5月20日、青梅街道、最高地点1472m、柳沢峠です。峠をやや山梨県側に下ったところから、富士山を見ました。快晴で逆光・・・肉眼では富士山はほとんど霞んで見えません。
さて、青梅街道は大菩薩峠(1897m)を越えるのじゃないの。柳沢峠なんて知らない・・・わたしもそう思いました。
江戸時代・・・江戸日本橋から甲斐国甲府までは甲州街道(約130km)で結ばれていました。その裏街道(バイパス)が青梅街道です。現在の新宿の伊勢丹のあたりに追分(いまは新宿4丁目)という地名がありました。追分団子というお菓子屋さんがあります。ここから甲州街道と分かれて青梅街道が始まり、青梅から多摩川を遡り大菩薩峠を越えて甲府に通じました。甲州街道は峠が2つありますが、こちらは1つ、距離も二里ぐらい短かったそうです。大名行列と鉢合わせることもなければ関所もない。どっちにしろ徒歩です。というわけで利用者が多かったそうです。道路は小菅村コース、丹波山コースと2通りありました。
明治時代に入り、時の山梨県令が将来の車の時代(モータリゼーション)を空想、こんな急勾配じゃ車が上がれないなんていったのでしょうか、1878年柳沢峠経由の新道を開削します。明治維新から11年後のことです。
峠には馬頭観音とか道祖神とか石仏があるものですが、ここでは1基のみ見ただけです。
風化していますからよくわかりませんが馬頭観音ではないかと思います。明治以降の道路ですから古い石仏はないのでしょう。
《蛇足》大菩薩峠といえば中里介山の小説「大菩薩峠」です。小説は読んだことはありません。好きな時代劇映画で見たことがあります。
お話は甲州大菩薩峠で孫娘を連れた老巡礼がニヒルで狂気の剣士机龍之介に理由もなく斬殺されることから始まります。机龍之介は多摩澤井村の剣術道場の師範代、御岳神社の奉納試合、出奔、放浪、辻斬り、なんでもありで・・・ついに作者の死で未完のまま終わる超長編大河小説です。
話が脱線しました・・・少し鳥に遊んでもらって帰ります。
富士は日本一の山・・・3776m、日本の最高峰ですから間違いなく日本一です。
さて、青梅街道は大菩薩峠(1897m)を越えるのじゃないの。柳沢峠なんて知らない・・・わたしもそう思いました。
江戸時代・・・江戸日本橋から甲斐国甲府までは甲州街道(約130km)で結ばれていました。その裏街道(バイパス)が青梅街道です。現在の新宿の伊勢丹のあたりに追分(いまは新宿4丁目)という地名がありました。追分団子というお菓子屋さんがあります。ここから甲州街道と分かれて青梅街道が始まり、青梅から多摩川を遡り大菩薩峠を越えて甲府に通じました。甲州街道は峠が2つありますが、こちらは1つ、距離も二里ぐらい短かったそうです。大名行列と鉢合わせることもなければ関所もない。どっちにしろ徒歩です。というわけで利用者が多かったそうです。道路は小菅村コース、丹波山コースと2通りありました。
明治時代に入り、時の山梨県令が将来の車の時代(モータリゼーション)を空想、こんな急勾配じゃ車が上がれないなんていったのでしょうか、1878年柳沢峠経由の新道を開削します。明治維新から11年後のことです。
峠の風景です。食堂、公衆トイレ、駐車場があります。公衆電話なし、携帯電話は圏外地域。
バス停です・・・2011年から4月末より11月末まで。
塩山駅より柳沢峠まで、土・日・祝のみ1日2往復。第2、第4は落合まで延長。
バス停です・・・2011年から4月末より11月末まで。
塩山駅より柳沢峠まで、土・日・祝のみ1日2往復。第2、第4は落合まで延長。
峠には馬頭観音とか道祖神とか石仏があるものですが、ここでは1基のみ見ただけです。
風化していますからよくわかりませんが馬頭観音ではないかと思います。明治以降の道路ですから古い石仏はないのでしょう。
落葉樹がようやく芽吹く季節です。木々のあいだにからカケスが飛んできて枝に留まりました。
《蛇足》大菩薩峠といえば中里介山の小説「大菩薩峠」です。小説は読んだことはありません。好きな時代劇映画で見たことがあります。
お話は甲州大菩薩峠で孫娘を連れた老巡礼がニヒルで狂気の剣士机龍之介に理由もなく斬殺されることから始まります。机龍之介は多摩澤井村の剣術道場の師範代、御岳神社の奉納試合、出奔、放浪、辻斬り、なんでもありで・・・ついに作者の死で未完のまま終わる超長編大河小説です。
話が脱線しました・・・少し鳥に遊んでもらって帰ります。
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