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今から76年前の1945年8月9日未明、ソ連軍が150万人の兵力で満州国(現在の中国東北部)に進攻。
これに対して大日本帝国陸軍の関東軍の兵力は80万人、新京、大連のラインまで南下して迎撃戦をとるという作戦であったといわれます。
哀れをとどめたのは奥地に取り残された開拓民、老人・女・子ども(成人はほとんど現地応召)。
軍の庇護を受けられず徒歩で南に逃避行が始まり、数々の悲劇が起きます。
この悲劇を描いた山崎豊子の大河小説「大地の子」(文藝春秋1991初版)はベストセラーになり・・・中国残留孤児・・・の存在を知らしめました。
1996年に「大地の子」は日中共同制作でテレビドラマ化・・・
いまNHK BSプレミアムで再放映されています。現在、第1回から9回まで放映終了・・・
中国残留孤児・・・あの大戦の敗戦で中国東北部に残された在満日本人155万人、シベリア抑留60万人。生きて日本に帰れなかった人17万6千人・・・うち開拓農民の死者8万人。中国残留孤児8000人~10000人・・・13歳以上を残留婦人というのだそうです・・・詳しい数字はわかりません。
もう76年も経ちました。遠いむかしの話です。わたしたち日本人が二度とあんな戦争を起こさないように、歴史として学んでおきたい・・・そんな一ページです・・・前事不忘 後事之師。
わたくしたちには語り継ぐ責任があります。
《井出孫六著「終わりなき旅」(岩波書店 18986年初版)より》
小説「大地の子」に登場する長野県信濃郷開拓団慰霊会の世話役を務める狭間信一さんのモデルになった方.・・・斉間新三さん(埴科郡五加村・現千曲市)は埴科郷開拓団の先遣隊長として満州に、奥さんと0歳半の長男剣佳志さんを置いて現地招集、南方戦線におくられるため宮崎県で待機中に終戦、松本耕次と重なっています。長男剣佳志さんは佐渡郷開拓団跡地で屍の下から助けられ養父母の下で李中興と名付けられ育ち、高等教育を受け中学校校長になっていました、陸一心と重なるところがあります。1984年李中興先生は半年間の休暇を得て実父新三さんの下に里帰りします。親子の間は通訳を介し語り合い、心の交流が。これからのことも話し合いました。最後の結論を「終わりなき旅」よりコピーしました。重い話ですが読んでみてください。
★佐渡郷開拓団跡地事件・・・黒竜江省七台河市郊外、佐渡郷開拓団の開拓地であったところ。満州奥地から逃亡してきた開拓団がここを中継地にした。8月24日には5つの開拓団3000名が逗留、事件は8月27日、日本兵が不時着したソ連軍機を焼き払ったことに対するソ連軍の反応、日本人のほとんどは非戦闘員であったがソ連軍の猛攻撃がはじまった。戦争というものはそういうもの。全員が非戦闘員で武器放棄していれば.・・・。集団自決者514人、戦死者950人、死者合計1464人ともいわれるが正確な数字は不明。全部で2000人ともいわれる。生存者数人、ほぼ全滅。埴科郷開拓団の記録によれば埴科郷の死者228人、生存者4人。
佐渡郷事件については「大地の子」の冒頭、陸一心が屍の下で生き延びることから・・・はじまります。「終わりなき旅」ではかなりのページを割いてこの事件の顛末を追っています。
長野県戸倉上山田温泉の城山公園の中腹に故郷を見下ろすようにして更埴満蒙開拓団慰霊碑が建っています、わたし事ですが義母の弟二人(更級郡上山田村新山・現千曲市)の名前が刻まれています。
今から76年前の1945年8月9日未明、ソ連軍が150万人の兵力で満州国(現在の中国東北部)に進攻。
これに対して大日本帝国陸軍の関東軍の兵力は80万人、新京、大連のラインまで南下して迎撃戦をとるという作戦であったといわれます。
哀れをとどめたのは奥地に取り残された開拓民、老人・女・子ども(成人はほとんど現地応召)。
軍の庇護を受けられず徒歩で南に逃避行が始まり、数々の悲劇が起きます。
この悲劇を描いた山崎豊子の大河小説「大地の子」(文藝春秋1991初版)はベストセラーになり・・・中国残留孤児・・・の存在を知らしめました。
1996年に「大地の子」は日中共同制作でテレビドラマ化・・・
いまNHK BSプレミアムで再放映されています。現在、第1回から9回まで放映終了・・・
8月23日(月曜日)・・・NHK BSプレミアムPM9:00~11:00・・・10~11回・・・最終放映・・・必見。
前回までの放映・・・
長野県信濃郷満蒙開拓団・・・松本耕次一家・・・父は現地応召、残された祖父耕平、母タキエ、勝男8歳、妹あつ子5歳。
逃避行中に祖父耕平、母タキエの死、妹あつ子との別れ・・・
ソ連軍に襲撃された佐渡郷開拓団跡で生き延び中国人の養子に、
逃げ出して市場で売られているところを陸徳志に救われ、養子に。
陸一心と名付けられ養父母の下で成人、文化大革命で下放、内蒙古の労改に・・・
破傷風で苦しんでいるとき巡回看護師江月梅に救われる。
妹あつ子との再会・・・陸一心(勝男)42歳、張玉花(あつ子)39歳・・・
永遠の別れ.・・・
父松本耕次との出逢い・・・
前回までの放映・・・
長野県信濃郷満蒙開拓団・・・松本耕次一家・・・父は現地応召、残された祖父耕平、母タキエ、勝男8歳、妹あつ子5歳。
逃避行中に祖父耕平、母タキエの死、妹あつ子との別れ・・・
ソ連軍に襲撃された佐渡郷開拓団跡で生き延び中国人の養子に、
逃げ出して市場で売られているところを陸徳志に救われ、養子に。
陸一心と名付けられ養父母の下で成人、文化大革命で下放、内蒙古の労改に・・・
破傷風で苦しんでいるとき巡回看護師江月梅に救われる。
妹あつ子との再会・・・陸一心(勝男)42歳、張玉花(あつ子)39歳・・・
永遠の別れ.・・・
父松本耕次との出逢い・・・
最終章・・・松本耕次、陸一心(松本勝男)親子は長江三峡下りの船旅にでます。
二つの祖国、二人の父・・・の狭間で揺れる一心・・・
夜明けに・・・陸一心は日本の父松本耕次に語りかけます・・・
二つの祖国、二人の父・・・の狭間で揺れる一心・・・
夜明けに・・・陸一心は日本の父松本耕次に語りかけます・・・
一心の両眼から涙が滴り落ち、父の顔を見つめた。
「大地の子・・・・・・」
山峡から吹き渡って来る風に、語尾がかき消された。松本は訝しげに一心を見返した。
「私は、大地の子です」
峡谷の江面と巌に、一心の声が谺すように響いた。大地の子ーー、
それは日本の父に対しる惜別であり、自分自身の運命に対する無限の呼びかけに他ならない,・・・中略・・・
船は滔々たる長江を下って行った。
「大地の子・・・・・・」
山峡から吹き渡って来る風に、語尾がかき消された。松本は訝しげに一心を見返した。
「私は、大地の子です」
峡谷の江面と巌に、一心の声が谺すように響いた。大地の子ーー、
それは日本の父に対しる惜別であり、自分自身の運命に対する無限の呼びかけに他ならない,・・・中略・・・
船は滔々たる長江を下って行った。
中国残留孤児・・・あの大戦の敗戦で中国東北部に残された在満日本人155万人、シベリア抑留60万人。生きて日本に帰れなかった人17万6千人・・・うち開拓農民の死者8万人。中国残留孤児8000人~10000人・・・13歳以上を残留婦人というのだそうです・・・詳しい数字はわかりません。
もう76年も経ちました。遠いむかしの話です。わたしたち日本人が二度とあんな戦争を起こさないように、歴史として学んでおきたい・・・そんな一ページです・・・前事不忘 後事之師。
わたくしたちには語り継ぐ責任があります。
《井出孫六著「終わりなき旅」(岩波書店 18986年初版)より》
小説「大地の子」に登場する長野県信濃郷開拓団慰霊会の世話役を務める狭間信一さんのモデルになった方.・・・斉間新三さん(埴科郡五加村・現千曲市)は埴科郷開拓団の先遣隊長として満州に、奥さんと0歳半の長男剣佳志さんを置いて現地招集、南方戦線におくられるため宮崎県で待機中に終戦、松本耕次と重なっています。長男剣佳志さんは佐渡郷開拓団跡地で屍の下から助けられ養父母の下で李中興と名付けられ育ち、高等教育を受け中学校校長になっていました、陸一心と重なるところがあります。1984年李中興先生は半年間の休暇を得て実父新三さんの下に里帰りします。親子の間は通訳を介し語り合い、心の交流が。これからのことも話し合いました。最後の結論を「終わりなき旅」よりコピーしました。重い話ですが読んでみてください。
★佐渡郷開拓団跡地事件・・・黒竜江省七台河市郊外、佐渡郷開拓団の開拓地であったところ。満州奥地から逃亡してきた開拓団がここを中継地にした。8月24日には5つの開拓団3000名が逗留、事件は8月27日、日本兵が不時着したソ連軍機を焼き払ったことに対するソ連軍の反応、日本人のほとんどは非戦闘員であったがソ連軍の猛攻撃がはじまった。戦争というものはそういうもの。全員が非戦闘員で武器放棄していれば.・・・。集団自決者514人、戦死者950人、死者合計1464人ともいわれるが正確な数字は不明。全部で2000人ともいわれる。生存者数人、ほぼ全滅。埴科郷開拓団の記録によれば埴科郷の死者228人、生存者4人。
佐渡郷事件については「大地の子」の冒頭、陸一心が屍の下で生き延びることから・・・はじまります。「終わりなき旅」ではかなりのページを割いてこの事件の顛末を追っています。
長野県戸倉上山田温泉の城山公園の中腹に故郷を見下ろすようにして更埴満蒙開拓団慰霊碑が建っています、わたし事ですが義母の弟二人(更級郡上山田村新山・現千曲市)の名前が刻まれています。
※コメント欄オープン。
今夜も泣きっぱなしでしょうと思います。
戦争は絶対にダメです。
こんな悲劇が起こらない平和が続きますようにと祈るばかりです。
世界に目を向けますと悲劇が絶えませんが世界の平和を祈るばかりです。
大切なご紹介をありがとうございました。
先日NHKの特別番組で「パンプキン爆弾」を初めて知り、ビックリしました。
あちこちに50発も落として実験したそうですね。
許せません。
私の家内の母は弟を満蒙開拓団で二人亡くしています。
昔、義母とビデオで「大地の子」を見たことを思い出しました。
コメントありがとうございました。