信濃国上田藩上田城・・・真田城・尼ヶ淵城とも。
上田といえば真田幸村。六文銭の旗印、真田十勇士がおなじみです。
上田市郊外の菅平高原の麓(旧真田町)の小豪族です。幸村の父、真田昌幸の時代に甲州武田氏に、その後は時代の波を見て、関が原の合戦の時は長男(上州沼田藩主)を徳川方に、昌幸と次男幸村は豊臣方に、二股膏薬ですね。どっちに転んでもいいように真田家の存続をはかったわけです。
このことは別にズルイわけではなく関が原の合戦では最後まで旗色を決めなかったり最後に寝返ったり最後に大遁走をはかったりしたした大名家がいます。
風見鶏といって、いまの政界にも見られるようです。
さて上田城です。1583年真田昌幸が築城、1585年7000の徳川軍を、1600年38000の徳川軍を迎えてこれを退けます。小さな平城ですが難攻不落でした。城は関が原の合戦の後1600年に打ち壊しになり、真田信之(幸村の兄)は沼田藩主から上田藩主に、そして松代藩主へと移封されていきます。真田家の後を1622年引き継いだ千石家が上田城の復旧工事を行ったのが現在のもの。天守閣がありませんが最初からなかったというのが定説です。1706年松平家に代わって1871年明治の廃藩を迎え、これらの櫓は民間に払い下げられ、市が買い戻して現在に至ってるようです。
フシギなことに上田ではお酒の銘柄とかお菓子の名前とかに真田十勇士とか六文銭とかにちなんだものが多く、土地出身のリーダーだったからか治世は40年間だけですがたいへん親しまれています。後を引き継いだ千石、松平家は匂いがないのです。後の殿様たちは落下傘(よその国から来た)の為政者だからでしょうか。
400年も前のむかしの為政者がいまも人気があるなんて。よほど治世が良かったのか、講談、ドラマの主人公のせいか、フシギですね。
上田といえば真田幸村。六文銭の旗印、真田十勇士がおなじみです。
上田市郊外の菅平高原の麓(旧真田町)の小豪族です。幸村の父、真田昌幸の時代に甲州武田氏に、その後は時代の波を見て、関が原の合戦の時は長男(上州沼田藩主)を徳川方に、昌幸と次男幸村は豊臣方に、二股膏薬ですね。どっちに転んでもいいように真田家の存続をはかったわけです。
このことは別にズルイわけではなく関が原の合戦では最後まで旗色を決めなかったり最後に寝返ったり最後に大遁走をはかったりしたした大名家がいます。
風見鶏といって、いまの政界にも見られるようです。
さて上田城です。1583年真田昌幸が築城、1585年7000の徳川軍を、1600年38000の徳川軍を迎えてこれを退けます。小さな平城ですが難攻不落でした。城は関が原の合戦の後1600年に打ち壊しになり、真田信之(幸村の兄)は沼田藩主から上田藩主に、そして松代藩主へと移封されていきます。真田家の後を1622年引き継いだ千石家が上田城の復旧工事を行ったのが現在のもの。天守閣がありませんが最初からなかったというのが定説です。1706年松平家に代わって1871年明治の廃藩を迎え、これらの櫓は民間に払い下げられ、市が買い戻して現在に至ってるようです。
千曲川尼ヶ淵の段丘上に立つ南隅櫓
千曲川尼ヶ淵の段丘上に立つ北隅櫓。
南隅櫓(左)と東隅櫓の間、東虎口櫓門
東隅櫓と石垣、いちばん大きな石が真田石。
東虎口櫓門を抜けて本丸に入ると真田神社、裏側に真田井戸・・・
この井戸は秘密の抜け道になっていて兵站輸送路と言われるが真偽のほどは定かではありません。
この城は南西が千曲川の段丘の端(バケ)になっていて天然の要塞になってます。
北側の背後を固める内堀です。
市街地からの通用門の下に南北に美しい欅並木の空堀が通じています。
上田温泉電気軌道(現上田交通)真田傍陽線(1928~1972年)の線路跡です。
今は市民の散策路として親しまれているようです。
千曲川尼ヶ淵の段丘上に立つ北隅櫓。
南隅櫓(左)と東隅櫓の間、東虎口櫓門
東隅櫓と石垣、いちばん大きな石が真田石。
東虎口櫓門を抜けて本丸に入ると真田神社、裏側に真田井戸・・・
この井戸は秘密の抜け道になっていて兵站輸送路と言われるが真偽のほどは定かではありません。
この城は南西が千曲川の段丘の端(バケ)になっていて天然の要塞になってます。
北側の背後を固める内堀です。
市街地からの通用門の下に南北に美しい欅並木の空堀が通じています。
上田温泉電気軌道(現上田交通)真田傍陽線(1928~1972年)の線路跡です。
今は市民の散策路として親しまれているようです。
フシギなことに上田ではお酒の銘柄とかお菓子の名前とかに真田十勇士とか六文銭とかにちなんだものが多く、土地出身のリーダーだったからか治世は40年間だけですがたいへん親しまれています。後を引き継いだ千石、松平家は匂いがないのです。後の殿様たちは落下傘(よその国から来た)の為政者だからでしょうか。
400年も前のむかしの為政者がいまも人気があるなんて。よほど治世が良かったのか、講談、ドラマの主人公のせいか、フシギですね。
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