むかしむかしからの友人夫妻と川越散歩です。
星野山無量寿寺・・・830年淳和天皇の時代に開山、鎌倉時代に北院、中院、南院に別れる。北院は喜多院と改称、いらい川越では山号、寺名ぬきで「喜多院」と呼ばれています。
1599年天海僧正がここのいちばんエライ人になり、徳川初代将軍家康のブレーンになります。怪僧、妖僧とかいわれいろんな物語にされていますが真偽はわかりません。三代将軍家光の時代に川越大火で消失、江戸城内の別殿を移築して客殿、書院などにしました。家光誕生の間、春日局の間とかあるのはそのためですが、ホントかどうかは定かではないでしょう。
喜多院の境内は荘厳とかそういう雰囲気はありません。たんなる広場に本堂があるという感じです。ここはやはり拝観料を払って書院や客殿の廊下から奥庭を見たいですね。
喜多院の客殿から見た徳川三代将軍家光?お手植えの桜。ということは樹齢350年くらいか。
枝垂桜・・・エドヒガンザクラの変種です。幹肌がサクラのようではなく縦に割れています。長寿なサクラで日本各地の名桜はエドヒガンのシダレザクラです。
春の喜多院の目玉商品です。
五百羅漢を見に行こう。
星野山無量寿寺・・・830年淳和天皇の時代に開山、鎌倉時代に北院、中院、南院に別れる。北院は喜多院と改称、いらい川越では山号、寺名ぬきで「喜多院」と呼ばれています。
1599年天海僧正がここのいちばんエライ人になり、徳川初代将軍家康のブレーンになります。怪僧、妖僧とかいわれいろんな物語にされていますが真偽はわかりません。三代将軍家光の時代に川越大火で消失、江戸城内の別殿を移築して客殿、書院などにしました。家光誕生の間、春日局の間とかあるのはそのためですが、ホントかどうかは定かではないでしょう。
喜多院の境内は荘厳とかそういう雰囲気はありません。たんなる広場に本堂があるという感じです。ここはやはり拝観料を払って書院や客殿の廊下から奥庭を見たいですね。
喜多院の甍・・・入母屋の妻側・・・客殿と本堂の渡り廊下から。
喜多院の客殿から見た徳川三代将軍家光?お手植えの桜。ということは樹齢350年くらいか。
枝垂桜・・・エドヒガンザクラの変種です。幹肌がサクラのようではなく縦に割れています。長寿なサクラで日本各地の名桜はエドヒガンのシダレザクラです。
春の喜多院の目玉商品です。
小堀遠州流枯山水の庭園・・・これはこれで・・・フ~ン・・・素晴らしい
五百羅漢を見に行こう。
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