7月5日、群馬県の山の奥の「
野反湖」に行く途中、吾妻川、JR吾妻線に沿った
八つ場を通りました。
群馬県吾妻郡長野原町川原湯温泉字
八つ場・・・やんばと読みます。方言らしいチョッと無理がある読み方ですが古い伝統の地名ですから大事にしたいです・・・地名というものは読めなくても国語力には関係ありません。地名の由来は①狩をする矢場②八つの落とし穴③谷(や)場・・・など、いずれも定かではないようです。
利根川水系
吾妻川、上信国境鳥居峠あたりが源流、渋川市で利根川に合流、76km。
JR吾妻線・・・渋川駅から嬬恋村大前駅まで55km。途中の長野原草津口駅は上野駅から特急が通じている。
JR(東日本)吾妻線・・・
川原湯温泉駅・・・八つ場ダムの中心。いずれ湖底に・・・という計画。
川原湯温泉は1193年、源頼朝が狩に来たおり発見したという?数軒の宿からなる古い温泉場です。むかしむかしむかし泊ったことがあります。静かないい温泉宿でした。そのころすでにダム計画は進行していました。
吾妻川に沿って国道145号線。川原湯温泉より少し下。中之条町松谷のあたり。ダム堰堤より下流側ですから国道を堰堤の高さまで次第に上げていかなければなりません。
吾妻川がV字谷になるあたり、ムササビも飛ぶという
国指定名勝「吾妻峡」はここから3.5km、川原湯温泉あたりまで。このへんが
八つ場という地籍になります。
ダム堰堤は吾妻峡の1/3を水の底にするあたりに築かれるようです。
吾妻川に架けられた橋です。このへんは吾妻峡の終端あたり。堰堤の下流側。向うの谷の法面の土留工事。
川原湯温泉より上に橋が数本。ダムサイトの両岸を繋ぐ橋。ダムサイトに新しい移住の場所を作るためでしょうか。
こちらは斜張橋、向うは桁橋のようです。
国道145号線、日本ロマンティック街道と地図に書いてあります。ダンプカーが間断なく行き交います。
この谷の終点は浅間山、四阿山、草津白根山など・・・那須火山帯の終端です。活火山もあり強酸性の土壌が水に溶けて流れ魚も棲めないといわれます。白砂川上流の草津品木ダムに中和処理場を作ったようです。これは化学的な処理ですから恒久的に続けなくてはなりません。自然と争うわけです。
「ダムはムダ」だとか「脱ダム宣言」とか「コンクリートより人」とか・・・理想的な言葉ですが・・・わたしは何もいえません。
「八つ場ダム問題」・・・1949年(昭和24年)利根川水系に10箇所のダム計画がされました。八つ場ダムは9番目のダム(沼田ダムは中止)。以来50年間、40年間反対に明け暮れ、1994年協定、2001年保障基準ができて妥結します。そしていま計画の中止問題です。
人生のほとんどをこの問題に振り回された人もいます。お先祖様の眠る墳墓の地を離れるというのはどんな心情か、他人には何もいえません。
重機がうなり、ダンプが行き交います。日本中どこでも土木建設業が基幹産業になりました。「脱ダム宣言」では土木建設業を中心とする地方経済は壊滅してしまうのです。橋脚屋さんは橋を造船屋さんは船をずっと造り続けなければ企業が存続しません。このダムで7つの公益法人に25人、随意契約の57社に99人の公務員が転職したといわれたのは最近のことです。
「八つ場ダム」がどういうようになったらいいか、大都市の水事情はどうなのか、わたしにはわかりません。
ちなみに世界の三大ムダ事業とは・・・ピラミッド、万里の長城、戦艦大和といわれています。ピラミッドはいまだに何のために作ったのかわかりません。万里の長城は夷敵の侵入を防ぐために作ったのでが、元王朝、清王朝は外夷の王朝です。戦艦大和は当時の金で1億4千万円をかけ4年の歳月をかけて建造し、さしたる戦果を挙げることなく3年半後の1945年4月に海の底に消えました。