・・・彩風人の写真帳・・・
コロナ禍で冬ごもり・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道路線の駅と駅の間、片道は電車に乗って。今日は<西武鉄道i池袋線武蔵横手駅から東吾野駅(~2.9㎞)・吾野駅(~5.3㎞)まで。ついでに駅鉄撮り。
吾野駅です。埼玉県飯能市坂石町分。
1929年武蔵野鉄道終着駅として開業、1945年西武鉄道と合併して西武農業鉄道に、1946年西武鉄道と改称。吾野駅は西武鉄道池袋線終着駅に。1969吾野駅~西武秩父駅が西武鉄道秩父線として開通、1997年現駅舎新築。島式ホーム1面2線、構内踏切式連絡、1日の乗客数340人。
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1969年秩父線開通に伴い名目は二つの路線、池袋線の終着駅、秩父線の始発駅ですが、運行は池袋駅~飯能駅間、飯能駅~西武秩父駅間でダイヤが組まれており(特急のみが池袋駅~西武秩父駅の全線を)、吾野駅は飯能駅~西武秩父駅間の中間駅となっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/9c/c1b3b8b0c90c83eb0705ba887cbb1c44.jpg)
※撮影日は2月28日。
★吾野・・・元は秩父郡、1889年4つの村が合併して吾野村に、のちに入間郡。1956年飯能市に合併。飯能市の市街地には日高市高麗の市街地を通過して連絡する。外秩父山地、顔振峠、高山不動、子の権現、秩父御嶽神社など、ハイキングコースの聖地。※コメント欄オープン。
・吾野駅正丸超えりゃぁ秩父ダべ
西武鉄道レットアロー号 (縄)
秩父の人間は良きに付け悪しき気に付けぼんくらじゃった。秩父と言う盆地・山に囲まれてどちらかと言えば江戸の秘境・の所さ~・・・。
それがドッコイ正丸峠のド腹に、穴をぶち抜けて電車を走らす!!「秩父事件以来」大騒動で有ったで・・・・・。
江戸の文化の新風を秩父へ運ぶ・・・・、イイだべさぁ、よかんべさ~・・そんな機運が高まったようです。
武甲山の麓、羊山に鎮座する、柿原万蔵「秩父鉄道創始者」もきっとオッタマゲタことであろう。
その羊山をも貫通させて、「西武秩父駅」が相成った
我縄文人も、現在の秩父情勢は疎くなりましたがサァ~どちらかと言えば、西武の方が活況を呈しているのであろうか・・・・・・。西武が秩父鉄道に乗り入れ、長瀞や三峰口までも・・・・。
比企野さんゴメン!!ウツツヲ抜かしてしまいました。
秩父の人間はこのようにボンクラで困ったものです。
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正丸峠を越えて秩父へ、やがては佐久、軽井沢へという壮大な計画であったと聞く。
池袋から特急で1時間ちょっと。秩父が間近かになった。
秩父駅の乗降客1200/1日、西武秩父駅の乗降客7200/1日。
高速道が寄居から皆野まで伸びています。いずれは秩父中心街、甲州まで。
秩父の郷、江戸時代は吾野村、都幾川村までもが秩父郡でした。