鴻上尚志著の「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」(講談社現代新書 2017年11月刊)を読んだ。
第1章から第3章は元特攻兵佐々木友次さんとのインタビューを中心に。2015年8月に病院での第一回の面会、12月11日の最後の面会、5回にわたるインタビュー。2016年2月9日札幌の病院で亡くなられました。佐々木さんは1944年特攻機による米軍への攻撃が開始されたとき21歳、9回の出撃命令を受け9回生還、「命令する側の権力」に背いて生きのこった・・・その内容を病床で語ったものです。
第4章は「特攻隊の本質」・・・特攻隊とは何だったのか、命令する側と命令される側の物語、特攻隊は志願か命令か・・・さまざまな証言文書から考察していきます。
《参考》
猪口力平、中島正著「神風特別攻撃隊」(日本出版協同 1951年初版)
大貫健一郎、渡辺考著「特攻隊振武寮 証言・帰還兵は地獄を見た」(講談社 2009年刊)
検索ワードで・・・特攻隊、万朶隊、振武寮、、佐々木友次など。
※写真は本のカバー(腰巻と呼ばれる)の表裏です。
その生き方の凄さは・・・ダイジェストして語ることはできません。戦争を知らない人に・・・ぜひ読んでほしい。
左は佐々木さんが搭乗した99式双発軽爆撃機・・・800㎏の爆弾をつけて搭乗員が爆弾を切り離せぬようにしてあったそうです。
右は通称赤とんぼ・・・木製布貼りの練習機、最後はこれを特攻機に?
右は通称赤とんぼ・・・木製布貼りの練習機、最後はこれを特攻機に?
左は人間ロケット「桜花」です。爆撃機に吊り下げられて切り離されます。着陸車輪はありません。
右は人間魚雷「回天」です。潜水艦から発水されます。ハッチを締めると出られなかったそうです。
右は人間魚雷「回天」です。潜水艦から発水されます。ハッチを締めると出られなかったそうです。
※「いのち」を消耗兵器にした世界の戦史上に残る外道の戦略です。
鴻上尚史著「青空に飛ぶ」{講談社 2017年8月刊)。
鴻上さんが佐々木さんにお会いしてまず書かれたノンフィクションとフィクションを合体させた小説です。この小説を書いてから鴻上さんは佐々木さんの話をノンフィクションで書かれたそうです。
《あの戦争の数字です》
★特攻機は陸海軍合わせて2483機(命中244機、至近距離166機)、奏功率16.5%・・・戦死者4377人、出撃機数と戦死者の数が合いませんが掩護機もまた撃墜されています。
★人間魚雷「回天」で亡くなった人80人、出撃前の事故などで亡くなった人16人、自決2人、実験中の事故死など合わせると総計145人になるといいます。
奏効率はアメリカ機密公文書の公開によれば給油艦、駆逐艦、輸送艦など3隻撃沈。
★ロケット滑空機「桜花」・・・出撃56機、戦死者56人。搭載機の一式陸攻52機が撃墜され戦死者372名。擁護の戦闘機隊が同じ数くらい撃墜されているそうです。桜花を搭載して低速でしか飛行できない一式陸攻は攻撃目的点につく前に桜花もろともほとんど迎撃されて撃墜されました。これは作戦というより破れかぶれです。
ちなみに・・・太平洋戦争での日本軍の戦死者は陸軍165万人、海軍47万人、このうち飢餓による死者は60~70%、海歿者(輸送船撃沈のため)は陸軍18万人、海軍18万人といわれます。
(数字はWikipedia、半藤一利著「あの戦争と日本人」ほかより)。
軍神・・・英霊・・・御霊・・・お国のために・・・犬死に・・・無駄死に・・・
第二次大戦太平洋戦争で亡くなられた320万人の方々に軽々しく言いたくない。同じ戦場で日本以外の犠牲者2000万人の方々のためにも。
四分の三世紀も前の歴史を見つめ、「歴史に学び」・・・「前に進む道しるべ」にすることこそ、死者に対する鎮魂の心ではないだろうか。
※佐々木友次(1923~2016年)・・・北海道石狩郡当別村,福井県からの入植の農家の6男、尋常小学校、高等小学校卒業後、18歳のとき逓信省航空局仙台地方航空機乗員養成所に、2年後陸軍鉾田航空飛行学校に。下士官(伍長)として陸軍税所の特別攻撃隊万朶隊員に。
※鴻上尚史(1958年~)・・・作家、演劇演出家。
※コメント欄開いています。
この本、読ませて頂きます。
ご紹介、有難うございます。
戦争を知らない人が書いた戦争をしらなくぃ人に戦争を知ってもらいたい本です。
コメントありがとうございました。
このはなし、NHKラジオ深夜便で聴きました。鴻上尚史 氏 出演
特攻隊と言っても、生きて帰る人が何人か有るそうです。
≪彼らはすべて福岡の「振武寮」という帰還した特攻兵の収容所に入れられて、上官から「何故生きて帰って来た・・国賊」と罵られ、激しい叱責をされ続けたという。
そして下界には顔を出すことも出来ないまま、精神修行の鍛錬や、肉体的訓練をさせられた・・・≫終戦を迎える・・・・・。
佐々木友次さん9回生きて帰る、凄い。
「振武寮」に収容された証言
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20090420/p1
,
情報寄せていただいたこと、ありがとうございました。
子どものころ、特攻隊から帰って来た青年が村を歩いていたことを思い出します。会社の先輩にも少年兵上がりの人がいました。飛行機が無かったことで生きのこったそうです。
コメントありがとうございました。