比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

東京ぶらぶら散歩・・・GWの築地は人人人

2014-05-09 | 道をゆく 東京散歩
5月6日GW最後の日、東京ブラブラ散歩。
ホテルオークラのイベント「大使・大使夫人による10ヵ国のガーディニング」を見て・・・
それから・・・ハラが減った・・・築地まで行って海鮮丼でも食べよう
ということで・・・歩き出す。途中、愛宕神社を外からだけだが眺め、新橋~虎ノ門間の新しい幹線道路を渡り新橋駅の前を通過して築地まで歩く。

さて・・・築地である。GWということで、しかも半値市ということで・・・人人人・・・どの店も行列・・・また行列。

美味しい海鮮丼を食べたが…あまりにもハラが減っていてがっついて食べたので写真を撮るのを忘れた

築地場外市場・・・不思議な空間です。世界の都市の中でももっとも美しいといわれる銀座・・・そこから1㎞も離れていない地に混沌とした小路から小路につながる迷路のような一郭にお世辞にも綺麗とはいえない店が連なる・・・わたし的にはそこがたまらなく好きなんだが。

写真は2012年12月28日の・・・師走の築地の風景です。

築地場内市場は平成28年に豊洲に移転予定だそうです。築地場外市場はこの移転に先駆けて現在の地に平成27年に築地新市場(仮称)というビルを開設するようです。ビルに入った小さなお店からなる小ざっぱりした市場・・・築地が築地でなくなる・・・何か寂しいなあ。

今日は曇天、東京散歩はこのへんで切り上げて帰ろう・・・というわけで晴海通りを銀座方面に歩き出す。

東京散歩・・・都市計画幹線街路環状2号線・・・幻のマッカーサー道路とはマッカーな嘘サー

2014-05-08 | 道をゆく 東京散歩
5月6日GW最後の日、東京ブラブラ散歩。
ホテルオークラのイベント「大使・大使夫人による10ヵ国のガーディニング」を見て、それから散歩。
築地まで歩いて美味しい海鮮でも食べて帰るか

ということで・・・新橋方面に歩き出した。途中で愛宕神社を外からだけだが眺め、新橋駅方面に。
だだっ広い道があった。つい最近開通した道のようだ。
テレビや新聞で報道されていたマッカーサー道路とはここか。

ネットでググってみた。
東京都市計画道路幹線街路環状2号線・・・というらしい。
敗戦まもないころ日本に進駐した連合国軍総司令部(GHQ)が計画した東京湾からアメリカ大使館に真っ直ぐに通じる道路計画だとかいわれGHQのマッカーサー最高司令官の名をつけてマッカーサー道路ともいわれたそうだが、これはまったく誤りであるらしい。
実際には関東大震災後に後藤新平らによって策定された帝都復興計画の中にあり、この案は議会により縮小され頓挫、敗戦後、ふたたびこの復興都市計画がまた復活、諸事情によりまた凍結、ようやく日の目を見たものです。
有明から皇居の西側を回って神田佐久間町までの約14㎞、壮大な計画です。
写真は新橋から虎ノ門に至る約1400mの区間で2014年3月29日に開通した。

新橋方面から虎ノ門方面を見ています。

この道路を見て、そのいきさつを追っていくうちに、この道路はマッカーサー道路というより後藤新平道路というべきだと思いましたが・・・マッカーサー元帥とか後藤新平なんて誰も知らない時代になっていますね。
後藤新平(1857~1929年)・・・医師、官僚、植民地経営者、都市計画家、教育者、政治家・・・1923年の関東大震災、大臣兼任で帝都復興院総裁になり帝都復興計画を立案します。焼野原の東京の新都市計画です。「大風呂敷」といわれた新平は壮大な都市計画を立案しますが膨大な予算を要することであり、積極派、消極派、時の政局も絡み予算は大幅に縮小されたとのことです。この計画を垣間見ることのできる道路が明治通り、大正通り(現靖国通り)、昭和通り、行幸通り、火除けの目的もあり道幅108mと提案されたそうですが、昭和通りの44mが最大。例外として東京駅から皇居和田倉門に通じる都道404号(行幸通り)が道幅73mで整備されました。

