信州上田の・・・六文銭の写真帳
1月12日、江戸時代の農村歌舞伎を伝える東御市祢津(とうみしねづ)の健事神社境内にある西宮歌舞伎舞台を尋ねました。
長野県有形民俗文化財西宮歌舞伎舞台・・・間口8間。奥行4.5間、床高2.64尺、4間×1間下屋つき。
1816年の建造、寄棟平入り茅葺(現在はトタン葺)。直径3間の回し舞台構造は日本最古だそうです。
両袖に・・・向かって右手はチョボ床(高座)で義太夫が語られ、左手は黒御簾(下座)、音響部門。
上信国境の湯の丸山から西に下った山麓、東御市祢津(ねづ)の健事神社の境内。
背後に標高830mの中世の山城の祢津城があります。「健事神社」・・・縁起書がありませんので確かなことは定かではありません。
後方から見た歌舞伎舞台・・・建屋後方が低くなっていて(崖造り)、舞台から奈落まで7尺。
説明板
1816年の建造、寄棟平入り茅葺(現在はトタン葺)。直径3間の回し舞台構造は日本最古だそうです。
両袖に・・・向かって右手はチョボ床(高座)で義太夫が語られ、左手は黒御簾(下座)、音響部門。
上信国境の湯の丸山から西に下った山麓、東御市祢津(ねづ)の健事神社の境内。
背後に標高830mの中世の山城の祢津城があります。「健事神社」・・・縁起書がありませんので確かなことは定かではありません。
後方から見た歌舞伎舞台・・・建屋後方が低くなっていて(崖造り)、舞台から奈落まで7尺。
説明板
※撮影日は1月12日。
※江戸時代、農村歌舞伎、農村人形浄瑠璃などが盛んでした。何しろ新聞、テレビもない時代です。パチンコ、カラオケ屋さんもありません。人々は自分たちで娯楽を作っていたのです。素人歌舞伎、地芝居、村芝居とも呼ばれ江戸時代から明治、大正、昭和の初期まではさかんに行われていたようです。
現在、全国各地に残存する農村歌舞伎は曳山歌舞伎、子供歌舞伎も含め上演されているのは約50ヶ所。
長野県ではここ祢津の東町歌舞伎、南信州の大鹿歌舞伎、下条歌舞伎の3箇所。
※なぜ農村歌舞伎が・・・娯楽のない時代に娯楽を求めたといえばそれまでですが、かなり山奥にまで浸透しています。江戸時代「百姓は生かさず殺さず」といわれていますが、果たしてそうだったか。歌舞伎舞台も大道具、小道具、衣装、演ずる役者も音曲も全部自前です。豊かな文化は豊かな経済力がなければ導入できません。藩、旗本知行地、天領、それぞれの経済的事情がありましたが領民の経済事情はどうだったのでしょうか。
残念ながらここ西宮では歌舞伎興業は行われていません。
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