比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

下総国の権現堂堤・・・桜と菜の花のコラボレーション

2010-04-06 | 道をゆく 関東
4月3日土曜日、桜の巡礼です。熊谷の桜堤から幸手市の権現堂堤にやって来ました。
国道4号線(日光街道・奥州街道)の内国府間(ウチゴウマ)の交差点のわきに権現堂堤の桜が見えてきます。

1kmの堤防の天端に1000本の桜のトンネル。ここのウリは権現堂堤と中川の間の河川敷に広がる菜の花。

サクラとアブラナのコラボレーション・・・



いまは埼玉県ですが江戸のむかしは下総国権現堂村。6kmにわたって3000本以上の桜が連なっていたそうです。かつては利根川の本流の一部であった権現堂川は明治時代に流路変更のため締め切られ1933年廃川、堤防は荒れ、さらに大戦後の混乱で伐採されました。
1949年旧権現堂堤のうち中川の堤防として残った部分に桜が植樹され、そのご休耕田にアブラナが、土手の法面にアジサイも、現在は水仙、菜の花、桜、紫陽花、ヒガンバナと季節の花が楽しめる市民の憩いの場になっています。


残雪の道く(終わり)・・・ケモノの足跡を見た

2010-03-09 | 道をゆく 関東
群馬県松井田町横川駅の近く、群馬県森林公園野鳥の森を歩いています。
数日前の雪で日陰には雪が残っています。バードフォトに来たのですが地鳴きも聞こえません。
ユックリユックリ2時間近くかけて散歩しています。何もありません。

雪の坂道です。この日の先行者の足跡はありません。

ケモノの足跡・・・ウサギかな?

ケモノの足跡・・・シカかな・・・シカと見届けたのでないから定かではない。

オマケ・・・ヒマラヤトウヒの球果ではないかと落ちているところから推定した。


残雪の道を歩く・・・上州・・・小根山森林公園から

2010-03-05 | 道をゆく 関東
2月24日・・・雪が降ったり、雨が降ったり、やたら暑かったり・・・変な気候の2月の晴れた日、気晴らしにふと思いついて上州横川の小根山森林公園まで遊びに行きました。ここは静かで野鳥の森といってもカメラを担いだ人が誰も歩いていないので気楽に歩ける好きなところです。

雪が残る赤松林から展望台へ。タイヤのあとはパトロールの車かな。一般車通行禁止。

展望台から見た裏妙義の山。

今日は20年以上つきあったゴム長靴にヒビが入ったので新品の長靴(H・Sで一番安いの)の履き初め。トレッキングシューズもいいがこれがまたイイ



明治の夜明け・・・富岡製糸場がここに出現した

2010-03-04 | 道をゆく 関東
ふと思いついて上州富岡市の古い古い歴史の官営富岡製糸場に寄ってみました。

明治維新の夜明け、戊辰戦争が終わり廃藩置県、戸籍法が制定されたのは1971年、その1年後ここ群馬県の富岡市に15000坪(5㌶)の大工場が出現します。

富国強兵、外貨を稼ぐ輸出商品は絹と茶、当時のヨーロッパの絹生産国(イタリア、フランス)で蚕の病気の発生など 要因があったようですが1870年官営富岡製場糸場が建議されます。ここら辺は教科書で習ったような覚えがあります。洋行帰りの大蔵民部省官吏渋沢栄一がこの開設に奔走。同年フランスの生糸問屋の横浜支店に来ていたブリューナを企画実行の総責任者として契約、義兄で論語などを教えてくれた尾高惇忠を工場長に指名。ブリューナは埼玉、群馬、長野で物件探し。生糸の生産地が後背地にある、工場土地が確保できる建築資材が現場調達できる、水資源・石炭資源がある・・などの条件をクリアーしたのが富岡。工女の募集は尾高惇忠が自分の娘を工女第1号として、苦労の末、工場の機械に対応する300人余を確保します。

繭倉庫、繰糸場、繭煮場、乾燥場など操業に必要な建物はすべて着工から1年後の1972年に完成します。木骨煉瓦造り、基石は甘楽町小幡の砂岩。煉瓦は甘楽町福島に窯をつくって焼成。白い目地は下仁田町青倉産の石灰からつくった漆喰で。動力源は高崎・吉井の山中から採鉱される亜炭で。資材はすべて国産。

官営富岡製糸場。明治5年(1972年)10月4日操業開始







東繭倉庫の玄関上部に「明治5年」(1872年)の石板が。煉瓦の積み方はフランス積み。

ここで一つ疑問が。明治5年、流通アクセスはどうしたでしょうか。上野・高崎間の鉄道が開通は10年後。上信電鉄高崎・下仁田間が開通は25年後です。利根川水系鏑川に小幡町の福島に舟運河岸があったのですが繰糸機の搬入、製品の搬出などは舟運だったのでしょうか。街道は現254号線、中山道姫街道とか下仁田街道とか呼ばれる徒歩の道です。
そんな環境で立ち上がった近代化の先駆け・・・凄いパワーを感じます。

東繭倉庫。外の突き出ている梁の木口。2本の梁をボルトで止めている。集荷した繭を煮て(蒸殺)乾燥させてここでストックした。長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8m。西側に同じ大きさの西倉庫が。

壁面の写真。

繰糸場・・・正面。屋根の上にさらに蒸気抜きの屋根が見える。長さ140.4m、幅12.3m、高さ12.1m。

繰糸場の横から見たところ。IFであるが窓は採光のため3F。

繰糸場内部。フランス製繰糸機300釜。当事世界最大規模。現在は1965年ごろの日本製の繰糸機が。天井はトラス梁構造(Ⅴ字型のカスガイ)で柱がない。窓が大きく天井に蒸気抜きが。

下の3棟は1973年の建造。コロニュアル方式建築・・・回廊式ベランダは長崎のグラバー邸を彷彿させる。

ブリューナ館・・・320坪。仏人のお雇い指導者ブリューナの家族宿舎。明治8年(1875年)の契約満了まで居住。そのご工女の夜学校、片倉富岡高等学園として使われていた。

女工館・・・工女さんを指導するために来日したフランス人工女さんの宿舎。

検査人館。ブリューナと同時期に雇われた外人技師の住居。事務所に使われ、2Fは皇室関係、政府高官の貴賓室。

日本の近代化の先駆けとしてつくられた官営製糸場、莫大な国費を投じて民間の製糸業を起こさせるための役割をじゅうぶんに果たしたのち、1893年三井家に払い下げられる(御用商人に払い下げというところが面白い)。9年後に原合名会社に譲渡(横浜三渓園を作った生糸王)。原三渓の衰退後の1938年片倉工業に。1987年操業停止。2005年富岡市に寄贈。2006年国指定重要文化財に。

115年間の操業の歴史。片倉工業だけでも48年間、診療所や高等学園も開設していたようです。

国力を賭けて採算を度外視してつくった官営富岡製糸場、その役割は民間の産業振興、早くも2年後の1974年桐生に日本人による機械式製糸場ができます。富岡の工女は技術指導員として全国に配置されていきます。生糸王国日本はこの民間、組合製糸の躍進がつくったといわれます。

封建社会から近代資本主義経済に切り替わる区切りの時代の貴重な歴史的産業遺産です。

場内説明は地元ボランティアのかたが素晴らしい語りで。ありがとうございました。

もっとじっくり見てみたい。写真アングルももっと考えたい。また来てみよう。
ブリューナの年俸、尾高惇忠のこと、松代藩士の娘の工女横田英のこと、製糸女工の光と影・・・など調べていくと面白い。
群馬県富岡市・・・上信越自動車道富岡IC。東京から130km。長野、軽井沢方面に行った際、寄り道してもいいところです。

上州横川・・小根山森林公園から・・・碓氷の山々が見える

2009-12-08 | 道をゆく 関東
上州横川駅近くの小根山森林公園です。
山の中を歩いています。見晴台がありました。

見晴台からの山座同定です。
すぐ下に上信越自動車道横川サービスエリアが見えます。その向こうに高速道斜張橋。橋の下は国道旧18号線、坂本宿のあたり。
五輪岩が見えます。国道18号線碓氷バイパスはこの岩を左から回りこんで右の谷に入っていきます。

