレスト初登頂・・・テンジン・・・が初代校長のインド登山学校

2020-04-17 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・

ヒマラヤ登山の技術を指導するインド登山学校です・・・・・一角に山岳博物館があります。
初代校長はエヴェレスト初登頂を果たしたテンジン・ノルゲイ・・・

テンジン・ノルゲイのブロンズ像・・・



テンジン・ノルゲイの墓・・・
※撮影日は2019年11月28日.

★エヴェレスト・・・1853年インド測量局が遥かインド大陸から測量で計測、世界の最高峰を発見。測量スタッフが初代の測量局長ジョージ・エヴェレストから名前を冠したそうです。この人は現地名に拘って生前は承諾しなかったそうです。この人が現地名に固執しなかったらヒマラヤの山々の名前はほとんど英国人の名前になっていたでしょう。当時のヒマラヤは情報が乏しく現地名が不明のものが多かったようですが大体は付けられたようです。K2のように最初の仮№のままのものもあります。現在ではエヴェレスト、チョモランマ(チベット語で「聖なる母」:)、サガルマータ(ネパール語で「世界のテッペン」)と呼ばれています。

★エヴェレストの登頂計画は英国山岳会が1921年からはじめます。1953年英国隊のニュージーランド人エドモンド・ヒラリー卿とシェルパのテンジン・ノルゲイが初登頂します。
★テンジン・ノルゲイ・・・1914~1986年、ネパールのクーンプ地方シェルパ族の生まれ。ダージリンに住みつき登山隊のポーター、シェルパとして外国の登山隊に参加。1953年英国エベレスト探検隊にシェルパとして参加、ニュージーランド人のエドモンド・ヒラリー卿とともに初登頂に成功。
★シェルパ・・・民族名、職種名。ネパールヒマラヤ山麓クーンプ地方に住むチベット系シェルパ族をいうが、ヒマラヤ登山が国際的になるにつれポーター、案内人の中で登山隊のメンバーに組み込まれるような登山技術を有する優秀な山岳ガイドをシェルパと呼ぶようになり職種名になり、シェルパ族でなくてもヒマラヤの山岳ガイドのことをそういうようになった。シェルパの中でリーダーをサーダーと呼ぶ。
テンジン・・・チベット語で「仏様の教えを守る」という意味だそうです。



※コメント欄オープン。
・当該ブログに関連しないコメントは削除します。
・発信人のURL無記入のコメントは削除します。