わたしが旅したのではありません。彩風人の中・四国紀行です。
さて、城郭にやってきました。築城は鎌倉時代の1240年ごろとか。さまざまな曲折を経て江戸時代に。現在の天主は1683年築といわれる。廃城は1874年。
現存する木造の山城として日本でいちばん高所にあるそうだ。なにしろ登るだけでもたいへんな山城、太平の世の中ではこんなものは必要ないから江戸時代は城下に御根古屋という屋敷を築き藩庁としていた。昭和初期に改修、平成の大改修で猿除け、猪除けの設備も施された。天主、二重櫓が国指定重要文化財、城郭は国指定史跡。
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)
旅人は備中高梁にやってきました。その目的は・・・標高430m・・・幻の雲海に浮かぶ・・・天空の城・・・備中松山城。(比企の丘からブログのギャラリー開放です)
備中松山城から眺めた高梁市街地は高梁川が形成した小さな沖積地の盆地です。
備中松山城・・・中国山地吉備高原、臥牛山(430m)の上に。
雲上の城として有名な兵庫県和田山の竹田城に匹敵する雲海の上に浮かぶ城としで有名ですが、それを見られるのは年に数回とか。
この日は出かけるのが遅く、あいにくの雨模様、霧にけむる備中松山城でした。
備中松山城・・・中国山地吉備高原、臥牛山(430m)の上に。
雲上の城として有名な兵庫県和田山の竹田城に匹敵する雲海の上に浮かぶ城としで有名ですが、それを見られるのは年に数回とか。
この日は出かけるのが遅く、あいにくの雨模様、霧にけむる備中松山城でした。
さて、城郭にやってきました。築城は鎌倉時代の1240年ごろとか。さまざまな曲折を経て江戸時代に。現在の天主は1683年築といわれる。廃城は1874年。
現存する木造の山城として日本でいちばん高所にあるそうだ。なにしろ登るだけでもたいへんな山城、太平の世の中ではこんなものは必要ないから江戸時代は城下に御根古屋という屋敷を築き藩庁としていた。昭和初期に改修、平成の大改修で猿除け、猪除けの設備も施された。天主、二重櫓が国指定重要文化財、城郭は国指定史跡。
天主の前衛、五の平櫓。
二重櫓(国指定重要文化財)・・・二層二階
天主(国指定重要文化財)・・・二層二階、唐破風も施され小さい城ながら美しい。
※現存天主です・・・江戸時代、建築されたままで残されているモノ。
二重櫓(国指定重要文化財)・・・二層二階
天主(国指定重要文化財)・・・二層二階、唐破風も施され小さい城ながら美しい。
※現存天主です・・・江戸時代、建築されたままで残されているモノ。
※撮影は3月19日、カメラはCanon PowerShot G12。
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