比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信州上田・・・真田六文銭発祥の地を巡る①・・・真田町御屋敷

2017-06-08 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
ツツジ咲く五月・・・上田市から北に国道144号線で菅平方面に・・・上田市に合併する前の真田町。
戦国時代の雄・・・真田氏発祥の地・・・信濃国の豪族滋野氏、海野氏の血を引く真田氏初代幸隆がここに居を構え真田氏を名乗ったといわれています。
菅平高原のシンボル四阿山を水源とする神川の左岸、小さな段丘棚の上、真田町本原小字御屋敷・・・国道144号線から県道35号線に、真田氏が居を構えたという御屋敷跡が。

信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

真田氏歴史館・・・資料展示、喫茶、土産、グッズ販売。



歴史館から続く御屋敷公園・・・土塁の囲まれた公園・・・御屋敷跡と推定されています。
幸隆(1513~1574年)没後の1583年2代昌幸が千曲川の河畔の上田に城を構えて居を移しました。

真田屋敷を去るにあたって伊勢神宮から天照大御神を勧請して「皇太神社(こうたいじんじゃ)」を造営したと伝えられています。


※撮影は5月13日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。
眞田町・・・1874年上原村、中原村。下原村が本原村に、1874年上洗馬村、軽井沢村、曲尾村が傍陽村に。1876年真田村、横尾村、横沢村、大日向村が長村に、1958年長村、本原村、傍陽村が真田町に。2006年上田市に。海野氏一門の幸隆が真田氏を名乗ったのは真田地域に居を構えたため。眞田地域には真田氏の守り神とされた山家神社、幸隆、昌幸の墓所のある眞田山長谷寺、昌幸の兄の信綱の菩提寺の信綱寺が。真田地域から本原地域に移ったのはいつのころか、定かではありません.真田本城(松尾城)は御屋敷から北東800mの山の上です。




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