比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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きょうは何の日・・・いまから62年前の沖縄戦・・・慶良間諸島に米軍が上陸した日沖縄・伊江島・タッチュー

2007-04-16 | 語り継ぐ責任 沖縄のこと
沖縄北部、海洋博の開かれた本部半島から西方9kmに浮かぶ伊江島です。グスク(城山)とかイータッチューと呼ぶ山が見えます。フクギ並木に囲まれた備瀬の集落から海岸に出ますと眩いばかりの海の色に出会います。
エメラルドグリーンというのかコバルトブルーというのか言葉を失います。


今日は何の日。
太平洋戦争の終末、4月1日に沖縄本島中部西海岸に上陸した米軍は南に向かって進軍を開始しますが北部方面の制圧も同時に行います。主力守備軍のいない北部はわけもありません。
1945年4月16日は、この美しい島、伊江島に米軍が上陸した日です。日本兵2700人、住民からなる防衛隊、義勇隊、女子協力隊が1200人、数日を経ずして陥落します。戦死者4700人、内住民1500人が犠牲になります。
石灰岩の自然洞窟(アハシヤガマ)では150人余の集団自決が起こります。
ナンダッタのでしょう。
いま「命どう宝」(ヌチドウタカラ)の意味を考えてます。

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4 コメント

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ちゅら海で (山法師さんへ・・・・・ヒキノ)
2007-04-17 16:13:35
この島での住人の戦死者1500人、生存者2100人は捕虜として慶良間島に収容され島に帰ったのは2年後のことだそうです。自分の家や畑が戦場になって米軍からガス弾や手榴弾や機銃の攻撃を受けたのは沖縄住民だけです。
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男たとの大和 (レディーさんへ・・ヒキノ)
2007-04-17 16:07:29
辺見じゅんさん(角川春樹の姉)が大和の生存者からの聞き書きを基にしたものだそうですね(この本は読んでないのです、読もうと思ってます)。大和の戦死者2740名、生存者269名といわれます。どんな気持ちで海に沈んで行ったのだろうか私にはわかりません。
ひめゆり部隊、師範学校女子部と高女の生徒達290名余が陸軍病院の看護助手として徴用されます。犠牲者は220名余。
生きて平和をいただいた人は後世の人にどう伝えればイイのでしょうか。
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歴史を認識 (山法師)
2007-04-17 04:05:57
この美しい島にあの忌まわしくて、悲しい出来事があったとは、この素晴らしいスケッチを見ている限り、想像も出来ません。
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Unknown (オールドレディー)
2007-04-16 09:09:23
 先日「男たちの大和」をテレビで見ました。米軍の沖縄上陸を阻止するために、16歳という若さでお国のためにと死んでいった男たちの潔さ、今の同年代の若者と比べると……、嘆かわしい思いです。
 「ひめゆり部隊」という若き女性たちの活躍もありました。
 今の平和は、彼らの犠牲の上に成り立っていると思います。

 現在の沖縄は平和で、すっかり観光化してしまいました。
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