・・・彩風人の写真帳・・・
いまから11年前の3月11日は東日本大震災の日。2021年師走の三陸海岸の旅です。
宮城県本吉郡南三陸町・・・宮城県の太平洋岸北東部、三陸海岸の南端。
あの日、志津川湾を襲った津波は高さ16m弱・・・
2012年2月、南三陸町の商店街は仮設商店街を開設・・・南三陸町志津川御前下。
2016年仮設商店街を閉鎖。
2017年南三陸町さんさん商店街開設・・・隈研吾(国立競技場設計)監修のもとに設計が進められ、南三陸杉をふんだんに使った木造平屋建て6棟。28店舗・・・南三陸町志津川五日町。10mのかさ上げ、海抜14.5m。
パネル写真から・・・さんさん商店街の一隅にある南米チリのイースター島から贈られたモアイ像です。
1960年チリ地震の津波のとき多大な被害を受けた南三陸町、このことを後世に伝えるため1990年にイースター島からコンドルの碑が贈られ、1991年チリの彫刻家によりモアイ像が彫られ松原公園に設置、2011年の津波では瓦礫の中に埋もれたが発見、志津川高校に設置。2013年イースター島から門外不出のイースター島の石を使ったモアイ像が寄贈されました。目玉には白サンゴ、黒曜石が埋め込まれています。
1960年チリ地震の津波のとき多大な被害を受けた南三陸町、このことを後世に伝えるため1990年にイースター島からコンドルの碑が贈られ、1991年チリの彫刻家によりモアイ像が彫られ松原公園に設置、2011年の津波では瓦礫の中に埋もれたが発見、志津川高校に設置。2013年イースター島から門外不出のイースター島の石を使ったモアイ像が寄贈されました。目玉には白サンゴ、黒曜石が埋め込まれています。
※撮影日は2021年12月29日。
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3,11災害復旧、
≪よくここまで復旧したものだ、やっと此処まで、これからが本格的・・・等≫様々なコメント。
ヒキノさんは現地に赴きつぶさに被害状況を目で確かめた!!と仰っておりました。
我が家では、私行きまませんでしたが、家内が現地視察・・・・色々な内容を聞きました。
現地を視察すると、人間の考え方が前と後では大幅に異なる・・・・・。
ヒキノさんの現地で最初に見たときと現在と、TV等から放映される状況はいかがでしたでしょう・・・か。
ハード(道路、堤防、主要な建物など)はそれなりに整備、しかしソフト面(人と人とのお付き合い、学校や町の統廃合からくる人間関係)が難しいところがありますと・・・感想を述べられていた。
自然と向き合いながら生きていかねばならない。
志津川町、仕事で若いときよく訪れました。会社のそばのよく寄る飲み屋のおばちゃんが志津川の出身の人でした。深い湾の奥の静かな町。日本ではここだけという鮭の養殖の町だった。思い出します。
震災時17000あった人口は11年経ったいま11000人、インフラの整備もぼちぼち。元の町に戻るのはあと何年かかるでしょうか。復興半ばです。