比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

彩の国・・・ブラブラ見て歩き・・・武州岡部藩阿部家・・・陣屋遺構

2015-02-12 | 古城・城址・陣屋・館跡
彩の国深谷市岡部の小山川、埼玉に18年ぶりで訪れた渡り鳥ナベヅルを見に行ったときの、その土地の見て歩る記です。
岡部は国道17号線(旧中山道)が通る街道町であり、江戸時代は武州岡部藩阿部家の陣屋のあったところ。
岡部藩阿部家は川家譜代家臣として家康江戸入府のとき、岡部に知行地5000石を与えられ、大坂冬の陣で手柄を上げて19200石の大名に。加増された15000石は摂津国、三河国の飛び地であった。明治維新の際は官軍側に属し、1968年(慶応4年)三河国半原に領地を移した。

さて岡部藩阿部家の陣屋の遺構を尋ねる散歩です。

深谷市岡部1201番地、ここにむかし陣屋があったらしい。陣屋といえば藩庁、広大な敷地になにかそれらしき遺構があるはずですがなにもありません。車1台通れるだけの道路、まわりには畑、人家、工場。その一郭の2坪ぐらいの地面に幕末の砲術家「高島秋帆幽囚の地」という石碑。高島秋帆はいろいろ事情があって身柄拘束され岡部藩預かりの身に。幽囚といっても客人扱いだったとか。陣屋跡の説明は何もなく、高島秋帆の碑と説明板が残るのみ。



深谷市岡3313番地、全昌寺・・・ここになぜか岡部陣屋の長屋門が移築されています。いつ移築されたか不明。
曹洞宗大桂山全昌寺山門です。岡部陣屋長屋門は入って左側の通用門になっています。

本堂から見た長屋門の内側です。二層の長屋門、陣屋が1706年の建造といわれますから、この門もそのころの建造と思われます。
2階部分は往時を偲ばせますが一階は波状鉄板とアルミサッシの出入口、雨戸になっています。

表側から見た長屋門です。波状鉄板でほとんど覆われています。窓もありません。

江戸時代中期の建築様式を伝える珍しい二層式長屋門は惨憺たる有様です。
岡部藩阿部家の遺構は何もないといってもイイでしょう。ほかに通用門が一般住宅の門になっているそうです。

いかなる事情か、明治の時代を待たずに1868年、岡部藩を廃藩にして領地を去り三河国に半原藩を立藩した阿部家、ifですが、もし移封しなければ廃藩置県でここが岡部県に陣屋が県庁になったかもしれません。

高島秋帆(1798~1866年)・・・長崎町年寄りの家に生まれ町年寄りを継ぐ。傍ら蘭学、砲術を学び西洋式高島流砲術を創始。西欧のアジア進出を身近に感じて幕府に西洋式兵術を紹介、指導。中傷により幽閉の身となり岡部藩に預けられる。10年後解放され、ふたたび幕府で西洋式兵法を指導した・・・石碑説明板より



最新の画像もっと見る

コメントを投稿