散歩は続きます。

東京ぶらぶら散歩・・・芝愛宕町・・・寛永三馬術の・・・愛宕神社の石段

2014-05-08 | 道をゆく 東京散歩
5月6日GW最後の日、東京ブラブラ散歩。
ホテルオークラのイベント「大使・大使夫人による10ヵ国のガーディニング」を見て、それから散歩。
ここは虎の門二丁目、芝の東京タワーには近いのですが、今日はいまにも降りそうな曇り空、高いところに登っても霧に包まれて眺望は望めそうもない。新橋まで歩いて浜離宮から浅草まで水上バスも寒くて快適ではなさそうだ 築地まで歩いて美味しい海鮮でも食べて帰るか

ということで・・・新橋方面に歩き出した。途中で愛宕神社を外からだけだが眺める。
愛宕神社・・・東京都港区愛宕、自然地形の山として東京23区で最高峰の愛宕山(25.7m)の頂上にあります。

講談や浪曲でおなじみの讃岐丸亀藩士曲垣平九郎の馬による石段登りの石段はここです。

そんなことをいっても知ってる人はいないでしょうね。
愛宕山といえば1925年に日本最初のラジオ放送をした東京放送局(JOAK)が開設されたのはここです。現在はここにNHK放送博物館があります。JOAKなんていっても知ってる人はいないでしょうね・・・わたしも千代田区内幸町の日本放送協会(NHK)は知ってましたがここは知りませんでした。

ということで曲垣平九郎の愛宕神社石段登りの薀蓄も日本最初のラジオ放送を発信した愛宕町のJOAKの薀蓄もパス。

散歩はさらに新橋方面に続きます。

東京ぶらブラ 散歩・・・ホテルオークラでガーディニング展を見た

2014-05-07 | 道をゆく 東京散歩
5月6日GW最後の日、東京虎ノ門のホテルオークラのイベント「大使、大使夫人による10ヵ国ガーディニング」に行ってきました。

ホテルオークラ・・・所在地はいまは虎の門といいますがむかしは霊南坂、別名「霊南坂」と呼ばれたアメリカ大使館の隣り合わせにあります。

大使、大使夫人による10ヵ国のガーディニング」のチケット、ある人にもらったものです。

ホテルオークラ東京の最大の宴会場、国際会議場の「平安の間」(1487㎡)に溢れる木々と花々。

ジャマイカのブースより・・・アンスリュウム(サトイモ系)の花。

インドのブースより・・・生け花で飾られた祭壇・・・中央にはヒンドゥー教の最高神シヴァ神が。

ブラジルのブースより・・・コーヒーの木。

イタリアのブースより・・・中世の修道院文化から現在に伝わる伝統的な野菜庭園(オルト・ディ・センブリチ)。

ラトビアのブースより・・・バルト海に面した東欧の国ラトビア・・・短い夏の夏至祭りを女性は花冠を男性は樫の葉の冠を被って楽しみます。

ホテルオークラ・・・1962年、元大倉財閥の二代目大倉喜七郎が大倉家の邸宅跡に建てたもの。
元大倉財閥・・・大倉喜八郎が創設。関連した企業群・・・大成建設、ホテルオークラ、帝国ホテル、川奈ホテル、東海パルプ、帝国繊維、日本油脂、日清オイリオ、日本化学工業、日本皮革、富士銀行、千代田火災海上、太陽火災海上保険、サッポロビール、日本無線、ほか。
大倉喜八郎(1837~1928年)・・・大倉財閥の創設者。新潟県新発田の商家の生まれ。江戸に出て丁稚見習い、独立して乾物商、鉄砲商い、明治維新では鉄砲商いで官軍御用達に、明治期に入り戊辰戦争、台湾出兵、西南戦争、日清戦争、日露戦争において武器、糧食、被服の御用商人を務める。「快商」「近代日本の商傑」といわれるが、一方では「政商」「死の商人」ともいわれる。
教育機関として大倉高商(現東京経済大学)、大阪大倉商業学校(現関西大倉高等学校)、韓国善隣商業高等学校(現善隣インターネット高等学校)を創設した。
建築に携わった設備・・・鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場、神戸大倉山公園、札幌大倉山ジャンプ場、大阪天神橋、日本赤十字社病院。

春の東京散歩・・・上野の森から谷中へ

2014-04-16 | 道をゆく 東京散歩
4月12日。東京散歩・・・葉ザクラの上野の森、不忍池でポケ~ッとユリカモメ、キンクロハジロなど眺め、それから寛永寺観音堂、上野の森の美術館、国立西洋美術館、国立科学博物館、東京都立美術館、東京国立博物館、東京芸術大学奏楽堂・・・そこらへんは今日は眺めるだけでパス・・・足の向くまま、気の向くまま、地図を持たない、わがまま散歩。

