比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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冬の松本平・・・アルプスの見える・・・松本城の風景

2018-01-09 | 古城・城址・陣屋・館跡
信州上田の・・・六文銭の写真帳

冬の松本平・・・12月15日、松本城、城下町、城山、冠雪の大滝山、蝶ヶ岳、常念岳・・・
※フォトポイントは松本市役所6Fの展望室。

松本城に行きます。
松本城・・・戦国時代16世紀のはじめ、守護大名小笠原氏が深志城を築く、武田、織田、豊臣、德川と版図が変わり、ふたたび小笠原氏が領主になり松本城と改名、1590年代石川氏が領主になり現在の城郭、城下町を整備。大天守の築城年は1591~1615年と諸説ある。辰巳櫓、月見櫓は1640年代。
明治維新後の1872年天守は競売に、市川量造氏らの尽力により買い戻され保存された。1903~1913年明治の大修理、1930年国史跡、1936年国宝、1952年終戦後改めて国宝に、1950~1955年昭和の大修理(解体復元)。黒門1990年復元、太鼓門1999年復元。

太鼓門・・・枡形門形式になっていて二の門は高麗門、一の門は櫓門。二重ドア形式です。

黒門・・・この門も枡形門になっています。写真は二の門(高麗門)です。

五層六階の大天守(国宝)・・・二層の辰巳櫓(国宝)、一層の赤い手摺の月見櫓(国宝)。
冠雪の常念岳、東天井岳、大天井岳、燕岳が見える。



西側から・・・三層の乾小天守(国宝)、渡櫓(国宝)、大天守(国宝)・・・赤い橋は埋橋(1955年、昭和の大修理のとき新しく作られたもの。歴史的遺構ではない)。

日本のお城のお濠に浮かぶのは移入鳥が野生化したコブハクチョウ・・・
※撮影は12月15日。

松本の地名由来・・・古くは深瀬と呼ばれた・・・女鳥羽川扇状地末端の深い瀬の畔、変じて深志に、戦国時代の守護大名小笠原氏が居城深志城を武田氏に追われ、武田氏の滅亡後、旧領に戻ったとき深志城松本城と改名したという。よくある瑞祥名。松はめでたい・・・全国によくある地名。
松本藩・・・江戸幕府になり松本藩として、小笠原、石川、松平、堀田、水野、松平と10万石~6万石。石川氏を除けば譜代。
松本市・・・1889年明治の大合併で松本町、1907年松本市、2010年平成の大合併で槍・穂高の頂上まで、面積978.77k㎡(全国で33位、ただし森林率81%)、人口240000人。長野県のほぼ中央に位置し県庁でない町、県庁でもないのに日本銀行支店、国立信州大学の本部がある。戦災にあわなかった町。古くから交通の要衝(糸魚川からの塩の道、飛騨高山からの鰤の道、古東山道上田への道、善光寺への信仰の道、中山道から都への道などなど人流、物流の道)で市場町が栄えた町。
※「学都、岳都、樂都」・・・日本でも指折りの古い小学校「開智学校」、日本で9番目にできた旧制高等学校「松高」のあった町、北アルプスの高峰の槍・穂高岳の位置する市、世界的に有名な音楽の英才教育「鈴木メソード」発祥の地。

※コメント欄開いています。



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