・・・彩風人の写真帳・・・
コロナ禍で蟄居中・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道の駅と駅の間、片道は電車に乗って。今日は秩父鉄道行田市駅から羽生駅まで。ついでに駅鉄撮り。
行田市駅、東行田駅駅、武州荒木駅、新郷駅、西羽生駅、最後は秩父鉄道終点羽生駅1.3㎞。全10.5㎞のウォーキングでした。
東武鉄道、秩父鉄道「羽生駅」・・・羽生市南1丁目。
1903年東武鉄道伊勢崎線駅として開業、1921年北武鉄道乗入、1922年北武鉄道は秩父鉄道に。
2004年橋上駅舎に、東武鉄道は島式ホーム2面4線、秩父鉄道は島式ホーム1面2線。
1日の乗客数・・・東武鉄道7000人、秩父鉄道2500人。
※撮影日は3月26日。
羽生の地名は・・・赤土のこと、酸化鉄を含んだ土質、埴生、赤坂,、赤羽などの地名は同意。
※コメント欄オープン。
その駅の佇まいは見て来ましたが、熊谷~羽生駅の駅舎は初めて
でそれぞれを新鮮に見せてもらいました。
それぞれの駅舎は、それぞれに風通しよく、出ばった四角の木製改札口、中の駅舎内にはわずかな木製の長い椅子で、若き頃に通い詰めた秩父鉄道で懐かしさが髣髴してきました。
・・・・が、しかし、ここ羽生駅は、流石センスが違う、そんな感じを抱きました。他の駅と違いピンクの佇まい、なるほどと見入りました。
羽生の街には、酒造会社(東亜酒造)”晴れ菊”が郷土から出身で有名で、小・中学校時代、一人一本宛、雨傘が寄付【学校備え付け】されお世話になりました。物資の乏しい終戦直後でした。その会社も民事再生法の適用と聞く・・・・・・。
羽生と聞きますと降り立ったことはありませんでした
が、あれこれと思い出に浸かりました。有難うございました。
、
渋沢家で作られた藍玉も羽生とか行田に売られたのですね。
剣道着の素材生産は有名らしいです。
国鉄の通らなかった町ですが、古くからの町ということがわかりました。
埼玉は奥が深い。