比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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今日は何の日・・・沖縄慰霊の日・・・おきなわ忌

2009-06-23 | 語り継ぐ責任 沖縄のこと
1945年3月26日沖縄県慶良間諸島に米軍上陸。
1945年4月1日沖縄本島に米軍上陸。
1945年6月23日沖縄南部摩文仁において日本帝国陸軍第32軍司令官牛島満中将自決、この日をもって太平洋戦争の日本(唯一の)国内における組織的地上戦は終結します。

例年6月23日を沖縄県では条例により「慰霊の日」としています。
条例第1条・・・「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため」

6月23日、くしくもこの日は1964年6月23日日米安保条約が批准され沖縄を基地の街として日本が認めた日です。今も沖縄は米軍基地の街として、占領当時と変わらない現実です。

沖縄戦についてカテゴリー「沖縄のこと」で何回か記述しています。
東京大空襲忌」があって「おきなわ忌」があって「ヒロシマ忌」「ナガサキ忌」がある。
60数年前の戦いの犠牲者があって今日の平和がある。そのためにもこんな悲劇があったことを風化させないようにしよう。

さてチュラ・・ウチナワ ・・・・・デス
世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」・・・今帰仁城跡(ナチジングスク)



沖縄本島北部の本部半島北端、海を見下ろす高台に南北350m、東西800m、琉球石灰岩が使われた城郭?です。アンデス奥地のマチュ・ピチュのような精巧な石造技術ではなく自然石の野面積ですからたいへん不安定に見えます。沖縄では最大のグスクだそうですが戦いの場で防御にどれだけの効果があったかは???です。
もっともグスクは城と表記するため軍事設備と思われがちですが①聖域説②集落説③館説と諸説あるようです。
わたしも南の島で平和に暮らしていたウチナワンチューが戦さ場としてこんなものを造ったとは思えません。

ブーゲンビリアが咲いていました。
入場券、飲み物など売っている小さな小屋のオバアに黒砂糖の塊をもらったことを憶えています。

※カテゴリー「沖縄のこと…クリックして読んでいただけたら…。 


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4 コメント

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23日の摩文仁の丘の (こきおばさんへ・・・ヒキノ)
2009-06-26 07:07:57
追悼式・・・比屋根君という少年の詩の朗読に泣かされました。そのあとの麻生首相の挨拶がかすんでしまいました。全国遺族会会長はその日は宮崎にいました。

復帰前に何度か仕事で沖縄を訪れました。ここからB52がベトナムに向けて飛び立ってたのです。コザの街では人殺しの訓練を受けたニガーが有り金ぜんぶはたいて遊び歩いていました。

戦争のできない憲法のある日本・・・いつまでもそうありたい。
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沖縄 (こきおばさん)
2009-06-25 21:57:58
私は未だに沖縄に行けないでいます。

戦場になり、殆どの人が身内や知人に犠牲者がいるという、未だに大きな傷を背負っている場所。
その上、まだ米軍の基地になっていて、未だに犠牲者が出るところ。

北富士演習場が県内にあることも、心に引っかかっていますが、沖縄の人たちはもっと重い気持ちを抱いているのでしょうね。

慰霊塔の前で、涙する人たちの姿からは、戦争は終わっていない! と感じさせられます。
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こんばんは ご無沙汰しています (菜花さんへ・・ヒキノ)
2009-06-23 20:24:01
ブログは目を通しています。
きっと今日はこのことをアップされると思っていました。
昨日の番組見落としました。再放送があるといいんですが。
渡嘉敷島・・・ぜひアップしてください。
わたしも大江健三郎、曽野綾子の著書を読みなんとかアップしようと思ってますが。いつになるやら。
渡嘉敷村のHPに集団自決の記述があります。一度ご覧になってください。
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コメント有難うございました (さや 改め 菜花)
2009-06-23 15:57:19
こんにちは。

今日は、慰霊の日ですね。
昨夜の、NHK沖縄慰霊の日特番見ましたか?
渡嘉敷島での集団自決のことを、これまで一度も誰にも語らなかったという82歳の当事者の方が、話しておられましたが、身につまされる思いがしました。

いずれ記事にしてみたいと思っています。
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