信州上田の・・・六文銭の写真帳
厳冬?の1月22日・・・・・・久しぶりのスカッと晴れ・・・浅間サンライン(浅間山麓広域農道)を軽井沢方面にプチドライブ。
浅間山を定点撮影をしてから帰路に・・・途中、東部湯の丸ICあたりから
山の上に下の城といわれる祢津城祉が見えます。平安時代から続く滋野氏の系譜を継ぐ祢津氏の居城だったといわれます。
海抜830m、麓の祢津西町から比高130m、その奥海抜930m地点に上の城があります。
振り向いて西側・・・独鈷山・・・内村川流域・・・武石川流域・・・依田川流域・・・八重原段丘・・・と続く千曲川左岸の風景です。
海抜830m、麓の祢津西町から比高130m、その奥海抜930m地点に上の城があります。
★祢津氏・・・平安時代、清和天皇の第四皇子貞保親王が滋野の海野荘園、官牧の長官として赴任、貞保の孫が滋野姓を賜り、滋野氏から滋野三家(海野、望月、祢津氏)へと分流・・・それぞれが地域名を姓として支配した。祢津氏は中世から戦国時代、源、北条、村上、武田、真田、徳川などに隷属し家名をつなぎ江戸時代初期に大名となり上州豊岡藩主となるが嗣子がなく途絶えた。。
★祢津城・・・築城は不明、廃城年も不明。下の城は整地され公園に、空堀、土塁などで古城を偲ぶことができる。麓に古御館という地籍があり居館跡の石碑があるが居館跡地を偲ばせるものはない。
★講談「真田十勇士」に根津甚八なるものがいるが祢津氏とは関係ない・・・?
★祢津城・・・築城は不明、廃城年も不明。下の城は整地され公園に、空堀、土塁などで古城を偲ぶことができる。麓に古御館という地籍があり居館跡の石碑があるが居館跡地を偲ばせるものはない。
★講談「真田十勇士」に根津甚八なるものがいるが祢津氏とは関係ない・・・?
振り向いて西側・・・独鈷山・・・内村川流域・・・武石川流域・・・依田川流域・・・八重原段丘・・・と続く千曲川左岸の風景です。
※撮影日は1月22日。
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