上信越自動車道はこの谷を詰めていきます。いちばん奥の尖った岩が高岩です。碓氷・軽井沢ICの前にソソリ立つ岩峯です。
その左の岩峯は裏妙義の山々です。

紅葉や落ち葉や見たり小鳥さんの囀りを聞きながら2時間ばかり山の中をウロウロして今日の散歩は終了。
小根山森林公園・・・横川駅から関東ふれあいの道で40分、横川SAから20分。狭い道ですが上まで車で行けます。


消えた信越本線・・・横川駅・・・鉄道文化むら

2009-12-06 | 道をゆく 関東
消えたJR信越本線横川駅のあたりです。
碓氷の関所の少し山よりから眺めです。下に見えるのは信越本線がブチ切られる前の横川駅操車場です。アプト式の牽引車や強力電気機関車の待機場でした。今は鉄道文化むら・・・だそうです。
わたしは本格的な鉄道マニアではないのですが機会を改めて寄ってみたい。新旧取り混ぜた機関車の見本市のようなものかな。

むかしの本線の1本が撤去されずに坂本宿方面まで通じています。観光トロッコ用です。
その手前の道は線路を埋めてハイキング道路に(歩いてみたい)・・・熊野平のめがね橋まで。
向こうに見えるのは国道18号線。写真の右端から旧18号線碓氷峠への道にと新18号線碓氷バイパス入山峠への道にと分かれます。


それにしてもなぜ信越本線は横川から軽井沢までをカットしたのでしょうか。軽井沢から篠ノ井までは第三セクターしなの鉄道、篠ノ井から直江津までは信越本線。

ゆっくり行こうよ信濃路を」というのもイイじゃないですか。

陶器の里・・益子からスーヴェニール

2009-11-09 | 道をゆく 関東
陶器の里・・・益子・・・ブラブラ歩いています。
ある人にイイことを教わりました・・・「旅の思い出は小さなものを一つだけ」・・・

1点ではなく3点ご購入・・・益子焼に多い白獨釉で毛筆をほどこし、ボッテリとしたもの。
コーヒーカップ、蕎麦ちょこ(今のが飽きたから)、注ぎ口のある鉢(トロロ汁を入れたら美味かろうと)。

コーヒーカップ・・・家にあるカップです。左の2つは客用。後ろの2つは毎日使ってるマグカップ。真ん中のは今回買ったもの、後ろは萩焼き・・・使いません。右の2つ、マグカップは某銀行の景品。積み重ねてるのは白いのはホームセンターで買った安物。丈夫で割れにくく積み重ねられ、喫茶店風。つまりコーヒーカップは毎日使うから丈夫なのがイイ。稀に友人が来たときカッコつけてウエッジウッドなるものを出す。

益子にある大塚はにわ店・・・なぜ益子に土偶が・・・なんて考えない・・・旅のつれづれのロマンだ

みちのくの古代アート遮光土器・・・横の埴輪は前に来たとき買ったもの。贋作ではなくレプリカです。
遮光器土偶(遮光器とはイヌイットのサングラスに似てるから)・・・津軽亀ヶ岡遺跡(木造町・現つがる市)・・・後期縄文時代(BC1300~BC400年)・・・1886年出土、国立博物館蔵。現物は左足がありません。宇宙人、アラハバキ神、シュメールの女神・・・諸説あります。
司馬遼太郎・街道をゆく「北のまほろば」・・では津軽の考古学研究家が「アートです」とつぶやきます。
津軽は何回も訪れた地、この土偶を見ていると津軽平野と岩木山と岩木川が瞼に浮かぶ。
旅の思い出は小さくて一つだけ。本棚に飾っています。一つ一つがスーヴェニール(メモリー)です。

《蘊蓄》みやげ・・・土産・・・スーヴェニール(英)・・・スーヴニール(仏)
みやげ・・・屯倉(共同倉庫・・皆で分ける)、宮笥(神様の供え物)、ミヤンゲ(アイヌ語・・・身をあげる)・・・いずれも何となくわかる説だ。土産・・・そのものズバリの意味と「みやげ」をくっつけた。英語、仏語はいずれもメモリーの意味らしい。

焼き物の里・・・秋の益子陶器市に行く

2009-11-08 | 道をゆく 関東
11月3日・・・陶器の里・・・益子の町を尋ねました。秋の大陶器市です。
春のGW、秋の文化の日の週、年2回の陶器市、50万人が集まるそうです。
別に高価な陶器を求めて行ったわけではありません。単なる物見遊山です。

