信州上田の・・・六文銭の写真帳
1月12日、東御市和(かのお)、国指定重要文化財「春原家」(すのはらけ)を尋ねました。
東御市和は明治の町村合併で周辺6ヶ村が集まって和村(かのうむら)に。村名は「和を以て尊しとする」から? 江戸時代は旗本松平家の5500石祢津領。1956年東部町に、2004年東御市に。上信越高速道東部・湯の丸ICの近く、標高約650m、浅間・烏帽子岳火山群の裾野の付け根。
寄棟茅葺、正面10.5間、奥行4.5間(47.25坪=約154㎡)、南向きに建つ。建造年は不明でしたが1979~1980年の解体修復で建築様式から江戸元禄年間(1700年前後)と推定。
正面外側から見ると、縁側、雨戸が無く、いきなり外壁、左側に大戸、中央に戸。小窓が見えます。開口部が少なく外気を遮断する、冬季寒く、夏季に暑い信州東部の気候に対処しているようです。屋根上の小屋根(気抜き)は明治期に養蚕のためつけられたものと思います。寡雨地帯のためか外壁に腰板が張られていません。
間取りは説明板にあればわかりやすいのですが・・・土間、ダイドコ、厩が6割。4割が居室、土間に沿って茶の間、北側にネドコ。キタノマ、南側にザシキ、オヘヤ。
堂々たる農家住宅です。
※撮影日は1月12日。
※春原家(すのはらけ)・・・江戸時代初期に名字を許されたという古い家。春原の春は「墾(はり)」で開墾された原野のこと。「すのはら」と読むことを初めて知りました。「すのはら」の「す」は古日本語で「春」のことだそうです。「の」は助詞、で春原の読み方を変えたもの。一月の東御市を尋ねる散策はこれで終了。
※コメント欄開いています。
昨夜は、テレビ「ニッポン行きたい人応援団」に真田幸村を愛するコスタリカ人を扱いました。六文銭の代わりに5円玉を代用してました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/nipponikitaihito/backnumber/
比企の丘さんの読者管理と同様に取り扱っています。つい、コメントをしてくれる方に片寄る傾向になりがちです。
浅間山山麓にある東御市には、歴史的な遺産がいろいろと残って、保存されていることを、このシリーズで学びました。
今はブドウやリンゴなどの果物を栽培している農地が多いようですが、江戸時代にここで米や麦などの栽培をするには、開墾から生産まで大変だったように感じます。
前橋市の嶺公園のトラツグミは健在だったようです。木の枝に上がっているトラツグミの画像は初めて見ました。
コメントはこのごろはついに億劫なっていますが、それでも気になった記事にはコメントしたくなります。
読者閲覧はこまめにやるほうです。でも流して見るだけで・・・気になるタイトル、好きな記事にはつい引きずり込まれますが。
コメントありがとうございました/
以前は餌遣りなんかなかったのですが。このごろは普通になったようです。
自然のままの写真撮りが好きです。
トラツグミ・・・餌ヤリで寄せられない野鳥です。地上採餌なので木留まりが少ない鳥で、それを見たくて行ってきました。静かないい公園です。
レンジャクのシーズンはもうすぐのようです。秋ヶ瀬、浅羽、大麻生・・・楽しみです。
東御市・・・旗本知行地で締め付けが緩かったようで農民歌舞伎がbのこったようです。
巨峰の生産地です。
池の平湿原は手軽に行ける高層湿原です。静かでイイです。
コメントありがとうございました。