信州上田の・・・六文銭の写真帳
5月14日、藤の花の花見に近辺の散歩。
上田市前山293・・・信州上田塩田平の前山寺の参道のそばにひっそりと立つ小さな美術館「KAITA EPITAPH 残照館」・・・
1979年窪島誠一郎さんが開設した夭折の画家たちの作品を集めた美術館「信濃デッサン館」の再出発(2020年)です。
★開館は毎週土曜、日曜、月曜。開館時間は11時~4時まで。入館料は無料。
「KAITA EPITAPH 残照館」・・・中心は夭折の天才画家村山槐多・・・
EPITAPH(エピタフ)はギリシャ語を語源として墓碑銘のこと・・・
※撮影日は5月14日。
戦没画学生慰霊美術館「無言館」・・・その無言館に先立つ1979年に前山寺の一角に窪島誠一郎さんが収集した天才画家村山槐多をはじめとする夭折の画家たちの作品1000点余を展示するため開設した「信濃デッサン館」・・・1997年開館した「無言館」と相乗効果して入館者は順調でしたが、そのごの社会情勢の変化などで財政が苦しくなり、2018年信濃デッサン館を休館、2019年閉館。県立長野美術館が「尿をする裸僧」をはじめとする33点を購入、357点を窪島さんからの寄贈を受け、再開。運営は財団法人戦没画学生慰霊美術館。
村山槐多・・・1896~1919年、愛知県出身、明治、大正時代の洋画家、詩人、作家、愛知県出身の洋画家、従兄の山本鼎の影響を受け洋画家を目指し、山本鼎が長野県上田に住んだため信州を旅した。美術院展金賞受賞、スぺイン風邪により22歳で死去。
※「尿する裸僧」村山槐多2015年の制作・・・県立長野美術館サイトより。
「豆 cafe enjyu 」が併設されています。ホッとひといき、いかがですか。
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人柄が気に入られたのか当時の前山寺の守住職に寺の敷地300坪を提供され開館にこぎつけられたとか。無言館は上田市から産廃処理場を提供されたとか。
風光明媚なところです。
折りに触れて紹介します。
思い出してください。
コメントありがとうございました。
以前ホットケーキ様と無言館を訪れたとき、すぐそばにあったこの残照館にも立ち寄らせて頂きました。
ご一緒したホットケーキ様が、村山槐多がお好きで、熱心にご覧になっていました。
今はもう、訪れることは出来なくなりました。
歩けるうちに行きたいところに行っておいた方がいいと、この頃若い人たちにお勧めしています。が、コロナ禍で、動けないのは残念ですね。
絵を遺して戦場に散った若者たちの絵は無言・・・
訪れる人は無言に・・・
東京から約2時間半、別所温泉に泊って、前山寺、残照館、無言館を回れば・・・素敵な信州の旅に。
短歌の先輩が米寿記念に昨秋娘さんご家族と尋ねられ素晴らしい
短歌を沢山詠まれ感激いたしました。
この度も「残照館」のご紹介を頂き、初めて学ばせて頂きました。
いつも貴重なご紹介を頂きまして感謝申し上げております。
「父への手紙」「母の日記」
信濃デッサン館を前山寺の住職らの後押しにより開館。
現103歳の画家野見山暁冶との出逢いから戦没画学生の遺された画の蒐集をはじめ無言館を開館。
月日が経ち、戦争遺族の高齢化、経済の低迷、コロナ禍、窪島氏の高齢、いろいろなことが重なり信濃デッサン館は閉館に。
蒐集した絵の売却を考えたが、貴重な芸術の散逸を心配した関係者により。公共の美術館が買い取りに。
再開した「残照」は村山槐多の墓碑銘、窪島氏の心境も重ねて。
次次回は野見山暁冶の「私の履歴者」から・・・戦没画学生の遺作を探して・・・
机上の空論になりそうです。最近は腰痛で思うに任せません。
「残照館」もあったんですかあ・・・・・。
父 水上勉 | 窪島 誠一郎 |この辺の関係を知って驚くやら、いろいろとエピソードが有るようです・・・ネ。
窪島さんの病気入院とか無言館の遺族が高齢になり入館者が減少したとか、コロナ禍とか、いろいろな要因があったようです。
無言館を残すために信濃デッサン館の蒐集品を、個人コレクターに手放すとか考えたらしいのですが公共の美術館に引き取ってもらうことになりました。多くの愛好者が県立美術館を動かしたのでしょうか。
静かな別所温泉に泊まり、前山寺で胡桃おはぎをいただき画学生の絵を無言で見たいですね。
コメントありがとうございました。
こういう時期ですからその存続が気になっておりました。
「残照館」が新しく再出発するのですね。
おめでとうございます。
別所温泉はまさに信州の鎌倉でした。
懐かしく思い出しています。 茉那