信州上田の・・・六文銭の写真帳
長野県上水内郡信州新町・・・松本から長野へ、筑摩山地と犀川丘陵に挟まれた犀川、国道19号線に沿った町。
※信州新町・・・中世南北朝の時代、南朝に与する香坂氏の領地、戦国時代は甲州武田氏の馬場氏が治め、江戸時代に川中島藩(松代藩)の領地、江戸時代の初期から九斎市が開かれこの地域の中心地区で新町村。1889年4ヶ村を合併して水内村に。1954年町制で信州新町に、1955年、更級郡の2ヶ村と合併、2010年長野市と合併。合併時の人口5000。
国道19号線・・・松本と長野を繋ぐ犀川沿いの道です。雪に覆われた常念岳、蝶ヶ岳、大滝山が見えます。
「雉も鳴かずば撃たれまい・・・」の伝説。少女お菊の像。貧しい農村の悲話です。
羊の像・・・信州新町はジンギスカンの町・・・このあたりジンギスカン街道と呼び6軒のジンギスカン料理店があるそうです。
☆信州新町と綿羊・・・1930年ごろから始まった綿羊の飼育、1950年代まで続き最盛期は4000頭。綿羊飼育は衰退しましたがジンギスカンだけが食文化として残った。
各家庭にはジンギスカン鍋、バケツを改造したコンロが台所の必須アイテムだそうです。。
窪田聡 作詞・作曲の「かあさんの歌」の歌碑があります。
窪田聡(1936~)・・・昭和30年代のうたごえ運動に。1956年歌声新聞に発表、ダークダックス、ペギー葉山が歌い、NHK「みんなの歌」で歌われ大ヒット。信州新町は窪田の戦時中の疎開の地。
「雉も鳴かずば撃たれまい・・・」の伝説。少女お菊の像。貧しい農村の悲話です。
羊の像・・・信州新町はジンギスカンの町・・・このあたりジンギスカン街道と呼び6軒のジンギスカン料理店があるそうです。
☆信州新町と綿羊・・・1930年ごろから始まった綿羊の飼育、1950年代まで続き最盛期は4000頭。綿羊飼育は衰退しましたがジンギスカンだけが食文化として残った。
各家庭にはジンギスカン鍋、バケツを改造したコンロが台所の必須アイテムだそうです。。
窪田聡 作詞・作曲の「かあさんの歌」の歌碑があります。
窪田聡(1936~)・・・昭和30年代のうたごえ運動に。1956年歌声新聞に発表、ダークダックス、ペギー葉山が歌い、NHK「みんなの歌」で歌われ大ヒット。信州新町は窪田の戦時中の疎開の地。
※撮影日は4月5日。
※コメント欄オープン。
①「母さんの歌」
長野県とは知りませんでした。
youtubeで唱歌を聞きましたら、ジ~ント込み上げてくるものがあり、
母の夜なべを思い出しました。
父親は私が生まれて1年後亡くなりましたから、母親は朝晩苦労の連続でした。
②信州新町
この歌が生まれた地域場所、風土……
そんなこと知りたくてgooで追いかけました。
橋のたもと辿り着きました。
信州はどこえ行っても山の中。
③母の恩は海よりも深し、「母さんの歌」を聴いていたら、この辺から≪母を訪ねて三千里≫の物語が生まれるのでしょう。
有難うございました。
歳かさねると・・・・、涙腺が緩みます。
、
泣ける歌です。
「疎開」・・・いまの人にはワカラナイ言葉です。あの時代の都会からの避難者は将来をどう思っていたのでしょうか。暗い時代でした。近くにいた疎開者が終戦の日にホッとしたといったことをおぼえています。
あのころのお母さん・・・昼間は体を動かして働き、手仕事は夜なべ、よく働く人でした。
そういえばパンツは手縫いだった。