比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

渡良瀬遊水地・・谷中村(終章)・・墳墓の丘

2008-05-27 | 語り継ぐ責任 公害・被ばく・環境
渡良瀬遊水地の中、旧谷中村の役場跡から葦原の間の道を雷電神社、延命院、そして共同墓地の跡にやってきました。大きなクヌギの木でしょうか。その樹の下に供養石塔と墓石が数基。つい最近のものと思われる板塔婆があります。

ただそれだけ。

ここは「谷中村唯一の物言わざる証人」「公害闘争の原点」、1972年(昭和47年)谷中湖造成計画に入っていたものを谷中村の遺跡を守る会の陳情運動によって残されたものだそうです。

光明真言」と刻まれた供養石塔、板塔婆と大クヌギ。
手前は墓石です。円柱で上がなめらかな円錐状です。
あたりの景色に圧倒されて墓石に刻まれた年号を確かめるのを失念しました。

画像クリック・・・谷中村共同墓苑の板塔婆。
  ・・・一切の有縁・無縁の精霊、仏様を遥か遠くより畏敬供養いたします・・・
板塔婆の文字は、そう読めるのでしょうか。新しい花が手向けられています。

春、三月の野焼きの光景です。今は見渡す限りの葦の原です。


   夏草に 有縁無縁 たま ほむら    比企の丘人

 (心象風景のイラスト)

谷中村・・まほろば(豊穣)の国。かつては反当り平均8俵(300坪で480kg、わからないでしょうね)、明治の時代ではたいへんな収穫です。1年の備蓄で7年しのげたといいいます。古河藩の領地でした。凶作、水害の年は救済策もとったそうです。
それが渡良瀬川の鉱毒事件で一変します。政財官が一体となっての集中攻撃。問答無用です。政商古河市兵衛(古河鉱業経営者)、農商務大臣陸奥宗光(息子が古河市兵衛の養子、二代目社長)との閨閥、陸奥宗光は国会で田中正造の質問を無視します。栃木県庁は河川修理と称して堤防決壊をして豊穣の国谷中村を壊滅させます。出版物の発禁など言論の弾圧も行います。政財官の悪のトライアングル。権力という凶器による無法、無頼、ナラズモノの政治です。為政者は国益のためと称しますが理由はともかく民に聞く政治ではなかったのです。
足尾銅山の鉱毒を巡る奥日光の森林から渡良瀬川流域、関東平野におよぶ公害事件、はるか100年のむかしになりましたが、現代に続く大きな課題(公害、薬害、地球温暖化など)を残しました。先輩たちが投げかけたこの課題を孫子の代のわたしたちがどう対処していくか、宿題は残ったままです。

《参考》
  渡良瀬遊水地・・野焼き(終章)・・谷中湖・・・08/03/20のブログ
渡良瀬遊水地外周堤外に作られた共同慰霊碑と足尾銅山・渡良瀬遊水地旧谷中村・田中正造の年譜をおっています。
  鹿児島から熊本への旅・・・水俣・・・07/12/20のブログ
  神通川・・有沢橋・・・07/10/03のブログ
  レイチェル・カーソン生誕百年・・・07/5/27のブログ

渡良瀬遊水地のことを啓発してくれたブログを紹介してお礼にします。
  「渡良瀬遊水池 その1」、「渡良瀬遊水池 その2
  「公害の原点を歩くⅠ」、「公害の原点を歩くⅡ」、「公害の原点を歩くⅢ」、
  「公害の原点を歩く(番外編)」、「公害の原点を歩くⅣ

最後にここの環境整備に尽くされている方々に感謝の意をこめてお礼申し上げます。


最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんなことが有っちゃ~・・ならねぇ (縄文人)
2008-05-27 13:41:17
大きなクヌギの木が、供養墓石が、卒塔婆が
何か語りかけているのが・・・ツブヤイているのがかすかに聞こえてくる。
 「二度と、こんなことが有っちゃーならねぇ~・・・・・・・・・・・」
まだまだ・・続いていたが、5月の風に流されて聞き取れなかった。

 ヒキノさんの
  『渡良瀬遊水地の枯れ草焼き』に
端を発した、一連の足尾公害事件の歴史、いろいろ勉強させてもらいました。
感謝いたします。

 
返信する
続き (縄文人)
2008-05-27 13:43:24
 私のつたないレポートまで掲載していただき穴があったら入りたいくらいです。
これからも折につけ、相互扶助の気持ちで有意義で楽しいblogがupできればと思います。
 ご指導をお願いいたします。

イラストを詠んで
  ○ 公害に賭けた魂が、谷中村跡地でメラメラと真っ赤に燃え上がった。
返信する
Unknown (オールドレディー)
2008-05-28 08:48:59
野焼きの絵素敵です。こういう淡い色彩の絵が描きたいんですよ。
私は見本画の通りにしようとするから、へんな色になるのです。

史実が詳しく紹介されて、何事にも深く探求される姿勢には脱帽します。
返信する
語り継ぎたい歴史 (縄文人さんへ・・ヒキノ)
2008-05-28 13:07:10
 ふりむけば 延命院の鐘 大くぬぎ 

足尾の裸山を見てゾッとしました。山を死なすと300年は生きかえらない言いますが、生きかえるでしょうか。
谷中村の自らは語ることのできない遺跡を見て自然の大切さを教えられました。
わたしたちも語り継いでいきたいですね。


返信する
心象風景 (レディーさんへ・・・ヒキノ)
2008-05-28 13:21:01
何となく夏草の丘と大橡と、それに野焼きとをダブらせようとしましたがイメージどおりにいきません。炎のニジミはティッシュペーパーで濡れた色を抑えてその上に色を乗せています。うまく行けばF6ぐらいで描きたいのですが。これではね。

谷中村の歴史は今の道路作りとかダム作りにも似ています。まったくそっくりともいえます。
水俣は政府和解案を会社側が受け入れていません。
つまり谷中村の歴史は歴史ではなくて今も続いていますね。
返信する

コメントを投稿