比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

雪の春三月・・・八ヶ岳山麓・・・美しい自然の・・・清里駅あたりの今

2019-05-15 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

春三月・・・雪の野辺山高原からJR小海線清里駅あたりに。
八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳が眼前に迫り、遠く富士山の秀峰が・・・

山梨県北杜市高根町清里。かつては静かな高原であったが1970年から1980年にかけて「アンアン」「ノンノン」などの週刊誌に取り上げられ「アンノンブーム」で東京の原宿状態に。1990年代のバブル崩壊で壊滅状態に(最盛期には一坪500万円に上った駅前の地価は、2017年現在では一坪3万円に下落している・・・Wikipedia}。






駅前にて静態保存されているC56 149・・・通称シゴロク。

清里駅・・・1日の乗客193人。駅前には観光周遊ピクニックバスが。
※撮影日は3月8日。

ブームに沸いた清里でしたが・・・

わたくし的に思えば・・・素晴らしい自然景観、先人たちが汗を流して開いた農地・・・にこの景観はアンマッチだと思います。
五箇山や白川郷、木曽馬籠の宿、上高地の河童橋周辺の旅館群、京都の大原の里、スイスのグリンデルバルドをはじめとする西欧の観光地・・・それぞれ景観にあった町作り、規制作りをしています。

旅人の心を癒やす・・・清里は素晴らしいところです。

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冬2月・・・妙義山塊・・・金洞山の麓・・・中之嶽神社を尋ねる

2019-04-30 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

冬のある日、群馬県の奇山・・・妙義山・・・までドライブ。
オドロオドロした奇怪な山容が連なる・・・妙義山塊の表妙義です。
妙義神社から山肌を縫って中之嶽神社まで来ました。

妙義山の轟岩(とどろきいわ)を本殿とする巨岩信仰の神社。145段の石段を上がった轟岩が本殿です。傍らに拝殿があります。
中之嶽大黒神社があります。2005年建立の大黒様が鎮座しています。高さ20m、日本一?の大黒様だそうです。






※撮影日は2月12日。


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冬2月・・・妙義山塊・・・白雲山と金洞山の見える風景

2019-04-29 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

冬のある日、群馬県の奇山・・・妙義山・・・までドライブ。
オドロオドロした奇怪な山容が連なる・・・妙義山塊の表妙義です。

妙義山麓の富岡市立妙義ふるさと美術館の駐車場あたりから妙義山系・・・白雲山の風景です。

遠く金洞山が見えます。

金洞山(1094m)をズームして見ました。
※撮影日は2月12日。
☆妙義山系表妙義の山々はほとんどが東北を向いています。午前の早い時間だけが順光になります。

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冬2月・・・妙義神社・・・境内の道端で見た・・・フクジュソウ

2019-04-27 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

冬のある日、上州三山の一つ、妙義山までドライブ、東麓に鎮座する妙義神社です。
創建は537年、明治維新前までは神仏混交の神社と寺。江戸時代には関東の北西の乾を固める神として德川家に信仰されました。

妙義神社の境内の道端で見た福寿草です。
※撮影日は2月12日。


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冬2月・・・上州三山・・・妙義山の麓・・・妙義神社に詣でる

2019-04-26 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

冬のある日、上州三山の一つ、妙義山までドライブ、東麓に鎮座する妙義神社です。
創建は537年、明治維新前までは神仏混交の神社と寺。江戸時代には関東の北西の乾(戌亥)を固める神として德川家に信仰されました。
総門、隋神門、唐門をくぐって・・・妙義神社・・・本殿に。

妙義神社の拝殿、奥に本殿。1756年建立、国の重要文化財。





波己曽神社(旧妙義神社)・・・1656年の建立と推定。
1967年新材を補足して移築大修理、建立当初の姿に復元。県の重要文化財。

本殿から見下ろした松井田の町並みです。
※撮影日は2月12日。


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冬2月・・・総門、隋神門、唐門をくぐって・・・妙義神社へ・・・

2019-04-25 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

冬のある日、上州三山の一つ、妙義山までドライブ、東麓に鎮座する妙義神社です。
創建は537年、明治維新前までは神仏混交の神社と寺。江戸時代には関東の北西の乾を固める神として德川家に信仰されました。

妙義神社石標です。

妙義神社への道。

総門です・・・むかしの白雲山石塔寺の金剛力士の仁王門です。扁額は高顕院と読むようです。1773年建立、国の重要文化財。

右に隋神門・・・左の石段を上がると唐門、本殿へと続きます。

隋神門です・・・赤鬼、青鬼がいます。群馬県の重要文化財。

唐門です・・・1756年建立、国の重要文化財。この門を潜ると本殿です。
※撮影日は2月12日。


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紅葉の碓氷峠・・・旧信越本線碓氷第3橋梁眼鏡橋をたずねる

2018-12-16 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳


1893年開通の信越本線の遺構・・・碓氷第3橋梁・・・通称めがね橋・・・4連アーチ、高さ31m、長さ87.7m。国指定重要有形文化財。
碓氷峠を登る鉄道はアプト式という軌道上のラックと車両のギアとを組み合わせて急勾配を登るシステムでした。
この橋梁はアプト式の時代の設備で1963年勾配を緩くした新線ができるとその役目を終えます。







1963年敷拙した信越本線です。1997年新幹線の開設により廃線になっています。
※撮影日は11月1日、


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北関東への旅⑥・・・コキアの丘は真っ赤っ赤・・・広さ350㌶・・・国営ひたち海浜公園

2018-12-03 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

紅葉の北関東・・・国営ひたち海浜公園へのツアー旅行・・・
広さ350㌶・・・とにかく広い・・・前身は1938年旧大日本帝国陸軍飛行学校として建設され、敗戦後1946年からアメリカ軍が接収、米軍水戸射撃場に。1973年返還。国営公園に。1世紀前に軍用施設として建設され半世紀・・・いまは人々の憩いの場に・・・平和ってイイなあ。
1991年70㌶で開場、現在350㌶。2017年3月までの累計入場者2701万1503人。
四季を通じて水仙、チューリップ、ネモフィラ、ポピー、バラ、コスモス、蕎麦、コキアの花畑が広がる。

コキア・・・です。
子どものころホウキグサといっていたのの改良種のようです。

秋の七草の内・・・ハギ・・・です。

国設ひたち海浜公園・・・らしい風景。
一面をネモフィラが埋め尽くす風景で有名ですが秋はコキアの海・・らしいです。

巨大カボチャ・・・アトランティックオーシャンなんていう名前・・・10㎏から100㎏、200㎏のもあるそうです。

茅葺屋根の家とソバの花の咲く風景・・・

350㌶・・・とにかく広い・・・皇居内苑115㌶、大阪城公園105㌶・・・その3.5倍、建設途上です。真ん中を北関東自動車道が走る。
※1㌶は100m四方、10000㎡、1町歩、3000坪。
※※撮影日は10月11日。


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紅葉の北関東への旅⑤・・・ひたちなか市那珂湊漁港の魚市場で

2018-12-02 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

紅葉の北関東・・・国営ひたち海浜公園へのツアー旅行・・・その前にひたちなかの魚市場へ。
ひたちなか市・・・1994年勝田市と那珂湊市と合併。人口15500人。水戸市の北、中川の河口を挟んで大洗町の北、西に東海村。

那珂川の河口那珂湊漁港にやってきました。お魚屋さんが並んでいます。

岩牡蠣です・・・1個300円・・・高いか?廉いか?



こういう雰囲気好きです。




※※撮影日は10月11日。


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