日本プロ野球界・・・不世出の大投手「金田正一」・・・2019年10月6日…永眠。
★まずNBP記録を列挙・・・
・完投試合数 365・・・登板試合数944(第2位)、先発試合数569(第4位)
・通算勝利数 400・・・年平均20勝
・通算敗戦数 298
・三振奪取数 4490・・・年平均224
・投球回数 5526.2・・・年平均276
・対戦打者 22078
・与四死球 1808
誰が何といっても不世出の大投手です。
たぶん、これらの記録は永久に破られないであろう記録であると思えます。それは、金田投手の天賦の才能、体躯もありますが、現在のプロ野球の環境、投手の投球数管理、登板後の休養、起用法の仕方が先発、中継ぎ、抑えというシステムに変わったということからです。
登板数944は2位,1位は中日ドラゴンズの岩瀬仁紀の1002ですが救援投手(クローザー)で1試合1イニングであり条件が全く違います。
三振奪取数の多いのは当時の国鉄スワローズが「打てない、守れない」チームであったから。三振を取るより仕方がなかったから…といわれています。
負け試合数が多いのは得点力のないチームであったからです・・・生涯防御率は2.34・・・打たれて負けているからではないのです。
金田正一(かねだまさいち)・・・1933年~2019年10月6日、愛知県中島郡平和村(現稲沢市)出身。在日韓国人2世、のち日本国籍取得。1955年愛知享栄商業3年の夏、甲子園出場の予選準決勝敗退、享栄商業を中退、当時のセントラルリーグ国鉄スワローズに入団、1950年8月23日17歳で先発デビュー。この年8勝を挙げている。以来1964年まで国鉄スワローズで14年1/2、353勝、1965年から1969年までの5年間読売ジャイアンツで5年間47勝。
数々の記録を見れば誰が何といっても大投手ですが弱小球団ゆえに人気球団の選手のようなヒーロー、アイドルになれませんでした。
いろいろな逸話があります。弱小球団のワンマン(天皇と呼ばれた)です。監督の指示なしでマウンドを降りるとか、マウンドに上がる、ピンチヒッターで出るとかは日常茶飯事だったそうです。先発で投げて勝ち、翌日でも翌翌日でも同スコアで終盤になればリリーフで登板し勝ちを稼ぐ、イージーなファウルフライは「捕るな」と叫んで三振を稼いだ。
ピッチングはゆったりとしたワインドアップからテークバックをゆったりと後ろに持っていって弓のようにしならせ大きな弧を描いて投げる。投手として最も理想的な正統派のオーバースロー、肩、肘に負担をかけないフォーム。
球種はストレートとカーブだけ、キャッチャーとはノーサイン。その球速はスピードガンなんてない時代で記録はありませんが160kmを軽く超えていたといわれます。
神宮球場や後楽園球場で見た雄姿を思いだします。
プロスポーツはエンタテイメントです。「打てば三振、守ればエラー」の弱小球団の1選手が金満球団に立ち向かってゆく姿が好きでした。
「金やん」のご冥福を祈ります。
★まずNBP記録を列挙・・・
・完投試合数 365・・・登板試合数944(第2位)、先発試合数569(第4位)
・通算勝利数 400・・・年平均20勝
・通算敗戦数 298
・三振奪取数 4490・・・年平均224
・投球回数 5526.2・・・年平均276
・対戦打者 22078
・与四死球 1808
誰が何といっても不世出の大投手です。
たぶん、これらの記録は永久に破られないであろう記録であると思えます。それは、金田投手の天賦の才能、体躯もありますが、現在のプロ野球の環境、投手の投球数管理、登板後の休養、起用法の仕方が先発、中継ぎ、抑えというシステムに変わったということからです。
登板数944は2位,1位は中日ドラゴンズの岩瀬仁紀の1002ですが救援投手(クローザー)で1試合1イニングであり条件が全く違います。
三振奪取数の多いのは当時の国鉄スワローズが「打てない、守れない」チームであったから。三振を取るより仕方がなかったから…といわれています。
負け試合数が多いのは得点力のないチームであったからです・・・生涯防御率は2.34・・・打たれて負けているからではないのです。
金田正一(かねだまさいち)・・・1933年~2019年10月6日、愛知県中島郡平和村(現稲沢市)出身。在日韓国人2世、のち日本国籍取得。1955年愛知享栄商業3年の夏、甲子園出場の予選準決勝敗退、享栄商業を中退、当時のセントラルリーグ国鉄スワローズに入団、1950年8月23日17歳で先発デビュー。この年8勝を挙げている。以来1964年まで国鉄スワローズで14年1/2、353勝、1965年から1969年までの5年間読売ジャイアンツで5年間47勝。
数々の記録を見れば誰が何といっても大投手ですが弱小球団ゆえに人気球団の選手のようなヒーロー、アイドルになれませんでした。
いろいろな逸話があります。弱小球団のワンマン(天皇と呼ばれた)です。監督の指示なしでマウンドを降りるとか、マウンドに上がる、ピンチヒッターで出るとかは日常茶飯事だったそうです。先発で投げて勝ち、翌日でも翌翌日でも同スコアで終盤になればリリーフで登板し勝ちを稼ぐ、イージーなファウルフライは「捕るな」と叫んで三振を稼いだ。
ピッチングはゆったりとしたワインドアップからテークバックをゆったりと後ろに持っていって弓のようにしならせ大きな弧を描いて投げる。投手として最も理想的な正統派のオーバースロー、肩、肘に負担をかけないフォーム。
球種はストレートとカーブだけ、キャッチャーとはノーサイン。その球速はスピードガンなんてない時代で記録はありませんが160kmを軽く超えていたといわれます。
神宮球場や後楽園球場で見た雄姿を思いだします。
プロスポーツはエンタテイメントです。「打てば三振、守ればエラー」の弱小球団の1選手が金満球団に立ち向かってゆく姿が好きでした。
「金やん」のご冥福を祈ります。
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