上野の森の寛永寺から上野桜木・・・言問通りを西に向かいます。
東京の街の小路・・・東京は花のある街。

上野桜木・・・下町風俗資料館・・・吉田屋本店さん・・・もとは谷中にあった酒屋さんだったそうだ。お話し相手の街のガイドさんもいます。

下町風俗資料館の前にある喫茶店・・・道一つ隔てるとそこは谷中6丁目。

岡埜栄泉(谷中)」1900年創業のお菓子屋さん、創業1873年の岡埜栄泉総本家(上野)とのつながりは不明。

愛玉子(オーギョーチィ)」・・・台湾の植物の実からとったゼリー。
口当たりはトコロテンみたい、香りは独特、レモンシロップをかけたデザート。お店はこれ単品で商売。
外人さんのグループが入ろうか入るまいか迷っています。

谷中銀座のほうに向かって花のある小路を何となく散歩は続く。

このあたりお寺さんが多い街です。
今日は散歩にいい日・・・外人さんのグループが地図を片手に歩いています。このごろの外人さんの旅行者はマニアックです。

春の東京散歩・・・上野の森をブラブラ・・・桜の寛永寺

2014-04-15 | 道をゆく 東京散歩
4月12日。東京散歩・・・葉ザクラの上野の森を歩いています。
不忍池でポケ~ッとユリカモメ、キンクロハジロなど眺め、それから上野公園内を無目的に歩き出します。
不忍池のすぐ裏は寛永寺観音堂、それから上野の森の美術館、国立西洋美術館、国立科学博物館、東京都立美術館、東京国立博物館、東京芸術大学奏楽堂・・・上野は芸術の森・・・
そこらへんは今日はパス・・・足の向くまま、気の向くまま、地図を持たない、わがまま散歩。

東京国立博物館の一遇になりますが因幡国鳥取藩池田家表門・・・今日は門が開いていて庭の桜が額に入った絵のように見えます。

上野の森の中で見たシャガの花。

上野の森の中で見たキクモモの花。

上野の森のかつての地主・・・東叡山寛永寺根本中堂(総本堂)。

上野・・・かつては伊賀上野の藤堂家藩邸のあったところ。それで上野・・・わかりがイイ。
寛永寺・・・寛永2年の1625年、この地に川家の菩提寺として三代将軍家光が建立。寛永年間に造られたから寛永寺。天台宗総本山、西の比叡山に対して東の叡山、それで山号は東叡山・・・わかりがイイ。
現在の上野公園の全域の2倍が寛永寺の寺領地、七堂伽藍に子院が36、100㌶、寺領12000石、国立博物館前の噴水のあたりが根本中堂であったそうだ。1868年明治維新の上野戦争(彰義隊)で伽藍のほとんどが灰燼に、現在の根本中堂は川越の喜多院の本字堂を寛永寺の子院の敷地に1898年移築したもの。

歩いているのは上野桜木あたり、これから谷中のほうに何となく歩いて行きます。

東京・・・新宿ブラリブラリの終わりは・・・新宿3丁目

2014-01-23 | 道をゆく 東京散歩
1月17日、新宿ブラリブラリ散歩の終わりは、新宿というとここ。
新宿駅東口を出て、伊勢丹のほうに歩いて行く通り。新宿通りというそうで地籍はむかしは角筈、いま新宿3丁目。ここはどんな変化をしているのでしょう。

私の記憶の中の二幸は今はアルタ。新宿通りを右に向かうとフルーツパーラー高野があって、中村屋(建築中)、三越・・・今は・・・ビックロという店になっていた。道を隔てて伊勢丹。そして紀伊国屋書店です。

※新宿ぶらりぶらりの撮影カメラはすべてパナソニック LUMIX DMC-TZ40です
紀伊國屋書店・・・1927年創業、創業者田辺家は川家の旧家臣、紀州出身の足軽。豪商紀伊国屋文左衛門とは関係ない。材木問屋、炭問屋から書店業に。
新宿中村屋・・・1901年、信州安曇野出身の相馬愛蔵が良夫人(黒光)と本郷で開業。パン、カレー、ボルシチ、中華まんじゅう、それぞれに逸話が。臼井吉見著の「安曇野」(1974年完結 筑摩書房)は新宿中村屋と相馬夫妻を中心にした大河小説です。
新宿高野・・・1885年、繭仲買商として開業、1900年、副業の果実販売業を本業に。

