2008年3月10日夜、TBSテレビであるドキュメンタリードラマが放映されていました。
『激動の昭和・・3月10日東京大空襲・・・語られなかった33枚の真実』
重く辛い内容です。録画して静かな自分の時間に見ました。わたしのわたし的な感想です。これをどう思うかは人それぞれの問題です。
有名な写真です。
正視できません。
間違いなく真実です。
この物語は東京大空襲の夜から焦土と化した東京の地上の風景をカメラに収めた
東京警視庁鑑識課写真班石川武雄の姿を再現したドラマです。
ドラマですが彼の撮った写真は間違いなく真実です。
石川光陽(本名石川武雄1904~1989年)・・・警視庁を定年まで勤めた公務員です。昭和、最後の年に亡くなっていますが病床で昭和天皇の病状を聞いて正座した人だそうです。
たった2時間半で10万人の死者を出した世界史史上に類を見ない東京大空襲、
死者の折り重なる街を撮り続けます。
「真実を後世に伝える」
死者に合掌しながらシャッターを押し続けたことでしょう。
生き残った87歳のご婦人。語り部です。
生きながら・・・
焼かれていく・・・
・・・言葉になりません。
米軍爆撃機の搭乗スタッフの証言です。
仕方がなかったんだ。死んだ人には申し訳ないが任務を果たしたまでだ
表情は苦しく見えます。
たまらないよ・・・
生き残ったものだけがあの夜のようすを語れる。
ここに写ってる死者たちはもう何も語れない・・・
戦争は勝者にも深い傷跡を残していました。
炎の中で撮り続けた33枚。米軍(GHQ)に提出を求められ警視庁は石川個人のネガとしました。GHQは執拗にネガの提出を求めますが石川は頑なに拒否します。
ネガを缶の中に入れ土中深く隠したといわれます。
石川はこういいます。
ネガは渡せません・・・
後世に伝えるべき歴史の証明だからです
東京都江東区横網町
「東京都慰霊堂」
瓦礫の中から拾い出されたお骨が納骨されています。
JR 「両国駅」そば、国技館、江戸博物館と同じ一郭です。
いつかたずねてみたい。
東京大空襲・・過去のブログです。
東京大空襲・・・「3.10の日」
東京大空襲・・・63年前の3月10日
★こんにちは・・・古い古いブログに訪問いただいてありがとうございます。「いいね」にクリックしていただければ幸いに存じます。
『激動の昭和・・3月10日東京大空襲・・・語られなかった33枚の真実』
重く辛い内容です。録画して静かな自分の時間に見ました。わたしのわたし的な感想です。これをどう思うかは人それぞれの問題です。
有名な写真です。
正視できません。
間違いなく真実です。
この物語は東京大空襲の夜から焦土と化した東京の地上の風景をカメラに収めた
東京警視庁鑑識課写真班石川武雄の姿を再現したドラマです。
ドラマですが彼の撮った写真は間違いなく真実です。
石川光陽(本名石川武雄1904~1989年)・・・警視庁を定年まで勤めた公務員です。昭和、最後の年に亡くなっていますが病床で昭和天皇の病状を聞いて正座した人だそうです。
たった2時間半で10万人の死者を出した世界史史上に類を見ない東京大空襲、
死者の折り重なる街を撮り続けます。
「真実を後世に伝える」
死者に合掌しながらシャッターを押し続けたことでしょう。
生き残った87歳のご婦人。語り部です。
生きながら・・・
焼かれていく・・・
・・・言葉になりません。
米軍爆撃機の搭乗スタッフの証言です。
仕方がなかったんだ。死んだ人には申し訳ないが任務を果たしたまでだ
表情は苦しく見えます。
たまらないよ・・・
生き残ったものだけがあの夜のようすを語れる。
ここに写ってる死者たちはもう何も語れない・・・
戦争は勝者にも深い傷跡を残していました。
炎の中で撮り続けた33枚。米軍(GHQ)に提出を求められ警視庁は石川個人のネガとしました。GHQは執拗にネガの提出を求めますが石川は頑なに拒否します。