大きな狸の焼き物がある共販センター。

外人さんの姿が多いです。奥さんは陰に隠れて見えません。

可愛い創作人形の焼いたもの。

日常雑器の陶器、益子焼はこれが益子だという特徴がありません。値段は300円ぐらいから1000円、2000円。別に廉いわけじゃありません。安いのはそれなりに、高いのはそれなりに。超高級品の店もあります。



益子焼・・・古い窯ではなく江戸時代末期、笠間で修業した大塚某がはじめたものといわれます。日常雑器を焼く窯です。焼き物とは昔も今も本来はそういうものです。


濱田庄司(1894~1978年)・・・陶芸作家、人間国宝、民芸研究家。1930年この地で作陶をはじめたことから益子の陶器は有名になりました。

あるお店の濱田庄司作品展示室。売り物です。小さなお茶碗で10数万円、大皿、花器、壷は百数十万円から数十万円。

益子のメインストリート城内坂・・・窯元、販売店合わせて400軒以上の出店だそうです。

あるお店の裏に登り窯が。街のど真ん中ですが街並みの裏はすぐ山です。

こういう店、ブラブラしてるだけでもイイですね。ケチですから高価なものを買う気は毛頭ありません。家の中の食器はじゅうぶんあるのです。何か買えば何か捨てなければなりません。

次回はスーベニールとして買ったものの紹介です。

西上州・・・南牧村を行く①

2009-06-27 | 道をゆく 関東
ひさししぶりの南牧村です。
ここは西上州、下仁田から南牧川にそって信州方面に向かう深い谷あいの村。

段々畑が南牧川の隔てた向こうの山に。
耕して天にまでは至りませんが、これが南牧の人たちが先祖から受け継いだ貴重な財産です。

南牧村砥沢・・・関所もおかれた街道町の面影・・・むかしは信州佐久と西上州との主要流通道路(中山道のバイパス・・・姫街道とも呼ばれる)。信州から運ばれる米の市(九斎市)が立ったようです。
二階のベランダ風の出桁造りの外廊下・・カズ架けというのだそうです。カズは楮(コウゾ)の訛りらしい。コウゾはその樹皮繊維を細かく割いて和紙の原料とする。カズ架けはコウゾの1次加工したものの乾燥設備。
砥沢は名前のように中世から江戸時代、そしてつい最近(1970年代)までは虎砥、砥沢砥(沼田砥とも呼ばれる)の産地。この砥石の生産で富岡、藤岡は大いに栄えたといわれます。


砥沢を過ぎて羽沢、ここで93号線から脇道にそれて右に県道。201号線、星尾に。
仲庭という集落から左に上がると大上集落。
上から見下ろした仲庭集落。

大上集落をさらに上がると大きな砂防堰堤が見えてきます。上はすでに埋まっています。

線ヶ滝といいます。
高低差35m。
階段、ロープなど伝い滝壷まで3分。


林道、舗装の切れるあたり・・・立岩の登山口。10台以上、駐車可。
立岩については次回に

Google南牧村星尾あたりの地図
Google線ヶ滝地図


伊香保森林公園・・・原生林を行く

2009-05-10 | 道をゆく 関東
玉原高原の散策して湿原で水芭蕉を見て、時間があったので伊香保森林公園に向かった。
伊香保温泉の街中を通り過ぎて榛名山に向かう途中から水沢山のほうに向かう。

山の中でこんな看板を見つけました。
皆様の公園です。「写真以外は何もとらないで下さい。足跡以外は何も残さないで下さい」

伊香保森林公園原生林・・・管理棟・・・ログハウス風なのはトイレ。

むかしのサウナ風呂? 蒸し湯跡・・・管理棟から20分ぐらい歩いたところに・・・
蒸気が噴出す温泉が江戸時代からあったようで大正時代まで営業していたそうです。

炭焼き釜跡・・・炭焼き釜って知ってる人はいますか。

オンマ谷の道・・・大規模な風穴・・・溶岩流の跡か・・・に続く道です。

伊香保森林公園の概要のHP 

公園というより原生林の中のトレッキングコースです。ハイヒールでは歩けません。ここでは1時間ぐらいの周回コースを歩きました。