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昨晩、NHK BSプレミアム 午後9時から「シャーロック・ホームズ」を視ていて、その続きで、10時からのドラマを視ました。
漫画家の陽太が先輩に連れられてふらりと入った東京新宿の鹿児島料理の居酒屋で、壁に張られた飛行兵の写真から、女将に特攻隊の基地の鹿児島県知覧で開業していたある食堂の物語りを聞くことからはじまります。知覧を訪れた陽太、生き残り特高兵の老人に会います・・・話を聞いて素直に感動する陽太に・・・老人は静かに「帰ってくれ」と・・・
やがて生き残りの特攻兵と女将との再会・・・「背中を押してしまった・・・」と涙を浮かべる女将・・・
NHK ホームページ.・・・クリック⇒「特攻兵の幸福食堂」2分間の動画公開
素晴らしいドラマでした・・・再放映があるといいのですが・・・
知覧・・・太平洋戦争末期、特攻隊の基地があったところです。ここから沖縄方面に飛び立って消えていった特攻兵と呼ばれる若者たちがいました。
知覧特攻平和会館があり遺品の数々、遺書に相当するような父母にあてた手紙などが展示されていります。
知覧「幸福食堂」のモデル「富屋食堂」です(2007年撮影)。
若ものたちのしばしの憩いの場所。女将さんは特攻兵の母といわれた鳥濱トメさん。
兵営内では特攻兵の故郷に宛てた手紙は開封検閲がありました。町内の郵便ポストにも憲兵が見張りをしていました。彼らはホンネを記した手紙をトメさんに託したといわれます。
次女の礼子さんはお母様が亡くなって最後の化粧の時、背中に深いアザを見ます。トメさんは憲兵の呼び出しを何度か受けたようです。
ドラマに出てくる居酒屋の女将さん・・・鳥濱トメさんの次女礼子さんはのちに1冊の本を残しています・・・
赤羽礼子・石井宏 (著)「ホタル帰る」(草思社2001年)
特攻兵出撃のころ、礼子さんは女学生、学徒動員で勤労奉仕、お店のことなど手伝っていてその中の記憶、母から聞かされた話しなどを淡々と語っています。
この本は物語りでもなくドキュメンタリーとして何かを訴えるという形も取っていません。母の生い立ち、食堂のオバサンとしての特攻隊員との交流、そして戦後、いくつかのエピソードの断片です。
いつか「ホタル」になっておばちゃんのところに帰ってくるよといって出撃していった特攻兵、朝鮮半島出身の特攻兵が兵舎では歌えないからと富屋食堂で朝鮮民族のアイデンティティーをこめた「アリランの歌」を歌って翌朝出撃・・・など・・・語られています。
★礼子さんは東京服飾専門学校師範科卒業、教師を勤めたあと、
1970年から新宿で薩摩料理の居酒屋「薩摩おごじょ」を営み2005年死去。
昨晩、NHK BSプレミアム 午後9時から「シャーロック・ホームズ」を視ていて、その続きで、10時からのドラマを視ました。
ドラマ×マンガ「特攻兵の幸福食堂」・・・2021.8.11 PM9:54~10:53・・・
《原案・漫画提供》魚乃目三太「ちらん~特攻兵の幸福食堂~」(秋田書店 2019年全4巻)
《原案・漫画提供》魚乃目三太「ちらん~特攻兵の幸福食堂~」(秋田書店 2019年全4巻)
漫画家の陽太が先輩に連れられてふらりと入った東京新宿の鹿児島料理の居酒屋で、壁に張られた飛行兵の写真から、女将に特攻隊の基地の鹿児島県知覧で開業していたある食堂の物語りを聞くことからはじまります。知覧を訪れた陽太、生き残り特高兵の老人に会います・・・話を聞いて素直に感動する陽太に・・・老人は静かに「帰ってくれ」と・・・
やがて生き残りの特攻兵と女将との再会・・・「背中を押してしまった・・・」と涙を浮かべる女将・・・
NHK ホームページ.・・・クリック⇒「特攻兵の幸福食堂」2分間の動画公開
素晴らしいドラマでした・・・再放映があるといいのですが・・・
知覧・・・太平洋戦争末期、特攻隊の基地があったところです。ここから沖縄方面に飛び立って消えていった特攻兵と呼ばれる若者たちがいました。
知覧特攻平和会館があり遺品の数々、遺書に相当するような父母にあてた手紙などが展示されていります。
知覧「幸福食堂」のモデル「富屋食堂」です(2007年撮影)。
若ものたちのしばしの憩いの場所。女将さんは特攻兵の母といわれた鳥濱トメさん。
兵営内では特攻兵の故郷に宛てた手紙は開封検閲がありました。町内の郵便ポストにも憲兵が見張りをしていました。彼らはホンネを記した手紙をトメさんに託したといわれます。
次女の礼子さんはお母様が亡くなって最後の化粧の時、背中に深いアザを見ます。トメさんは憲兵の呼び出しを何度か受けたようです。
ドラマに出てくる居酒屋の女将さん・・・鳥濱トメさんの次女礼子さんはのちに1冊の本を残しています・・・
赤羽礼子・石井宏 (著)「ホタル帰る」(草思社2001年)
