比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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2019年8月6日・・・ナガサキ忌・・・浦上天主堂と・・・「長崎の鐘」・・・8月は祈りの月

2019-08-09 | 語り継ぐ責任 ひろしま ナガサキ
1945年8月9日11時02分、長崎市松山町171番地上空500m。米軍戦略爆撃機の落としたプルトニューム爆弾ファットマン」・・・爆発。
一瞬で・・・死没者74000人 負傷者75000・・・を悼んで「ナガサキ忌」。

・・・黙祷・・・
ただ・・・静かに祈ることしかできない・・・

2006年4月、「長崎の鐘」の著者、永井隆博士が過ごしたあばら屋「如己堂」から坂を下りて浦上天主堂まで歩きました。
爆心地から500mの浦上天主堂、瓦礫の中からアンジェラスの鐘が発見されます。
この鐘が再び鳴らされたのは原爆被災の年のクリスマスの夜でした。
※イラストは2006年4月。
永井隆(1908~1951年)・・・医学博士、長崎医科大助教授、原子爆弾に自ら被災しながら被災者の救護、治療に従事、原爆症のため5年後に亡くなった。カトリック教徒。被災の状況、救護活動の記録をつづった随筆「長﨑の鐘」で原子爆弾のことを広く世間に知らしめた。当時の人気歌手藤山一郎の歌った永井博士のことをテーマにした「長崎の鐘」は国民的歌謡となった。


こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ
うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ
 ・・・後略・・・
長崎の鐘」サトウハチロー作詞・古関裕而作曲の一節です。



↑の写真は2008年5月にNHKで放送されたものからです、歌っているのは盲目のテノール歌手、バプテスト教会牧師の新垣勉さん。
祈り」をこめた素晴らしい歌でした。


8月は祈りの月・・・
ただ静かに祈りたい・・・

広島・長崎原爆で亡くなった人のためにも、あの戦争で亡くなった日本人310万のためにも、あの戦争で亡くなった関係各国の人々2000万人のためにも・・・

原爆という無差別大量殺戮兵器の行使・・・パンドラの箱を2度も開けてしまったアメリカ。
70有余年たった今も戦争の早期終結のためにという「免罪符」のような言葉を守るしか方法がありません。戦争というものはそういうものかも知れません。でも次にパンドラの箱が開けられたとき、何百万人どころか何千万人が野垂れ死にすることは間違いありません。東京に数発落ちたことを考えてみてください。
いま、世界のどこかで行われている戦争は国益とか権益とか、そういうもので誰かが得をしています。それがエスカレートしていくと狂気になります。
そんなことにならないために世界にどうメッセージを送るか。被爆国日本の責務です。その責任を放棄してはなりません。


※コメント欄オープン。


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4 コメント

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今年も・・・・・ (こきおばさん)
2019-08-10 07:00:37
被爆国として、先頭に立って核廃絶を訴えなければならないのに、広島でも長崎でも、核廃絶条約の早期批准を訴えられたのに、安倍首相は今年も「寄り添って仲介」なんて屁理屈をつけて否定していました。
もし東京に核が使われたら・・・・・と言う想像力が無いとしか思えません。
繰り返しますが戦争は人殺しでしかありません。人殺しはいつの世でも犯罪です!
戦前色が濃くなっていくことを心から憂いています。
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「長崎の鐘」 (縄文人)
2019-08-10 09:15:46


・・・・を、聴いてこちらに再度訪れました。
永井隆の物語。
小学校の頃かな?遊ぶことのみに勤しんだ子供時代、この方の名前がクラスの話題になったことがありました。

  ・ 天主堂イラスト添えて歌を聴く 
              永井隆や長崎の鐘 (縄)

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長崎の鐘 (縄文人さんへ・・・・)
2019-08-12 10:28:46
   ・蒼天に アンジェラスの鐘鳴り ナガサキ忌

あの日、浦上の天主堂ではミサが行われていた。
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Unknown (こきおばさんへ・・・)
2019-08-12 10:37:30
<被爆国として、先頭に立って核廃絶を訴えなければならないのに、広島でも長崎でも、核廃絶条約の早期批准を訴えられたのに、安倍首相は今年も「寄り添って仲介」なんて屁理屈をつけて否定していました>

巧言令色、走狗・・・
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