11月29日、久しぶりの信州上田へ日帰り・・・
11月下旬は信州リンゴ、秋野菜の収穫期。
葱、白菜などいただき、知り合いの果樹園で規格外の林檎をタップリ仕入れて帰路に。
11月下旬は信州リンゴ、秋野菜の収穫期。
葱、白菜などいただき、知り合いの果樹園で規格外の林檎をタップリ仕入れて帰路に。
上田市大屋・・・しなの鉄道「大屋駅」・・・明治・大正・昭和の香り偲ばせる駅舎。
1896年官設鐵道信越線「大屋駅」開業 2007年経済産業省の近代化産業遺産に認定。
かつては依田窪の谷の中心・蚕都丸子町(現上田市)に至る上田丸子電鉄の併設駅もあり、国鉄、JRの中堅駅。
駅舎は明治時代のままを改修を重ねたものか、改築したものか・・・詳細はワカリマセン。標高482m、1日の乗客数1132人。
1896年官設鐵道信越線「大屋駅」開業 2007年経済産業省の近代化産業遺産に認定。
官設鐵道信越本線は1885年高崎~横川間、1886年直江津~関山間開通からはじまり、1888年直江津~軽井沢間、1893年横川~軽井沢開通で全通。当時の小県郡地区の駅は1888年開通したとき「田中駅」のみ。急成長していた諏訪地方の製糸業者の製品流通ルートは中央東線開通前であり和田峠を越えて田中駅に製品を搬送していて、最短地区の「大屋」に駅開設を請願、これが認められて1896年「大屋駅」開設。日本最初の請願駅。駅前向かって右の石碑はそのときの請願文。
明治時代の日本の輸出産業の花形の製糸業に関わる歴史の1ページを飾る出来事。上田市の信州大学繊維学部講堂などと合わせて近代化産業遺産群に。
中央東線が新宿~塩尻間が開通し篠ノ井線と合わせて1906年長野県は東京と鉄道網が整備された。それまで1896年からは中信、南信地方の人々は峠を越えて「大屋駅」で東京に向かった。
明治時代の日本の輸出産業の花形の製糸業に関わる歴史の1ページを飾る出来事。上田市の信州大学繊維学部講堂などと合わせて近代化産業遺産群に。
中央東線が新宿~塩尻間が開通し篠ノ井線と合わせて1906年長野県は東京と鉄道網が整備された。それまで1896年からは中信、南信地方の人々は峠を越えて「大屋駅」で東京に向かった。
かつては依田窪の谷の中心・蚕都丸子町(現上田市)に至る上田丸子電鉄の併設駅もあり、国鉄、JRの中堅駅。
駅舎は明治時代のままを改修を重ねたものか、改築したものか・・・詳細はワカリマセン。標高482m、1日の乗客数1132人。
※撮影日11月29日 Panasonic LUMIX DMC-TZ85。
※コメント欄オープン。
信州と言えば、リンゴ、
日帰りによきものをお土産に、そして大量の野菜。
↓の記事で今年は、不作とか、台風・長雨で。
何時も、素晴らしい画像を拝見させてもらい有難うございます。
確か、ヒキノさんの画像が素晴らしく、
専門の写真家が、≪熊谷駅をお借り出来ませんか≫!?という記事にお目に掛かったような気が致します。
それだけに、ヒキノさんの画像は見る人に印象をより一層与えるのでしょう。
大屋駅に見入り、秩父鉄道の各駅を見ているような気に駆られました。田舎駅…。
長野(上田高等蚕糸)&埼玉・秩父は貧乏百姓(農民一揆)は養蚕で栄えた山村地帯でした。
碓氷峠を見学に行った時に
説明員が、長野と横浜をもっと速く・大量の生糸を輸送しなくてはということから、
碓氷峠がイギリス人の手によって大きく飛躍したということを聴かされました。
大屋駅の佇まいを見て、
製糸業の大きな一翼を担ってきたのかと、思う時にきっと養蚕地帯が山裾広く奥地に広がっていたことでしょう(推察)。
いつも見ている、ヒキノさんのブログです。
奥行があり、すごく深味に感心いたします。
有難うございます。
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