紀伊国屋で本を買い、中村屋でカレーを食べ、高野でデザートというのがむかしのインテリの新宿コースだったらしい。

もちろん村びとはそういうことに縁のない人でした。

さてこれにて新宿散歩は終わり。待ち合わせ場所は紀伊國屋書店前です。
※新宿ブラリブラリの撮影カメラはすべてPanasonic Lumix DMC-TZ40です。ノーフラッシュ、人の顔は認識されない程度に写しているつもり。

東京・・・新宿・・・歌舞伎町・・・むかしのコマ劇場あたり

2014-01-21 | 道をゆく 東京散歩
1月17日、新宿に用事があって待ち合わせの前、新宿の街をブラブラ散歩しました。
新宿駅西口を出て「思い出横丁」を通り抜け「新宿大ガード」を潜り、新宿歌舞伎町へ。
もう何年も歩いたことのない街、街の風景の記憶のファイルが消えています。西武鉄道の駅の風景も記憶と全く雰囲気が違っています。

歌舞伎町といえばコマ劇場・・・演歌の殿堂「新宿コマ劇場」の再開発。「新宿東宝ビル」だそうです。

青梅街道側から歌舞伎町を見る・・・建築中のビルが旧コマ劇場・・・複合インテリジェントビル「新宿東宝ビル」として2015年完成。
 
歌舞伎町‥・コマ劇場には行ったことがありますが飲みに行ったことはありません・・・コワ~イ・・・

新宿ACBホールの前です。1957年、銀座ACBから始まったジャズのライブ演奏のブーム。その後、新宿ACB、池袋ACBと広がっていきました。本場アメリカのデキシーランドジャズやスイングジャズを日本のプレーヤーが演奏するのを生で聞けた時代です。いまこのホールはライブ演奏の場になっているのでしょうか。

1955年ごろを中心にして、この街を中心に歌声喫茶「灯」「カチューシャ」「どん底」などがありました。1杯のコーヒーを飲みながら見ず知らずの人と歌を歌って何か生きていることの連帯感をたかめたものです。

歌声喫茶、ジャズ喫茶は静かに消えていきました。

今、浦島です。
※新宿ブラリブラリの撮影カメラはすべてパナソニック LUMIX DMC-TZ40です


東京・・・新宿大ガード下のあたりの風景

2014-01-20 | 道をゆく 東京散歩
1月17日、東京の街を歩いています。新宿西口「思い出横丁」を通り抜けて大ガード下に来ました。

新宿大ガード西から見たJR大ガード
新宿伊勢丹前の新宿通り、その裏の靖国通りが合流してガードを潜ると青梅街道の起点です。
上を走るのはJRの中央本線、中央線、総武線、山手線、埼京線、湘南新宿ライン、成田エクスプレス、東武鉄道特急。

大ガード東側から見た夜の風景。

ちなみに・・・青梅街道の起点は現在では大ガード西交差点からのようですが・・・むかしは新宿3丁目、現在の伊勢丹のあたりの新宿追分という地点だったらしいです。甲州街道との分岐点ですね。

この大ガード、昭和以前の匂いがします。>
※新宿ぶらりぶらりの撮影カメラはすべてパナソニック LUMIX DMC-TZ40です



東京・・・新宿西口で・・・昭和の新宿を見た

2014-01-20 | 道をゆく 東京散歩
1月17日、むかし懐かしい新宿西口の「思い出横丁」を通過しました。

昭和のままです・・・ラーメンの店、立ち食いそばの店、大皿に盛られたオカズを選んで食べる定食の店。もちろん主力は焼き鳥屋(もつ焼、煮込み)、貧乏学生のころここで定食を食べました。サラリーマンになってからは焼き鳥でいっぱいなんてこともしました。

ウイークデイの午後2時ごろ。もう焼き鳥屋で飲んでる人もいます・・・わたしも飲みたいなあ

昭和の・・・あの大戦で日本が負けたころから、この街は変わってないようです。
日本の歴史・文化遺産にしたい街です。
>
※新宿ぶらりぶらりの撮影カメラはすべてパナソニック LUMIX DMC-TZ40です