ネガを缶の中に入れ土中深く隠したといわれます。
石川はこういいます。
ネガは渡せません・・・
後世に伝えるべき歴史の証明だからです
東京都江東区横網町
「東京都慰霊堂」
瓦礫の中から拾い出されたお骨が納骨されています。
JR 「両国駅」そば、国技館、江戸博物館と同じ一郭です。
いつかたずねてみたい。
東京大空襲・・過去のブログです。
東京大空襲・・・「3.10の日」
東京大空襲・・・63年前の3月10日
(東京忌)
★「語り継ぐ責任」だけ見たい方は→こちらをクリック
★こんにちは・・・古い古いブログに訪問いただいてありがとうございます。「いいね」にクリックしていただければ幸いに存じます。
※コメント欄オープン。
ニュースで 慰霊祭は 知ってましたが
想像以上で びっくり・・・
今まで この時代の映画やドラマ 色々観たけど
全然想像できなかった
ほんまに 爆撃機の搭乗員も
任務とはいえ・・・罪の重さに 押しつぶされそう
寝れない夜が あるのでは・・・
被害者も 加害者も むごすぎる
でも、焼夷弾を落とした米兵には苦悩の顔は窺えたが・・・涙はなかった。
やはり、空の上から見れば・・人の存在は無視してモノ扱いだったのでは・・・と思えたのですが・・・。
戦後(?)生まれのスターアニスは、その脅威・悲惨さを体感していないため、うまく言えませんが、いかなることがあっても戦争だけは避けたいものです。
石川光陽の撮った写真33枚・・・世界中の人々に観てもらうことが、10万人の人々への供養と弔いになるのでは・・と思うのですが・・・。
おばちゃん
スターアニスさん
重く辛いテーマにコメントありがとうございました。
こんなブログを書いてると涙が出てたまりません。
石川氏は律儀で頑固な人だったようです。
ライカで撮ったフィルムは33枚だけだったのでしょうか。
百万遍の言葉より、孫子に伝える歴史の証明です。
大きくなるに付け 戦争と言う事実 TV 語り部 沖縄訪問 広島等で知りました。
33枚の写真残して頂いた石川様;良くぞお守りくださいました 有難うございます。
この写真 国の宝です この現実戦争の証拠です。
涙なくして見られない写真です。
日本にもこんな時代と戦争が有ったのだと:今も癒えない傷抱えて生きてる人も居ます。
戦争を語る上で避けて通れない現実を 是からの日本の子供たちに見せる事も一考と考えます。
この写真見て それでも戦争と言う愚かな行為する
人がいるでしょうか。
二度と戦争しては行けません。
この写真がその抑止力になれば 戦争で死んだ人も
この写真の人も;少しは浮かばれましょう。
この写真 見せて頂き有難うございました。
この思い 広く広く世界に広がります様に!
今もあちこちで戦争・紛争が有りますが 早く収まります様に念じて已みません。
合掌
早速ですが、『東京大空襲』なんて確かにむごい話だし、なんていうか、暗い話ですが、やっぱり目をそらしてはいけないと思います。
こんな戦争の時代もあったのだ。と、しっかりと目に、焼き付けておかないと。
このブログのこの記事、たくさんの人にも見てもらいたいですね。
63年の戦争のない時代を死者からいただきました。
語り継いでいくことが私たちの仕事でしょうね。
ガスバーナーで飯炊いたらもっと面白いですよ。赤石山脈なんて出てくるから静岡県の人。
私に時おりコメントくれる人でサイクリング好きの人紹介します。「輪行、ヘリオスさん」です。http://blogs.yahoo.co.jp/rinko_helios
私のブログ、カテゴリーで「トマサ・サリノグさん」「今日は何の日」時間があったら見てください。
heisei no jidaini ikitteiru
hito niwa ikimonono shi ga mieteinai
to omoimasu
KL nite akahito
そんな人たちに語りかかけたい・・・
これが戦争の現実なんだと・・・