信州上田の・・・六文銭の写真帳
長野県上水内郡信州新町・・・松本から長野へ、筑摩山地と犀川丘陵に挟まれた犀川に沿った町。
久米路橋にやってきました。
犀川を堰き止めた水内ダムの人造湖「琅鶴湖」です。
ダム湖の命名者はこの地に疎開していて、この地を愛した日本画家の有島生馬・・・琅鶴とは翡翠のような色の翼を広げた鶴のこと・・・だそうです。
木道19号線から旧道に分かれたところにあるので通り過ぎます。
「雉も鳴かずば撃たれまい」という伝説があります。
ダム湖の命名者はこの地に疎開していて、この地を愛した日本画家の有島生馬・・・琅鶴とは翡翠のような色の翼を広げた鶴のこと・・・だそうです。
木道19号線から旧道に分かれたところにあるので通り過ぎます。
県歌「信濃の国」にも歌われている「久米路橋」です。平安時代の歌集「宇治拾遺集」に「心してゆけ久米路橋」と詠われているそうです。むかしから筑摩山地の更級郡と水内地方を繋ぐ橋としてあり記録としては江戸時代初期の1611年水内橋と呼ばれていたようです。近代に入って1918年木造吊橋が、1933年コンクリートアーチ橋が久米路橋として。長さ45.5m、幅5m。
久米・・・なぜ久米路橋と呼ばれたのか不明です。久米とは大和王朝の軍事部族、全国各地に部族が拡がったといわれます。久米、久米川、粂、粂川という地名として埼玉、東京、長野、三重、奈良、岡山、鳥取、愛媛、佐賀にあります。そこから広がった姓もあります。しかしここ信州新町になぜ久米がということがワカリマセン。
久米・・・なぜ久米路橋と呼ばれたのか不明です。久米とは大和王朝の軍事部族、全国各地に部族が拡がったといわれます。久米、久米川、粂、粂川という地名として埼玉、東京、長野、三重、奈良、岡山、鳥取、愛媛、佐賀にあります。そこから広がった姓もあります。しかしここ信州新町になぜ久米がということがワカリマセン。
「雉も鳴かずば撃たれまい」という伝説があります。
むかし、この川のそばの村の貧しい農家に弥平とお菊という親子がいました。重い病にかかったお菊が「赤まんま」食べたいというと、父親は地主の家で米と小豆を盗み赤飯を炊いてやります。病の治ったお菊がある日、手毬歌で「赤まんま食べた」と唄ってしまい、父親は捕えられて、久米路橋の工事の人柱にされてしまいます。お菊は口をきかないようになりますが、ある日、雉が鳴いて猟師が鉄砲で撃ったのを見て「雉も鳴かずば撃たれまい」とつぶやいたそうです。悲しい話です。
※撮影日は4月5日。
犀川・・・名前の由来は「泉小太郎伝説」が有名。むかしむかし今の松本平は大きな湖であり、犀の化身泉小太郎とその母親の犀龍が岩を打ち砕いて川を作り流れを北に向け大きな松本平という大きな耕作地を作ったという伝説です。実際は筑摩山地を挟んで東側の川を東川(現千曲川)、西側の川を西川と呼んでいたといい、「西川」を音で読んで「サイガワ」→「犀川」に・・・味のない話です・・・「伝説は元より史実にあらず、しかし史実以上の真相を語るものなり」という言葉があるそうです。
※コメント欄オープン。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます