8月はひろしま、ナガサキの原爆忌、太平洋戦争敗戦の日・・・暑い長い夏です。
6月23日、沖縄で行われた「沖縄慰霊の日」・・・あの戦争で行われた日本国土で唯一の地上戦・・・終結の日・・・の式典で読み上げられた沖縄県浦添市立港川中学校3年 相良倫子さんの詩です。
「あの戦争」を知っている人も知らない人も、美しい沖縄の空や海を知っている人も知らない人も・・・一度は読んでほしい。
YouTube→クリック【沖縄の願い】平和の詩 「生きる」慰霊の日 2018年6月23日
※1981年、当時皇太子であった明仁天皇は「日本では、どうしても記憶しなければならないことが4つはあると思います。終戦記念日、広島の原爆の日、長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日です」と語った。
※出版社「理論社」の元社長故小宮山量平は長編小説「千曲川四部作」の中で戦後間もなく書いた自分の作品がGHQにより削除命令を受けその理由を次ように指摘されたことを記している。「左翼でも右翼でもなく共産思想でもなく軍国思想でもなく、今度の戦争を肯定するものでもなく否定するものでなく、ただ人間による人間に対する加虐の状況が追求されている」・・・
6月23日、沖縄で行われた「沖縄慰霊の日」・・・あの戦争で行われた日本国土で唯一の地上戦・・・終結の日・・・の式典で読み上げられた沖縄県浦添市立港川中学校3年 相良倫子さんの詩です。
「あの戦争」を知っている人も知らない人も、美しい沖縄の空や海を知っている人も知らない人も・・・一度は読んでほしい。
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、草の匂いを鼻腔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、何と美しい島だろう。
青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、ヤギの嘶き、小川のせせらぎ、畑に続く小道、萌え出づる山の緑、優しい三線の響き、照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが、この瞬間の愛おしさが、今という安らぎとなり、私の中に広がりゆく。
たまらなくこみ上げるこの気持ちを、どう表現しよう。
大切な今よ、かけがえのない今よ、私の生きるこの、今よ。
73年前、私の愛する島が死の島と化したあの日。小鳥のさえずりは恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面は、戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から噴き出す炎、幼子の泣き声、燃え尽くされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅魍魎のごとく、姿を変えた人々。阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな生きていたのだ。
私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。彼らの人生を、それぞれの未来を。疑うことなく思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜の命を。当たり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島のすべて。
私は手を強く握り、誓う。奪われた命に思いを馳せて。心から誓う。
私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないことを。
すべての人間が、国境を越え、人種を超え、宗教を超え、あらゆる利害を超えて、平和である世界を目指すことを。
生きること、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ることを。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
あなたも感じるだろう。この島の美しさを。
あなたも知っているだろう。この島の悲しみを。
そして、あなたも、私と同じこの瞬間を一緒に生きているのだ。今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっと分かるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。
権力という愚かな力を持つことで得られる平和など、本当はないことを。
平和とは当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。誇り高き、みんなの島。そして、この島に生きる、全ての命。私とともに今を生きる私の友、私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。真の平和を発信しよう。
一人一人が立ち上がってみんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている。
過去と現在。未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、草の匂いを鼻腔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、何と美しい島だろう。
青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、ヤギの嘶き、小川のせせらぎ、畑に続く小道、萌え出づる山の緑、優しい三線の響き、照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが、この瞬間の愛おしさが、今という安らぎとなり、私の中に広がりゆく。
たまらなくこみ上げるこの気持ちを、どう表現しよう。
大切な今よ、かけがえのない今よ、私の生きるこの、今よ。
73年前、私の愛する島が死の島と化したあの日。小鳥のさえずりは恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面は、戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から噴き出す炎、幼子の泣き声、燃え尽くされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅魍魎のごとく、姿を変えた人々。阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな生きていたのだ。
私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。彼らの人生を、それぞれの未来を。疑うことなく思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜の命を。当たり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島のすべて。
私は手を強く握り、誓う。奪われた命に思いを馳せて。心から誓う。
私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないことを。
すべての人間が、国境を越え、人種を超え、宗教を超え、あらゆる利害を超えて、平和である世界を目指すことを。
生きること、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ることを。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
あなたも感じるだろう。この島の美しさを。
あなたも知っているだろう。この島の悲しみを。
そして、あなたも、私と同じこの瞬間を一緒に生きているのだ。今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっと分かるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。
権力という愚かな力を持つことで得られる平和など、本当はないことを。
平和とは当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。誇り高き、みんなの島。そして、この島に生きる、全ての命。私とともに今を生きる私の友、私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。真の平和を発信しよう。
一人一人が立ち上がってみんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている。
過去と現在。未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
※yahooニュース6月23日【BuzzFeed Japan/早川早織】よりコピー
YouTube→クリック【沖縄の願い】平和の詩 「生きる」慰霊の日 2018年6月23日
※1981年、当時皇太子であった明仁天皇は「日本では、どうしても記憶しなければならないことが4つはあると思います。終戦記念日、広島の原爆の日、長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日です」と語った。
※出版社「理論社」の元社長故小宮山量平は長編小説「千曲川四部作」の中で戦後間もなく書いた自分の作品がGHQにより削除命令を受けその理由を次ように指摘されたことを記している。「左翼でも右翼でもなく共産思想でもなく軍国思想でもなく、今度の戦争を肯定するものでもなく否定するものでなく、ただ人間による人間に対する加虐の状況が追求されている」・・・
比企野様にこうして紹介して頂き、有難く嬉しく思います。
8月は鎮魂の月、また、次世代に伝える文を載せた次のブログを期待しております。
今年も8月15日が近くなりました。
終戦を迎え難儀をされた人かなり減ってきています。
今年は戦後処理より7月豪雨処理の方を優先して地元の自治体は動いています。
天災は想定外できます。
どのような土木施設でも絶対はあり得ません。堤防の高さは計画推移というそうです、どうやって計算するかワカリマセン。日本で年間降水量が1000㎜以下のところでも想定外の降雨量に見舞われました。
偏西風、台風の通り道の日本、水稲耕作の花を咲かせましたが、水害は宿命かもしれません。
原爆、原子力発電・・・被害は人災です。
行動は今回の水害処理ですが、思いは原爆に寄せてほしい。