特攻兵出撃のころ、礼子さんは女学生、学徒動員で勤労奉仕、お店のことなど手伝っていてその中の記憶、母から聞かされた話しなどを淡々と語っています。
この本は物語りでもなくドキュメンタリーとして何かを訴えるという形も取っていません。母の生い立ち、食堂のオバサンとしての特攻隊員との交流、そして戦後、いくつかのエピソードの断片です。
いつか「ホタル」になっておばちゃんのところに帰ってくるよといって出撃していった特攻兵、朝鮮半島出身の特攻兵が兵舎では歌えないからと富屋食堂で朝鮮民族のアイデンティティーをこめた「アリランの歌」を歌って翌朝出撃・・・など・・・語られています。
★礼子さんは東京服飾専門学校師範科卒業、教師を勤めたあと、
1970年から新宿で薩摩料理の居酒屋「薩摩おごじょ」を営み2005年死去。
※コメント欄オープン。
知覧を訪れる前に江田島に行ったことがあります。
そこでこれから出征する若者の両親や兄弟にあてた手紙を読んで恥ずかしいほど泣きました。
それで知覧へ行くときタオルのハンカチを2枚バッグに入れていました。
ところがあまり涙が出なかったのです。
江田島で読んだのとほとんど内容も書き方も変わりませんでした。
こういう事態の時はみんな同じことを思うものなのか、こういう最後の手紙にも検閲の手が入るものなのかと思いました。
それともわたくしの涙は江田島ですべて枯れてしまったのでしょうか。
兵学校跡の背後に古鷹山があり、昔広瀬中佐が100回も登ったと説明されました。
「坂の上の雲」に登場する人物ですね。
いろいろ考えさせられる島でした。
H先生の弟さん(特攻隊員)が、きょう午前中飛行機で校庭の上を旋回、”別れの挨拶に来る”ので時間になったら校庭に集合との・・・のお触れが掛かった。
校庭にみな全校生と集まった。ある先生は国旗を持って。
時間になると、東の空から飛行機が飛んできて学校の上を、3回旋回してまた東の方に飛び去った。
後で詳細を聞くと、自宅と学校の上を旋回し最後の別れ…をして、
≪特高の任務に就いた≫とのことでした。
今、ヒキノさんの「特高兵」の3文字を見し、特攻機に別れを告げたことが鮮明に蘇った。
小学1年だったので分別思慮もわからない、戦後に学校でも話題になり、上の兄や姉から詳しく聞かされた。
▼ 特攻機別れを告げに故郷へ
三回せん回東の空へ (縄)
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「富屋食堂」特攻兵の貴重な憩いの場所だったことでしょう。
「背中に深いアザを見ます。トメさんは憲兵の呼び出しを何度か受けたようです。」↑
もしかして憲兵がと思いますと許せない涙があふれました。
貴重なご紹介をありがとうございました。
知覧へも寄せていただき、若い生命を国民のために
散らした資料が盛り沢山で半日かかっても閲覧できないほどの資料があり感動のあまり心中熱くなるばかでした。
多々・天皇陛下万歳と言って旅立ったものは一人もなく家族、兄弟、幼馴染とうの感謝感謝の手記が印象にいまだ残っております。
終戦間近に特攻に旅立った若い生命には涙するとともに指揮官の馬鹿さに怒がこみあげてきました。
時間の関係で目についたものだけ走り読みでした。しっかりした字で胸のうちを語っています。少年ですから純真です。
当時の常套語「征きます」があります。
「天皇陛下バンザイ」「大日本帝国バンザイ」「お国のために」が意外に少ないと感じました。
「母上様」が多かったように記憶してます。
検閲のことは後から「ホタル帰る」を読んで知りました。
先のある若者を死地に送った悲しい時代でした。彼らのことを美辞麗句で讃えたくない、ただ悔恨のみです。
コメントありがとうございました。
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新宿の「薩摩おごじょ」という店、2度ほど九州出身の同僚に連れられて行ったことがあります。当時はそういう店とは知りませんでした、薩摩焼酎の味だけ覚えています。
遺品の数々、家族にあてた手紙など見ました。
富屋食堂も尋ねました、
検閲のことは後から「ホタル帰る」を読んで知りました、
純粋な若者を、明るく振舞って死地におくる、辛かったと思います。
先のある若者を死地に送った悲しい時代でした。彼らのことを美辞麗句で讃えたくない、ただ悔恨のみです。
コメントありがとうございました。
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映画「蛍」をDVDを借りてみました。
生きたくても生きられなかった若者たち・・・悔しいです。
コメントありがとうございました。
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